最近の記事

一生、一生

 髙橋一生(以下 一生)が結婚した。仕事を終えたら、一生が結婚していた。疲労を感じながらツイッターを見ていたら、一生が結婚していた。  ニュース記事を目にしてから数十分は、何も知らないような顔でスマホを見ていた。だけど沸々と湧き上がってくる何かに耐えかねて、現実逃避のシャワーへと向かう。  祝と呪が、まるで天使と悪魔のように頭上で回り続けている。そんなシャワー中、無意識に口ずさんでいたのは、クリープハイプの「チロルとポルノ」だった。 チロルとポルノ 中学生の頃に一生のこ

    • 慶應通信 合否発表直前の心持ち

       3月末となり、春うららかな気候になってきましたね。食料品を求めて徒歩数分のスーパーへ行く道しなに感じる、春の始まりとも夏の終わりとも取れる涼風が好きです。あと、暖房代が安くなるのも嬉しい。  ですが、この間調子に乗ってカーディガン一枚で外出したら思いのほか寒くて痛い目を見たので、まだ上着は必要そうです。  閑話休題、本題に移ります。いつも通り後先も考えず筆をとった次第ですので、白昼夢くらいのぼんやり感で読んでください。または、読まないでください。  ご存じの方もいるやも

      • 救いを求める心と経験の因果関係についての拙文

         泥のような現実から目を背けるために、人間は皆一様に救いを求めるのではないだろうか。人生は思ったよりもうまくいかず、希望通りになることの方が少なく、願い事は叶わぬ方が多い。ある種、退屈であったり絶望を伴うような経験を経て人間は人格を構築していくのではないかと思う。失敗と成功の経験の振れ幅によって、またはその総量の対比によって人間性が決まっていくのだとしたら。そして、その絶対値によって救いを求める心が増幅していくと考えるならばどうだろう。  知らぬことは願わない。経験したこと

        • ”哲学を学ぶ”ことについての散文

           哲学に最初に触れたのはいつでしょうか。    今となっては朧げな記憶ですが、中学生の時に何の気なしに手に取った哲学入門書か、高校の授業内で哲学者の思想を学んだ時でしょうか。  それらの経験が、幼い頃から漠然とした生きにくさを抱えていた私にとって”生きる”ということについて考える一助となったことはいうまでもありません。  それから就職のために千葉県へと移り住み、とある人たちと出会いました。彼らはそれまでの私にとって特殊な存在であり、哲学的な思考を実践を持って教えてくれました

        一生、一生

          虫ってキモすぎる

           なんで虫って怖いんですかね。虫が苦手じゃなくなれば、結構私の世界広がるなぁと思っているのですが。意味は何もないのですが、書きたくなったので、虫について書きます。 1  虫キモの記憶3選夜の散歩とフキノトウ  「虫が怖い」と思った原初の記憶は、夜のお散歩でおじさんがでっかいフキノトウを手でちぎってくれたとき。そのフキノトウにはそれはそれは大きな芋虫がついたらしく、それに気づかず家まで持って帰り、玄関の灯りに自分の腹が照らされた時にその事実は判明しました。  想像に難くない

          虫ってキモすぎる