見出し画像

歩いて、見える、表情いろいろ。

 何気なく歩く、その街。何気なく歩く、人たち。何気ないけど、面白いよなぁ、と思うのです。

画像1

 ごく普通の、街角。

画像2

 まちなかの、小川。

画像3

 飲み屋連なる、裏路地。

 これらの地点、ただ歩いているだけなら「ふ~ん」という状況で終わるかもしれません。まあ、それなりに、割とよくある光景です。
 しかし「ここの市は街路樹剪定が『坊主派』なんですよね~」とか、「この小川は数年前まで蓋をされてた『抜け道』だったんですよ」とか、「実はこの路地は正式には『道』じゃないんですよ」とか、この一言があるだけで、見えてくる世界が拡がったりします。街路樹の剪定に流派なんかあるの?とか、小川の蓋を外した理由って何だったんだろう…とか、路地だけど道じゃないってどういうこと?とか、何気ない一言から見え方とか興味の視野が、ぐんと拡がっていったりします。

 以前、まちあるき企画に参加して小さな城下町をみんなで歩いていたときのこと。ごく普通の住宅地で、隣を歩いていた人が「へぇ~」と突然小さな声を上げました。何かと思えば、雨樋の取付け方にクセが見受けられる、と。その方は建築関係を生業とされていて、街をそういう視点で、見ておられたのです。周囲を歩く数人に、色々な土地の「建て方のクセ」とか「庭木の植え方」とかを語ってくれて「この仕上げとかはこの町の大工さん全体の傾向なんだね~」「あ~この窓たぶんこういう意図で…」と解説してくれ、そこからガイドさんの説明そっちのけで普通の戸建民家ばかりを見て「へぇ~へぇ~!」の連発。割とありきたりだった城下町の住宅地が、一瞬にして一大エンターテイメント空間になったのでした。

画像4

 先だって上げた写真の小川、昔は狭いのに抜け道として車が頻繁に通り、危ないからと住民が立ち上がり、安全確保と昔の清き流れを復活させるべく都市計画や住民協定などの勉強を自主的に重ね、それが自治体を動かして「こういうやり方(法の解釈)があるよ」的な助言があって実現した、山岳都市長野らしい水辺の復活と生活空間への転換、なのです。それを聞いていたので、ただの小川にもドラマを感じられたのですね。そして普通の呑兵衛路地に見える空間、これは商業ビル同士が「計算で」生み出したもの。並び立つ2つのビルが「あれ~1階のお店、各店が外壁側を開放的に作っちゃった~」ということで、路地に見えるけど実は道路ではなく店と店との間の単なる隙間。防災面はビル内通路などで安全性を確保しているのでクリアできているという、なかなかのアイデア空間だったりします。姫路駅前に、しれっとこんな空間を生み出した手腕には、脱帽という感じです。出来てから数年経った今でも、この「疑似路地」は「おもしろ路地」として人を集めています。

 歩くところについて、ほんのちょっとだけでも「違った視点」を知ることができれば、まちあるきってどんどん楽しくなっていくのです。たとえそれが、ただの住宅地であっても。

画像5

 この写真。左のお家、ボロボロの板壁の古民家というかあばら家に見えるかも知れません。しかし、この地のことを少し知れば「あぁなるほど」と思うことだらけ。西日本では潮風の影響による防腐効果向上のため杉板の表面を焼いて炭化させたものを用いる建築方法があり、塩害や湿気対策が必要な浜手の住宅によく見られるもの。そして屋根部分まで漆喰が使われていないことと屋根瓦のくすんだ紺色もしくはグレーの色調から、これは東播磨西部の浜手集落の様子だと見て取れます。そして建物の台座が石造で、その石の色が違っていることから、龍山石と呼ばれる花崗岩が使われていることが分かります。龍山とは写真奥に写っている山で、龍山石は古墳時代から著名な石材として切り出され続けているもので、赤いものと青みがかったものが採れるのです。そしてこの石の基礎、すぐ川向うの加古川市街地では見られず煉瓦基礎の家が出てくるのですが、これも産業の関係でみられる景色だったりします(加古川は西洋式毛織物の国内初の工場が出来た関係で煉瓦を使う近代建築文化がある)。

画像6

 これらの情報があるかないかで、印象が違ってくるものです。

 ちょっとしたことで、ただ流し見ていただけのものが意味を持つようになる。それが面白くて、まちあるきが、大好きなのです。

画像7

 また、ふらりと、どこかの街を、ゆっくり歩いてみたいなぁ…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?