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確かさを感じる人


2ヶ月近く前に仕事であったできごとが、大切なことだったような気がしたので、書き残しておくことにしました。

勤め先で、精神障害者手帳をもった方のリワークの担当を引き受けたときの話。(機密性の高い個人情報であるため、話の骨子は変えずにかなりでたらめに書くことをお許しください。)



名前は山田さんとしておこう。
山田さんは私より10歳くらい年上で、発症前まで中学校の先生として働いていらっしゃった。はじめてお会いしたときは、緊張して、トラウザーを両手でくしゃっと摑んでいた。帰りがけに立ち上がると、摑んでいたところにシワが残っていたのを記憶している。

在職中は、子どもたちにも同僚にも恵まれ、上司も尊敬でき、休日も授業のことばかり考えていた。ただ、過労で上司が倒れ、その仕事を引き受けることで自身もオーバーワークに。さらにご家庭の事情も相まって、ある朝、目を覚ますと起き上がれなくなっていたという。

長いうつ状態が続いたあと、ある日突然学校へ行きはじめ、一睡もせずに仕事ができた。おかしいと思った同僚が精神科病院に連れて行ってくれ、障害名が判明。そこから約2年、再び長いうつ症状が続いたそうだ。
うつ症状のときは、コンビニで買ったパスタを電子レンジで温めるだけで酷く体力を使い、メール1本を打つのに2時間かかった。意識はあるのに、目が開かないこともあったそうだ。職場は、自分が抜けた部分を他の教員が穴埋めし、生徒にも心配をかけた。そんな中、ただ目を開けて横になることも難しい自分に「どうしよう」と心の中で叫んでいたという。

ただその後、すてきな主治医にも出会え、「今日できそうなことをやってみる」を繰り返し、今では毎日外出もできるようになった。



そんな山田さんから、実習中に「精神障害者について、企業は必要な存在として捉えているのでしょうか。どちらかというと、ネガティブな印象なのでしょうか」という質問をいただいた。

私は目の前の人にとって不利な情報を伝えるのが、とても苦手だ。こんなふうに言うと、気の優しい人のようだけど、端的にいえば保身のために人の顔色をひどくうかがってしまうところがある。
だから、山田さんには何重にもオブラートに包み、怯えながら、日々自分が見聞きしている情報(それは彼にとって明るい内容ではないものもある)を伝えた。

話しながら「ショックで体調が悪くなったらどうしよう」「こんなふうに思わなくて済むように私はこの仕事をしているのに、結局何もできていないって証明しているみたいだ…」と思った。
話しながらなぜか口の中が苦くて、しびれるような感覚だった。

ただ、山田さんはこう言うのだった。
「ああ、そんなに心配しないでください。僕は大丈夫です。」


大丈夫?


「精神障害者への理解が社会の中でまだ限定的であることは肌感覚でわかりますし、今後も偏見がなくなるわけがないと思うんですね。なんでもそうですが100%って難しい。でも、それが理由で怖がったり、諦めたりはしなくていいなって思うので。ただ事実を知りたかったので、聞いてみました。」

山田さんの瞳は確実に私の目を捉えていたけど、私はどんな顔をすればいいのかわからなくて、結局どんな表情でいたのかあまり思い出せない。ただ、そのとき "どんな病であったとしても、人間の精神は死なないのだ" ということを知った。

精神障害はその名の通り、心の病だと言われてきた。そして、精神障害者を「心の弱い人」と思う人がいたりする。でも、どうだろう。 私は山田さんに確実さを感じた。この人は大丈夫なんだという確実さ。
そうした確かさを得るまでに、どんな時間が流れたのだろう。

こう書くと、彼は障害者ではないとか、軽症化していると言う人がいるかもしれないが、そうではない。実習の1週間目は毎日4時間程度しか睡眠がとれず、頭痛がして俯いていらっしゃる瞬間を何度も見た。精神の堅調さはあれど、機能的な制限が残ることもある。



山田さんは、本当は教育現場に戻りたいと思っている。ただ、今の体力では突発的な対応を求められる学校の仕事は難しいことを自覚している。そのため、一度は定時で帰れるような企業の事務職で働くことを目指している。

「でも、諦めが悪いので。主治医の先生には言っていないのですが、定年までに何とか(教育現場に戻りたい)って思っているんですけどね。」

山田さんが教壇に戻ったら、どんな話をするのだろう。
エモーショナルなことは全然なくて、普通なんだろうなあ。
そんなことを想像した。


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