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結局塾行ってもまともに勉強せんで、その子ともう一人の友だちと話したり、スピッツの歌うたったりとかしてて

インタビューをした時期:2021年 春
インタビューをした場所:東京駅近くのスターバックスカフェ
語り手:お仕事のなかで出会った方(30代男性、自動車が好き)


ー稲葉さんてかなり引越ししてて、今のお住いの環境と幼少期の環境がだいぶ違うじゃないですか。幼少期にいた奄美大島(鹿児島県)とか自然が多い方がいいとかってないんですか?

えっとね、ないですね。あんまり奄美の自然でいい思いしたことがないんで。住んでたところが山なんですけど、絶対自転車じゃ登れない坂なんですよ。帰るのもめんどくさいし、車酔いもするんで。しかも、海行っても僕泳げないんですよ。海が綺麗っていうインプットはありましたから、関西来たときに、須磨海浜公園に行ったときに「泥水やん」て思ったくらい差がありました。でも、自然が好きかって言われたら全然好きじゃないです。

ー奄美から尼崎(兵庫県)に引っ越したのは小学生の頃?

それくらいかな。そっから社会人一年目までは尼崎ですね。

ー転校生になりますけど、学校にはうまく馴染めました?

関西でしょ、転校したらいじめられるっていうのが怖かったんですよ。「友だちつくらな」っていうので頑張りましたね、その当時は。転校してすぐのとき、席がコの字型の配置やったんですよ。冬やったんでタートルネックのトレーナー着てた男の友だちが対岸におって、その子がタートルネックをあごまで引き上げて顔隠してたんすよ。それを見て僕も同じポーズをしたら、友だち「お前おもろいな」って言ってくれて。そのとき「おもろかったらこの国、国というか地域は話しかけてくれるのかな」と思って。

ーそういう無言のやりとりって親密になりますよね。

そうそう。

ー中学校もそのまま地域の中学校に?

そうです。やんちゃが集まる学校でしたね、本当に。窓ガラス割ったりとか、授業中に廊下走ったりとか、携帯禁止なのに携帯持ってきてそれが許されている悪い集団がいて。先生たちと乱闘するくらいなんで、先生たちも何も言わないみたいな。奴らは「何見てんねん、ちょっとお前来いや」みたいなんが口癖です。

ー学校の中にライオンいるみたい。

俺らからしたら「来んなよ!」って感じですよ。授業も受けへんし、害しかないのに。でもあれですよ、卒業式3日前くらいかな?トイレでめちゃくちゃボコられましたけどね。

ーなんで?!

卒業式の時期って文集つくろうってなるじゃないですか。で、掃除の時間に女子たちが文集をつくりたいって言ってたんですけど、男子は遊んでたんですね。僕は学級委員長やってて、黒板と黒板消しを綺麗にしてたんですよね。もう使わへんし、綺麗にしとこみたいな。で、文集つくりたいって言っていた女の子が悪い集団の彼女だったので、彼氏に言ったみたいなんですよ。そしたら、男子全員がその彼女の言い分を聞いていなかったということで、クラスの委員長である僕に矛先が向いたんです。その彼氏から「お前ちょっと後で来いや」って言われてトイレ連れられて、普通に殴られて。でも、その悪い集団の中にも一人仲良い子がいたんで、その子が止めてくれて帰ったって感じ。だから本当にヤンキーとか嫌いなんですよ、僕は。

ー中学校のときの学校以外の思い出に残ってることってありますか?

中学校でしょう? 正直、学校以外のことでいい思い出はあんまりなくて。母子家庭で引っ越してきて、おかんも病気になっちゃったこともあるし。お金ないし、ご飯食べれないし、光熱費が払えなくて、電気も水も出ないときもあったし。野球やらせてもらえたのはすごい嬉しかったんですけど、お昼ご飯代も300円だったんですよ。なんで8枚切りの「バターシュガー」っていうのが40円で売ったんで、それを買って残りは貯めとくっていうのをずっとやってたんすけど。

ー「バターシュガー」ってパンですか?

食パンを斜めに切って三角のやつ。これが40円で売ってて、一番安いわってことで、飲み物も買わずにね。それだけ昼飯して、野球部活活動をして、260円をしっかり毎日毎日貯めてみたいなことをやってて。

ー貯金しておいたお金で友だちと遊んだ?

そうですそうです。友だちと遊ぶのが楽しかった。ただ、お金持ちすぎても兄貴に取られちゃうんですよ。同じ部屋やから隠しているところもバレるし、小銭やからチャリチャリいうじゃないですか。タンスの奥にしまったところで「あいつ今日金持ってるな」って。だから、貯めなあかんけど、兄貴に取られるんで使わなあかんっていう変なロジックが出来ちゃって。

ー大変なやりくりをしていたんですね。

でも、中三の冬にすごく魅力的な友だちができるんですよ。中三の冬っていうと受験まであとすぐですから、高校行けへんくなったら怖いっていうことでおかんにお願いしたら、塾行かせてくれて。そんとき塾を紹介してくれたのがその子。結局塾行ってもまともに勉強せんで、その子ともう一人の友だちと話したり、スピッツの歌うたったりとかしてて。その子は服もかっこよくておしゃれで「俺の着いひん服あげるわ〜」とか、友だち思いな子だったんですよ。境遇も似ていてその子も母子家庭で男三兄弟なんすよ。でもすごい明るかったんす。こういう子もいるんや〜って、それで惹かれあって。

ー素敵な人なんですね。

そう。無事その子も一緒の高校に入学して、僕は野球したかったんですけど、おかんから金ないからやめてくれって言われちゃったんですよね。で、その友だちも「俺もバイトすんねん」ってなって一緒にタウンワークみて、一緒に受けに行ったのがデニーズで、その日で採用になったところからバイト人生が始まるんですよ。

ー労働の日々?

週五労働の日々です。でも、振り返ってみたらデニーズでやってきたことが今でも生きてるなと思います。「やったろう」精神が身についたというか。


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ーデニーズの話聞きたいです。

僕は最初キッチンから入って、友だちは洗い場から入ったんです。高校一年生くらいの年齢だと、バイト終わったら何もしないじゃないですか。「お疲れさましたー!」とか言って。それを続けていたらある日、アメリカンクラブハウスサンドをナイフで切ってるときに、店長に突然「てめーおせーんだよ、さっさと出せよ」ってめちゃくちゃ怒られて。その日もシフトの時間が終わってすぐに帰ろうとしたら、店長から「は〜帰るんだ。ろくに仕事もできないのに帰るの」って言われて。

ーうん?

わけわかんないじゃないですか、もう仕事も終わってるのに。「は〜お前なんも勉強もしないのに帰るんだね。俺だったらありえないわ」って言われて、関西人のくせして標準語でそのときだけしゃべるんですよ。それにめっちゃイラってして、もう荷物投げて残って勉強したんです。そのときの想いとしては「こいつ見返したろ」って。その日からバイト入ってなくてもメニューマニュアルを見ながら勉強しました。覚えたものを自分でつくって食うってこともしました。だから食いたくないものも食ってたりとか。そうやってたら、ある夜に店長が来て「お前なんか飯食っていけや」みたいな感じですごい優しい言葉を話しかけられたんです。そのとき店長のことは嫌いやったんで「チッ」て思ってたんですけど(笑)

ーそういう人から声かけられるの嫌ですね。

でもそんとき店長に言われた言葉が今も残ってて、店長から「頑張ってる奴は応援したいけど、頑張ってない奴に対しては俺は応援したくない」って言われたんすよ。ああ、自分はあのとき頑張ってなかったんだ。で、今は頑張ってたから認められたんやって。しかも、気づけば自分もめちゃくちゃつくれるようになって、仕事が楽しくなったんですよ。そのことがあって、人は理由があって怒るっていうことと、仕事は楽しくできるように教えたらええってことを学びましたね。

ーたしか高校生のときから社員の育成とかもしてたんですよね。

そうそう。楽しくなかったら続かないじゃないですか。なので、まず楽しくさせてあげよう。楽しくさせるためには仕事がおもしろいと思わせないといけないから、当然ふざけたことを言ったりとか、その子のために教える時間を使ったりとか。その子が「こんなに教えてもらえる環境だったらやっていけるかも」って状態をつくり出せば、やめる子もいないし、もっと楽しくなる。で、僕自身も他の人にやってもらえれば自分が楽になって、他のことができるようになってそれが成果になる。そういうのっていいよねって思うタイプなんで。

ーバイト以外、高校の中で記憶に残ってることってありますか?

僕、高二から一人暮らししてるんすけど。

ーへ?

ゆうても実家からめちゃくちゃ近い距離で住んでましたし、お風呂とかは入りに行ってましたし。えっとーね。母子家庭で親が働けないといくらか手当ってもらえるんですよけど、それは世帯に稼げる人がいないっていう前提なんですよ。でも僕が働いてたのがバレちゃって、こいつ年間103万円以上稼いでるやんみたいな。そしたら、親から「手当もらわれへんやん」て言われて、住んでる世帯を別にしないといけなくなったんで、同じアパートの違う部屋に住むことになったんです。

ー一人暮らしはどんなんでした? 学校もあって大変じゃなかったですか?

まず全然大変じゃないです。飲食店で働いてたんで、土日飯食えるじゃないですか。中学校のときに比べたら、バイトのおかげでお金周りがよくなって「お金ってすごい」って思いました。飯も食いたいときに食えるし、友だちとどこかへ行っても気にしなくていいし、自分の好きなときに髪の毛切りに行けるし。ぜんぜん苦じゃなかったですね。やし、もともと一人の方が好きっていうのもあったんですけど。

ーお金があると自由にできるからいいって思ったんですね。

そうっす。よくないんですけど、高校一年生のときにお金があって、友だちにおごってたんですよ。そしたら、友だちがたかるようになってて「稲葉についていけば昼飯食えるぞ」「ジュース奢ってくれるぞ」みたいな声が出てきたんで、そっから一切やめたんですけど。だからって友だちと仲悪くなったわけじゃなくて「家に入れるお金多くなったからごめんねー」みたいな感じで嘘ついて。


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ー大学行くの迷いました?

迷いました。将来高卒やったら働けるのかわからなかったんで、高校三年の途中くらいでやっぱ行こうって。おかんに話したときに「学費は払われへん」て言われて、でも学費ってすごく高いからバイトだけじゃさすがに無理だしなって思って、自分で調べて奨学金借りて。

ーうん。

僕、社会人になるときの夢っていうのは、お金持ちになりたいっていう、貧乏になりたくないっていう一心でした。僕のお金持ちって高級車が欲しいとかいい暮らしがしたいとかじゃなくて、毎日ご飯が食える生活がしたいんです。物欲も趣味もないんで。

ー就職してから関東に?

そう。最初は横浜、そのあと大阪行って、埼玉行って、横浜行って、今って感じです。この前数えたら13か14回引っ越ししてましたね。

ー本当によく引っ越ししてる。でも、稲葉さんてどこに行っても人と仲良くなりますよね。

うん、そういうタイプですね。

ー仲良くなり方ってあるんですか?

人のことを否定しないことですね。僕ピュアなんで、自分が言われたら嫌なことは言わないっていうのは気をつけていた気がしますね。みんな否定されたくてやってるわけじゃないし、一生懸命やってると思うし。こいつわざと殴ったって思うことは僕はなかったんで。そういう人いるとは思いますけど、たまたま当たったとか、たまたま傷ついた言葉を言っちゃったみたいな。でもそれって言われたときショックだけど、気づかなかっただけだと思うし。僕自身も誰かにとって嫌がることをしたことってあると思うんですよ、気づかずに。でもそれは気づかずじゃないですか。

ー悪意を感じるってことはないんですか?

それこそ本当に一部の人はいますよ。中学校で暴力をふるってた人とかは、悪意を感じましたよ。でも、それ以外の人では一切感じないですかね。その概念ないっす。

ーきっと何かの要因が重なってそう言ってるんだと思える?

そうですね。本当に悪意があるのか、たまたまなのか、それとも僕のことを思って言ってくれてるのかっていうのはわかるじゃないですか。僕はそれが普通だと思ってたんですけど。

ー優しいってよく言われると思うんですけど、それについて考えたりします?

あーそれはね、考えても一つしか出てこないですね。

ーえ?

もう笑ってるでしょ(笑)はははははは!

ー何(笑)?

名前に「優」しいって漢字が入ってるから!


<執筆後記>
インタビューさせていただいた稲葉優さん(仮名)は仕事をする中で出会った方です。お嫁さんとの出会いやアルバイトの話などを折にふれ聞くことがあり「なんでこの人は他人に主権を委ねていても充実しているのだろう」と思っていました。ただ「人当たりがいい」と形容される以上の、不思議な魅力がありました。話を聞くなかで、さまざまな土地に移り住み、家庭や学校、職場などのコミュニティのなかを渡り歩くなかで身についた思考回路-それは本を読んだり頭で考えたりするのとは違う、経験でしか身につかないような考え方-をもちそれが稲葉さんの魅力になっているのだと思いました。以前どなたかから「役者は演技のうまさではなくて”文脈をもった身体”であるかどうかで決まる」という話を聞きましたが、稲葉さんはまさに文脈をもった身体です。実際、一度役者になろうとオーディションを受けたことがあるそう。なにそれ。興味の尽きない人です。

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