見出し画像

市民のためのスカイウォーク Skywalk for Citizen #11

前回は↓こちら。時系列で言うと、この回が最終回です。

T 今日(2021.7.4)は第11章 第二次世界大戦とアジア太平洋戦争を取り扱います。今日はアメリカ独立記念日、7日は盧溝橋事件の日、14日がフランス革命。

K バスティーユやな。

T そして18日はわたしの結婚記念日。

K おめでとう(笑)

T さて、最終回、デザート回です。

Y 最終回ですねようやく。

T 完走できると思ってなかった?

Y いや、完走はするだろうけど、こうやって毎回のテーマのところに付箋を貼っていったら、ついに全部貼ってしまった。

T 勉強した感あるな。

Y ヨーロッパの方は頑張るから、太平洋戦争は任せた。

T なんでやねん(笑)

◆戦間・戦中期の条約秩序

Y 最初のテーマ、ヨーロッパの戦争までの流れで、忘れていたり知識がごっちゃになっていたりするので整理したいけれど、軍縮会議や安全保障をテーマとした会議や条約が色々と出てくる。ヴェルサイユからスタートしてサンフランシスコ講和まで、どんなのがあったのかを時系列でさらっていきたい。ぼくの理解では、ヴェルサイユ、ワシントン、パリ不戦条約、間にロカルノが入って、ミュンヘン会談、ここから船の上でやった大西洋憲章、カイロ、ヤルタ

T 今挙がった中だと、ミュンヘン会談だけ覚えていないな。

Y ダラディエとチェンバレンがドイツの好きにして良いよと。

K 宥和政策のところやな。で、スターリンが呼ばれなくて、「何でおれ呼んでくれへんねん」みたいな風刺画がある。

Y 拗ねちゃうよ。

K テストで結構聞くことが多い。この人は誰でしょうとか、この国はこの後どういう行動を取ったでしょうとか。

Y ムッソリーニは呼ばれているんだ。

K 呼ばれている。スターリンだけハブられている。

T スターリンはここで何と言っているんですか。

K 英仏がそんな態度を取るんだったら、ドイツに接近するよ、ってことやな。

Y スターリンの気持ちは分からない(笑)

K ドイツを牽制しようと、英仏ソで団結するはずなのに、俺を無視してそんな会談をするなら、俺はドイツに接近するという。で、結局接近する。38年にミュンヘン会談だけど、39年に独ソ不可侵条約を締結する。Yの挙げてくれた色々な会議は、開戦前と開戦後で整理した方が良くて、開戦前は軍縮条約で、どうやって戦争を始めないかの会議だけど、カイロとかはどうやって戦争を終わらせるかの会議

Y ワシントン体制は海軍の船の話というイメージ。

K 軍縮体制についてはヴェルサイユとワシントンに分ければ良いけれど、ヨーロッパのことを規定したのがヴェルサイユで、日本を含めて太平洋のことも規定したのがワシントンかな。

Y 分かりやすいですね。

K 特にワシントンは、牽制する対象が日本になっている。今日の範囲には出てきたかな。英米日のパワーバランスを調整するのがワシントン。

Y ワシントンは出てきたっけ。

K 並行して違うテキストを読んだから交ざっているかもしれない。

Y そうすると、ロンドン軍縮はどこに当てはまるの。ヨーロッパと日本。

K 海軍だから日本かなと捉えているけれど。ロンドンでは英:米:日を10:10:7にした。日本の牽制の流れの一つやな。

T ワシントン条約の後の四カ国条約で日英同盟が破棄されるけれど、そのときのイギリスの思惑はもうちょっと複雑じゃないのかな。日本とイギリスは日英同盟を続けても良かったと思っていたと思うけど、アメリカが嫌がったという理解をしていて。

K 世界史の話の中で言うと、二国とか三国の同盟関係があったから第一次世界大戦が起こってしまった。だからそういう二国間同盟は止めて、もっと複数の国際連盟レベルの参加国で決めていきましょうという文脈です。

T なるほど、国際協調の時代への変化ということね。

K そうそう。そこを国際連盟が出来ましたというのと対比させて二国間同盟を止めました、という説明にしている。まあそれだけではないのは分かっているけど。イギリスも日英同盟を置いておいて良いと思っていたのかな。

T 同盟存続は検討していたらしい。日英同盟がアメリカに破棄させられた印象があったので。ワシントン海軍軍縮条約では、アメリカ・イギリスが5,日本が3,フランスとイタリアが1.67の比率で、ロンドンでは日本の割合が若干上昇しているけれど、ここで思ったのは、イギリスはシーパワーの国だから5取るのは良いんだけど、アメリカが普通に5をとれるくらいに台頭してきているということなのかな。テキストにもこの時代にようやく「アメリカは債務国から債権国になった」と、第一次世界大戦における欧州の退潮を尻目に台頭したというパワーバランスの変化が言われるけれど、それが一つアメリカの5という数字に結実している気はする。高校生の頃は「アメリカは世界一の超大国だから5取って当然」と思っていたけど、よく考えるとアメリカはこの時点で海軍力がそんなに必要だったのかな。在外植民地をそんなに持っているわけではないのに。

K 確かに。

T だからイギリスが5で、日本とアメリカが3とかでも良かったと思うけど。アメリカが5を得ることで何を狙っていたのだろう。もちろん中国の門戸開放は引き続き狙っていくんだろうけど。

K アメリカはこの海軍を使って何をしたかったのかということね。やっぱりアメリカはヨーロッパの事情に関わりたくないとは思っていると思う。だから植民地は欲しかった。

T 中国が欲しいだけなら、シーパワーが過剰じゃない? イギリスみたいに日の沈まない帝国を作っていたら、大量の海軍力が必要だけど、中国だけならそんなに要らない気はする。

K 確かに、ここで5にした目的は何か。

T まあ理念的な面というか、これからアメリカがリードしていく意思の表れという側面はあるかもしれないけど。

Y このときのアメリカの植民地は、フィリピンくらい?

T 棍棒外交でセオドア・ルーズベルトがカリブ海を取っているよね。

K でもカリブ海にはそんなにライバルはいない。

T ライバルがいるから海軍が必要だとすると、中国進出に必要だったのかな。フィリピンの防衛にそんなに必要だったのかな。

K フィリピンにはそんなに要らないんじゃないかな。

Y 本土から離れているから。太平洋は広いぞ。

T それはあるかもね。他国の領域を通らずに植民地と交通するために、航続距離が長いかあるいは交代要員の豊富な海軍力を持ちたかったのかもしれない。

Y この時代はまだ飛行機が船を沈められるとは思っていない。日本がマレー沖海戦でプリンス・オブ・ウェールズを沈めたのが世界に衝撃を与えた。まだ大戦艦時代だったから。

T 建艦競争時代だね。

Y 戦力=海軍みたいな意味で、戦力を誇示したかったというのはあるのかな。

K 教科書にもそこまでは書いていないな。

T 5:5:3を所与の前提とし過ぎているから、アメリカがこのタイミングで大国になったという印象を持ちにくいのではないかな。

K アメリカが第一次世界大戦後に大国になったというのは、大衆社会の話で扱うんだけど。1920年代のアメリカの繁栄。でも高校生にとっては確かに、アメリカってもとから大国だったんじゃないのか、とならないようにもうちょっと丁寧にやらないといけない。

T テキストではベイブ・ルースが現れて、先日オータニサンがベイブ・ルースの記録を102年ぶりに破ってニュースになりましたが。

K それタイムリーなネタやな。

T ベイブ・ルースから102年も経ってるねんなという。

K 102年と教えておくと、じゃあアメリカ繁栄時代は1920年代やなと覚えられる。素晴らしい。

Y まとめるとヨーロッパがヴェルサイユ、ロカルノ、パリ不戦。日本を含めるとワシントン、ロンドンで四カ国、九カ国条約、戦後処理と戦後の安全保障を考えたとき大西洋憲章、カイロ会談、ヤルタ、ポツダム、という感じかな。

◆「あの戦争」の呼称論

T 条約シリーズで言うと、塘沽停戦協定ってあるじゃないですか。

Y それは思った。

T 世界史でやらない? 日本史でしかやらないかな。

K 出てきたよ。このあたりは1回しか教えたことがないから記憶が薄いけど、黒板にその漢字を書いた覚えはある。

T 戦争の呼び方論がテキストのP251にあったけれど。「日中戦争」「十五年戦争」「アジア太平洋戦争」「大東亜戦争」「第二次世界大戦」と色々あるけれど、少なくとも「十五年戦争」はミスリードではないかな。塘沽停戦協定があったから、その時点で満州事変からの流れは切れているよね。

Y 確かに。

T 盧溝橋事件がもしなければ、日中は対峙したまま戦争状態に陥ることはなくて、そうすると資源を求めて南部仏印に行くこともなくて、太平洋戦争になることもなかった。盧溝橋事件が日本の戦争参加の必須条件になっていて、満州事変からカウントするのは違う気がする。

Y 切れているよな、塘沽停戦協定で流れが。満州国の国境を提示したんだっけ。

T 内容をどう教えているのか。

K 教科書に載っていないかも。

Y 植島先生のプリントでは満州事変を終わらせたのが塘沽停戦協定とされていた記憶があって。

K すごい記憶力やな。

T プリントベースで覚えているのは凄いな。欧州はリットン調査団を派遣してごちゃごちゃ言うてくるけど、一応塘沽停戦協定は静観していて、そこで片が付いている。

K それじゃあ、ちゃんと教えるわ。でも教科書に載っていない。書いた記憶があるのは、そのときに入れておかないと、と思ったのかな。トピック的には満州事変の項目と日中戦争の項目は分けられているけど、塘沽停戦協定で終わったとまでは書いていない。

T 「十五年戦争」って言いたいだけとちゃうの、語呂が良いから。

K 満州国が出来てから盧溝橋事件までの間は別に戦ってないよな。

T なにもしてない。

Y 上海事変はその辺じゃない。まああれは一方的なテロみたいなものだけど。

K それは内戦だから、日本も間接的には関わっているけれど。

T 中国の認識の中で「抗日戦争」は「1937年から45年までの8年間」と日中戦争以降、と思っていたら中国共産党は2017年に抗日戦争の期間を「1931年から1945年までの15年間」に改めるとの通知を出したらしい。

K じゃあこれは中国にとっての表現なのか。

T 中国にとって見れば「十五年戦争」と言っておく方が、都合が良いのか。満州事変から塘沽停戦協定まで、そのときは外交で納得していた内容を蒸し返すことで、日本に対して国益を主張できる。

K 中国にとって、日本に侵略されたのがこのときからであった、と言いたい気持ちなのかな。

T それで言い出すと対華二十一箇条要求の時からずっと日本は中国に権益を拡大しようとしているわけで。「国恥記念日」と中国では認識されているし、そこからずっと継続しているはずなのに、1931年をポイントに置くのは何故なのだろう。

K ああそっか。だったらもう1915年から括っておけということか。

Y 「三十年戦争」になる。

K 長いな。

T そうそう。第二次世界大戦は特にヨーロッパで勃発している理由は、第一次世界大戦の戦後処理に失敗しているからだから、1910年代から継続している問題がやっと45年に解決したというか。

K 一段落を迎えた。なるほどな。どこをポイントと捉えるか。

T どこをポイントと捉えるかはけっこう政治的な部分があるということ。

K 「十五年戦争」は確かに。

T 中途半端。「三十年戦争」もしくは「七年戦争」だね。

Y どちらも西洋史にあるな。

T そうそう(笑)

K それ生徒に教えてみようか。

Y 混乱するぞ。

K アカンか。一周目の方々には言ったらアカンな。ただでさえこのあたりはややこしいもんな。でもそっか、日本史もやっているとアツいな。

Y 俺は日本史取ってないけど。

T 日本がようやく国際外交の舞台に登場するからね。戦争の呼び方問題で言うと、「大東亜戦争」というのは大東亜共栄圏を形成しようとした日本の計画に基づいた呼び方で、Yはそのように呼びたいのかも知れないけれど、1941年12月8日の時点では「大東亜共栄圏」とは言っていなくて。

Y 言っていない。

T 1943年くらいになってから弥縫的に言い出したという印象があります。だとすると少なくとも「大東亜戦争」と呼称するのは後付けでしかないと考えます。

K 日本国内では戦時中、大東亜戦争のキャンペーンはしていたみたい。授業するときに調べたけど、大東亜双六とか、子どもたちに戦争の大義名分を「大東亜の仲間たちを帝国主義から解放する戦いなのである」と教えて、国内で宣伝していた形跡はある。

T それはいつくらいの時期なのかな。

K 真珠湾よりちょっと後のはず。

Y 「大陸行進曲」という軍歌があるんだけど、それが1938年。真珠湾より前。

K それはどういうものなの。

Y 大東亜を興すと言って、日本が中心となって欧米に占拠されている大東亜で民族の自我を確立させるテーマになっている。

K へえ。もっとインドシナに進駐した後だと思っていた。

Y 3,4番の歌詞が「3思えば永く立ちこめた/平和をみだす雲と霧/いまはれわたる大陸を/共に行く日はもうすぐだ」「4そうだ情けの手をとって/新たにおこす大アジア/友よいっしょに防共の/堅い砦を築くのだ」となっている。

K すごいな。すぐこの歌詞を思いつくの?

Y そうやね。「平和を乱す雲と霧」というのは東南アジアに来た欧米列強のことだと思うんだけど。

T いやー、これは東南アジアじゃないと思うな。北東中国のことだと思う。

K タイトルの「大陸」という言い方自体が、「島々」だったら分かるけれど。

Y ああ、そっちか。

K 4番だけだったら「大アジア」で、東南アジアも含むかもしれないけど。

T 「大アジア」も結局、中国のことだけじゃないのかな。

K 「友よいっしょに防共の」は国民党に肩入れして中国共産党を一緒に倒そうみたいな。

T 中国国内に限定してという気がする。もちろんその時点で「アジアに一つの秩序を打ち立てる」という理想はあったにしても、領域的にそれを東南アジアに拡張していこうという発想は後付けな気がする。

Y なるほど。

K いつ頃から「大東亜共栄圏」を言い出したのかは確かに分からないな。でも「南方進出を行った後に、日本による占領支配を正当化するために」という大東亜共栄圏コラムが教科書に書いてあるな。

T ひとつのエポックは1943年に大東亜会議を開催して大東亜宣言を採択した。

K 43年の時点ではそう思っている。

T 43年になって、進出していくためのイデオロギー的な整備をし始めている。でも1941年12月8日の時点ではあんまり意識していなかった。

K それはそうだと思う。

Y これはどうだ。「大東亜決戦の歌」は1942年3月。これの1番に「一、起(た)つや忽(たちま)ち撃滅の/かちどき挙がる太平洋/東亜侵略百年の/野望をここに覆(くつがえ)す/いま決戦の時来(きた)る」とある。これは12月8日のイメージ。

K 「東亜侵略百年の野望をここに覆す」の100年というのはどこを指すのか。

T イギリスを始めとする西欧列強かな。

K そういうことやな。

T 100年のイギリスの侵略の野望を覆すマレー沖海戦を賞賛している。

Y 4番を見ると、「四、いざや果たさん十億の/アジアを興す大使命/断乎(だんこ)膺懲(ようちょう)堂々と/正義貫く鉄石心/いま決戦の時来る」

T 1942年3月の成立か。ミッドウェーが6月だっけ。

Y ミッドウェーは6月だね。

T この時点ではイギリス帝国主義を悪と見なすことによって、これを跳ね返した日本を正義のヒーローに位置づけることまでは行っている。

Y 制作の背景が、大東亜戦争開戦の翌日に募集され、5日後の12月13日に締め切られた。歌詞は開戦直後に募集されているイメージ。

T なるほど、だからこの時点で、「西欧の植民地化を解放する」というところまでは打ち立てていた。そこから「共栄圏という新秩序を打ち立てる」という発想に拡大させるに至るまでは、もう少し時間を要したということかな。43年に「共栄圏」となっていく。

K なるほど。

T 軍歌から見る日本の戦争目的の変化は面白いですね。

K 軍歌に濃縮されているんやな。軍歌はメモっておこう。その2曲。「これらの軍歌から戦争目的はどう読み取れますか。」という問題が作れる。

Y そんなことしたらまたPTAから怒られるよ。「軍服教育するのか」って

K 来年以降ですわ。学習指導要領が変わって、色々な資料から読み取ることをさせないといけなくなるから。今年はしないでおく。でも軍歌もまた一つ、重要な資料であると。

T なのでわたしは「十五年戦争」と「大東亜戦争」という呼び方には異を唱える立場です。

Y 「アジア太平洋戦争」派ですか。

K それが一番無難よね。

Y 領域としては一番大きいからな。

T 私は「第二次世界大戦」派かな。それが一番ニュートラルだから。

K それは間違いない。

◆五カ年計画の穀物が収奪された

Y ソヴィエトの五カ年計画に関して、これはぼくの知識不足で申し訳ないけれど、第二次五カ年計画がテキストに登場するけれど、その中身についてよく分かっていない。

K まずは年表で。第一次が1928年から32年、第二次が1933年から37年。

Y 今は何でもあるな、世界史の資料集。

T コルホーズとソフホーズというワードの印象は強いけど、第一次はNEPだっけ?

K いや、NEPは第一次より以前。戦時共産→NEP→第一次→第二次。

Y 第二次の「社会主義建設の完了」というのは抽象的な表現をしている。

K そうですね。高校世界史では第一次のコルホーズとソフホーズだけ紹介して、第二次もあった、みたいに流すな。

Y 第一次は世界大戦時の不況のタイミングと重なっているから、持ち直しみたいなイメージで紹介する感じ?

K ソ連は第一次世界大戦後も不景気にならなかった。折れ線グラフを見ながら「なぜ影響が少なかったのか」「社会主義だったからですね」と、資本主義国ではなかったから影響を受けなかったというところから入るんだけど、戦争中の戦時共産主義がキツかったから社会主義政権に対する不満が国内に出てきてしまったので、いったんNEPをしている。その後五カ年計画だから、大戦後の不景気への対応じゃなくて、このあたりからスターリンが出てきて、対立したトロツキーを排除して、満を持して五カ年計画に入った。

Y 消されたトロツキーね。

K そうそう。写真を加工された。

T コルホーズとソフホーズで育てている作物は何だったの、小麦?

K ロシアやし小麦やと思っていたけど。他に何が育てられるのか。

T Wikipediaにキャベツって書いてあったから。まあでも普通に考えたら小麦か。

K コルホーズとソフホーズの違いとかはまとめてあるけど、何を育てていたのかは。

Y たぶん穀物だな。

T テキストの中で、いくつかの戦争の位置づけがあった。まず民主主義と共産主義、次に帝国主義の再分割、第三に民族主義、というのがあるけれど、ことドイツについて言えば、『独ソ戦』大木毅という新書が発刊されていますが。

K 話題になっていたな。

T 2019年かの新書トップ10に入っていた。

T ここでドイツがソ連に侵攻した理由の一番大きいのは、食糧の確保だったと書かれている。

K その食料が何だったのかということか。

T まあ小麦なんだろうな。

K キャベツを奪いに行かないやろ。

T ドイツの将兵一人あたり一日3,000kcalを与えるというのがドイツ軍の命題になっていたらしい。数値目標を立てるのがいかにもドイツ人という感じがするけど。

K 確かに。それ面白いな。しかもわりと近現代の話だけあって、現代から見ても理に適った数値やな。

Y ちょっと多いかな。

T 2,000kcalくらいか。でも戦争は運動だからね。

Y マッチョな兵士たちには3,000くらい必要か。

T プロテインを与えよう。

K 闘って貰わないと。

T 面白いのが、ドイツはヒトラー以降軍縮を捨てて再軍備をしていくけれど、当時は財政力も労働力もそれに足りていない。一般的に軍備を拡張するときに必要な財政力が足りていない場合、軍備をいったん置いておいて、貿易にシフトして国を富ませてからもう一度チャレンジするか、もしくはさっきのソ連みたいに国民を思いっきり統制して、勤労奉仕させるという二つの方向性があるけれど、ドイツはどちらの方法もとらなかった。もちろん再軍備は急務だから放棄することはできないけど、でも意外なことに、勤労奉仕にも向かわなかった。

ではどうしたかというと、赤字垂れ流しで軍備拡張して、それを穴埋めするために帝国主義的な拡張をした。それが独ソ戦の本質だと。ソ連の国民を飢えさせてまで食糧を収奪するのが合理的な政策になってしまった。だからドイツ人は1944年くらいまで、戦時中にもかかわらずそんなに暮らしは苦しくなかった。そこが日本とは対照的な点。日本は国家総動員法のタイミングで総力戦になって勤労奉仕の時代に入って、「欲しがりません、勝つまでは」になっていくけれど、ドイツ国民は国家による帝国主義的収奪と共犯関係に立って、そこはドイツ人はより反省すべきポイントだと思う。

K より反省すべきところやな。その辺の比較はあんまりしたことがなかったな。戦時中の国民生活みたいな。

T 日本は戦時中の苦しさをクローズアップして、それも「二度と戦争をしてはいけない」一つの理由にしているけれど、ドイツのように帝国主義的収奪によって労働力を本土に連れてきて、ソ連人やポーランド人やウクライナ人を強制的に連れてきて、軍備拡張のための労働力として強制労働させることでドイツ人はそれほど苦しくないという戦時体制も実は成り立ち得た。でも日本も実は朝鮮人とかを連れてきて、勤労奉仕させていたよね。

Y 大学の授業でやったよ。中国人強制連行問題。

T 強制連行と強制労働というのは、戦時中においては合理的な政策なんですよね、すごく。人道的にはダメなんだけど。

K でも日本は強制的に連れてきた割に、日本人もしんどかった。

T そう考えると日本は、満州国に進出して、コーリャンしか生らないような不毛地帯にコメを育てようと開拓していくけど、そこからの収奪は限定的で、一方のドイツはソ連からの収奪がある程度上手くいっていた。

K 食料を獲れたのかどうかなのか。

T それがソ連のコルホーズとソフホーズに端を発しているのかなとちょっと思った。

K それがドイツに役立ってしまった。それが繋がると面白いな。五カ年計画がドイツの役に立ってしまった

T ドイツの1940年代前半の豊かな生活に、ソ連の五カ年計画が資したのではないか。日本はコルホーズとソフホーズからの収奪が出来なかったが故に、戦時中の国民生活は貧しかった。

K でも日本も東南アジアに行っていて、コメは獲れなかったのかな。それは時期が少し後なのか。

Y ベトナムはフランスと共同統治って書いてあったけど。

T 東南アジアからも強制連行していたの?

K その印象は薄いな。連れてきたかどうかは分からないけど、現地で泰緬鉄道を造らせたりはしている。

T それは現地の軍にしか資してなくて、国民生活には関係ないね。

K ああそっか。イメージだけど、ドイツがソ連から小麦を獲っていたんだったら、日本も東南アジアからコメを持って来られたんじゃないかなと思ったけど。

T 確かにね。

K でも日本軍のためのコメになって終わったのかな。

T あとは、ドイツは占領した地でソ連人を虐殺しているけれど、日本人は東南アジアで虐殺はしていないのではないかな。だとすると現地人もちゃんと食べさせないといけない。ドイツはソ連人を食べさせる必要がなかった。

K 日本による東南アジアの虐殺はどうだったんだろう。

T 南京大虐殺みたいなのがあったのかもしれないけど。

Y 日本史選択者に質問したいんだけど、平沼騏一郎が内閣を総辞職した「欧州情勢は複雑怪奇」のとき。

T 独ソ不可侵条約ね。

Y そうそう。あれはなんで総辞職するまでのレベルの衝撃だったのかが分からない。別にええやんと思うんだけど。

T 日本からすると、その前段、1939年にノモンハン事件がある。

Y ロシアとモンゴルの国境で。

T あれはほぼ戦争レベルの大衝突だったけれど、なぜソ連と戦っているかというと、ずっと防共していたからで、共産主義の視点は階級闘争で、労働者と資本家を国内分断させるというのが中核的なイデオロギーだけど、それは国民国家と相性が悪い。

K 国民国家は「均質な国民」という前提だからね。

T 共産主義に反抗する形でファシズムが台頭してきている。ファシズムと共産主義はイデオロギー的に相容れない。そう信じていた日本はノモンハン事件で衝突したし、ドイツもそれに当然乗っかってくれると思っていたところが、不可侵条約を締結されてしまった。だからノモンハン事件に大量の国富を投入していた内閣としては、「なんたることだ」という衝撃があったということかな。

Y なるほど。裏切られた感があった訳ですね。

T でもやっぱり独ソ不可侵条約は一時的な時間稼ぎに過ぎなくて、それを破ってドイツは侵攻していく。それは食糧問題もあったけれど、ドイツ自体も一生懸命ファシズムで国家統合を図ったけれど、階級闘争はやっぱりどの国にもある。農村と都市とか、資本家と労働者とか、ドイツはあまりなかったかも知れないけど貴族とか、エスタブリッシュメントと無学層とか。それをいったん覆い隠して、ヒトラーがファシズムで束ねて行くにあたって、共産主義を仮想敵にするのが一番分かりやすい。そうやって分断を覆い隠して見かけ上の統合を図っていったがゆえに、ソ連侵攻の態様を過激化させてしまった。国家自体もイデオロギー闘争として戦争を行うし、国民や兵士も国民の敵である連中に対して過激な虐殺に結びついてしまった。

K それが『独ソ戦』における説明ね。

T これが『独ソ戦』の内容です。収奪戦争であり、世界観戦争であった

K 読みたくなるな。

T 軍事オタク寄りの部分もあるけど、第3章にそういうイデオロギー的背景が書いてあって、そこはすごく読み応えがあります。あとYさん、ヒトラーについては別にいいの?

Y 以前言ったように、「大ドイツ主義はヒトラーで完成した」という主張です。P225のヨーロッパの地図はポーランドが併合済みだから、大ドイツ主義ではないけど。

T この地図は大ドイツ主義じゃないね。

K ドイツ人じゃない人が含まれているから(笑)

T ボヘミアはドイツじゃないの?

Y ボヘミアはスラブ。チェコスロバキアはほとんどスラブで、ズデーテンだけがドイツ人が多かった。

T この地図の時点では、チロルとトリエステはドイツに入っていないんじゃないの?

Y 未回収のイタリア?

K チロルとトリエステはこのときはもうイタリアに回収されている。

T 確かチロルはドイツ人の方が多いんじゃないの?

K 資料集にはそのあたりは書かれていないな。

T チロルの大部分の住民はドイツ系で、イタリア側においても初等教育よりドイツ語が使用されている、らしい。

Y このときは、イタリアに回収されているから。

T もしかしてこれはYの大ドイツ主義論に一石を投じてしまった?

Y まさかのチロルなんか知らねえ。

K チロルを入れておかないと。

T 画竜点睛を欠いてしまっているな。

Y オーストリア領に入っていれば、そのままドイツに併合できたのに・・・。

◆放物線経済学が達成した再分配と生糸の没落

T このテキストは商業が好きだから、経済史にも触れておきましょうか。P216で言うと、アメリカが繁栄を享受しました。しかし世界恐慌を迎えます、というのが1920年代の出来事だけど、「利益の配分は労働者にも及び」とある。ちゃんと賃金に還元されていたんだよね。全部株式に配当されるんじゃなくて。

K フォードはそんな感じやな。自分たちの社員がフォード車を買えるように賃金を上げて、商品の価格も下げた。確かにそれって凄いな。いまその前段階の歴史を授業でやっているけど、パックスブリタニカはひどくて、労働者に還元せず資本家が全部吸い上げているから、気の毒だと思いながら見ている。それがアメリカではそうならなかった。なぜだろう。

T それはイギリスとアメリカのお国柄の違いに還元させるべきなのか、どちらかというと経済学の発展に伴うものなのかなと思った。ずっと「貯蓄が成長をもたらす」、「だから資本家が収奪することに意味がある」という経済学が主流だったけれど、そうじゃなくて、ケインズは「有効需要の創出が経済成長を生み出す」と唱えて、そういう経済学派の発展が、労働者への配分へと変化していったと捉えるべきかなと。

K ケインズな。

T マクロ経済学って西洋史学では取り扱わない?

K 教員免許の勉強でちょっとだけ勉強したけど。

Y 高度なものが登場する前の時代しか。経済学部の奴らの話は分からなかった。

K 世界史に出てくる程度の知識しかないです。

Y 銀行員になるつもりもなかったし、無視していた。

T 横軸にマクロの貯蓄量、縦軸に経済成長をとったグラフがあるんだけど。

Y ボール投げているの。

T そうそう。パックスブリタニカの時代は、上にどんどん発散していく世界観だった。貯蓄が多ければ多いほど経済成長するという経済学が主流だった。それが資本家による収奪を正当化した。ケインズはそうじゃなくて、貯蓄し過ぎたらし過ぎたで、需要がなくなって経済成長はなくなるから、極大点があるはずで、放物線を描くはずだと。だから貯蓄だけじゃなくて労働者の消費に回るように、賃金に還元しないといけないと主張した。

K それは何の本?

T これは『ちょっと気になる政策思想』権丈善一という本です。

Y へのへのもへじが気になった。

K へのへのもへじは何なの。自分で書いたの。

T 権丈先生は医療経済学の先生。

K 著者に書いてもらったの?

T へのへのは全ての本に印刷されている。

K 印刷なのか。サインかと思った。

Y 俺は落書きかと思った。

T へめへめしこじはかわいいでしょ。めにすると睫毛が可愛くなる。

K そっか。経済学とセットで教えないといけない。めっちゃいまスッキリしたわ。経済学部志望の生徒もいるし。

T 現代は新自由主義の世界観になって、資本家がまた収奪しているじゃないですか。

K しているよな。

T それはケインズの限界が生じたことで、発散世界観が主流になってしまっているから。発散世界観と放物線世界観が行ったり来たりしている。この時代はどっちの世界観かに注意しながら見ると、労働者にちゃんと分配しているか、資本家が収奪している差が見えてくる。

K と、するとまた新ケインズ? 労働者に分配される放物線世界観に主流を取り戻さないといけない。

T トリクルダウンは起こらないって分かったもんね。発散世界観の言い訳は「資本家はちゃんとトリクルダウンするから労働者にも成長の果実は行き渡る」と言っているけれど。

K 前澤さんみたいにお金を配らないといけない

Y お金を配るのはまた違う気がする。

T あれがランダムに抽選で配っているならまだ良いけど、彼は自分の意思を介在させて、自分の気に入った起業家に渡しているだけだから、再分配上無意味とまでは言わないけど、資本家側の支配を弱めている訳ではない

K 結局資本家側が采配を握っていたらそうか。

T ケインズが20年代以降は横断的になっていくから再分配できていたし、30年代以降のニューディール政策にも繋がっていく。

K 経済で言うと、P219のコラムがよく分からなかった。このあたりのゼミに所属していたはずなのに。

T ブロック経済ね。日本で言うと金解禁にも関わってくる。

Y 高橋是清大蔵大臣。

T 井上準之助とか。

K 名前しか覚えていない。

Y 5.15事件だっけ?

T 2.26事件だね。

Y 銃撃されたイメージしかない。

T NHKの正月ドラマではオダギリジョーが演じていたね。

K やってたんや。

T このコラムは、「アジア間貿易は縮小が小幅で、世界経済における比重はむしろ増大する傾向にあった」という最後の一文に阪大っぽさを出してきているね。

K これが言いたかったんやな。あんまり知らなかったなと思って。日本とインドとの関わりも、戦争が始まると一緒に連携してイギリスを追い出そうという協調もあったけど、こういう時期にこういう経済的な繋がりもあったというのをあまり意識していなかった。

T 確かに、日本が三角貿易に関与しているという印象はなかった。

Y そうやね。

T ブロック経済はどういうふうに教えるんですか。それこそが「持たざる国」であったドイツと日本が戦争に突き進んで行くしかなくなる理由付けになるけど。

K ブロック経済はスタンダードに、イギリスとフランスはブロック経済で、アメリカはニューディール政策でそれぞれ世界恐慌を乗り切ろうとしたけど、持たざる国は植民地がないからそうしたことが出来なかった、という感じで。世界恐慌は1時間くらいしかないから、テキストに書いてあるような背景までは触れられない。

T さっきは食糧の話もしたけれど、ここで一番収奪していくのは石油だった。日本が北進ではなく南進に傾いていくのは、シベリアにはコルホーズが無かったという理由もあるだろうけど、南には石油があったからというのが大きい。ドイツもアゼルバイジャンのバクー油田に向かっている。

Y 確かに。ノーベルさんが作ったという。

T という中で、アメリカの対日石油輸出禁止というのが、日本の開戦にとって一番大きなファクターだったというのは、高校生は分かるのかな。

K それは教えるで。ABCD包囲網が出てくる。それはいつだっけ。開戦してから?

Y 南進してから。1940くらいかな。

T テキストP227にあるね。仏印進駐以降やな。

Y 日米開戦前だね。

K ABCD包囲網の話が出てくるから、石油の話はして、1941年の8月に石油輸出を禁じられたことは教科書にもある。いよいよ追い詰められて真珠湾という展開で話をする。

T ここで対日石油輸出禁止とともに在米日本資産が凍結されたのはマジで許せねえなと今でも思っているけれど、それはともかく、実はここでアメリカが強気に対日石油輸出禁止に踏み切っているのは、日本からの輸入品であったところの生糸や絹織物の需要が小さくなったことがあって、1940年にデュポン社によってナイロンが発明されている。

K はいはい。化学繊維ができたから。

T ナイロンの発明によって絹織物の必要性が小さくなったから、対日貿易で強気に出られるようになった。

K 逆に生糸や絹織物が1940年まで重要な貿易の費目だったことに驚いたな。

Y ナイロンを作ろうと思ったら石油が必要で、石油へのエネルギー革命がフォードのタイミングなので、時代的には合っているのかな。

T 群馬の富岡製糸場には早めに行ったけれど、もうひとつ世界遺産になった荒船風穴には2018年にようやく行って、その帰りにバイクで転んで膝をすりむいたんですが(笑)

K そうやったんや。

T 荒船風穴というのは蚕の卵を保存しておく冷蔵庫ですけれど、全国の蚕種業者が荒船風穴に委託冷蔵してもらう、その受注件数が1930年代にガクッと下がったというグラフを現地のボランティアガイドの人に見せてもらったことがあった。それは電気冷蔵庫が発明されたという別の要因もあるみたいだけど。

K 発明されてそうやな。

T 日本の主要輸出品目であった絹織物が、1930年代というのは萎んでいく10年間だったと。そうやって「持たざる国」が更に持たざる状況になったタイミングで、開戦していったという、経済的に見るとそういうことだったのかな。

K そう繋がるんやな。化学繊維が絹織物を淘汰して。

T それが日本の帝国主義的伸張政策の必要性をますます高めたということかな。

Y 疑問なのですが、ドイツのハイパーインフレをシュトレーゼマンのレンテンマルクで乗り切ったというのを、中学生の頃からフレーズでは覚えているけれども、いまいちずっと理解できなくて、レンテンマルクって超デノミ、100兆円を、円を止めるという、通貨を替えただけでなんとかなるものなのかな。結局いたちごっこな気がして。

T あれは通貨の切り替えもしているけど、アメリカから借款しているからそれが一番大きいんじゃないの。

K ドーズ案やね。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカで循環させるスキーム。

T アメリカがドイツに資金を投資して、アメリカが債務国から債権国になったというインパクトもあるけれど、ドイツから見れば、資本の裏付けに基づいて産業を復興させていこうという見通しがついてきたことによって信用が回復して、通貨価値の下落が落ち着いたという理解をしていますけれど。だからレンテンマルクへの切り替えもしているけれど、計画的に資本を投下することが一番の復興のポイントだと思います。

K だからシュトレーゼマンが乗り切らせたというか、その後のドーズ案かな。このよくある写真な。

Y 札束で遊ぶ子ども。手押し車で押していって、パンを一個買って帰っていく。

T それもキャッシュレスになると見られない景色だけどね。キャッシュレス世界でハイパーインフレが起きても、現金であることで生じていた風景はもう起こらない。

K そうやな。

T 単に桁区切りが大きくなってスマホの画面に入らなくなって、計算機で桁が溢れたときにEとかになるアレ。

K そっちが教科書に載るかな。

Y Eになって、画面をヨコ向けたら表示される。(笑)

◆皇民化政策と歴史の審判

K 大東亜共栄圏のところ、始めは歓迎ムードだったけど、後半は皇民化政策によって嫌われムードになっていくと。そのあたりを世界史Aの授業でも一回取り扱ったけれど、生徒に一年間の授業で何が一番印象に残ったか感想を書かせたときに、そのあたりの話を書いている人が一番多かった。何故かというと、中学校まではアジア太平洋戦争は日本が被害者というイメージで勉強してきたけど、日本もこういうことをしていたのだと。このあたりをヘンな自虐史観にならないように教えたいと思っていたけど、生徒たちは適当にキャッチしてくれたみたいだったから、ここを高校でしっかりやるべきだろうなと思った。世界で色々なことがあったその一環として、日本もこうしたことをしていたということを、自分の主観が入らないように、教科書に書いていることをテンポ良く展開することは必要だと思った。本気で何も知らないな、今の高校生たちは。「戦争だというと日本は被害者だと思っていました」と本気で書いている。わたしらはまだ祖父母が戦争の話をしてくれたけど、彼らはそういうのがないから。

Y この教科書の書き方はなかなか反日というか、日本に不利益な書き方。「必ずしも協力を得られなかった」みたいな。小学校の平和教育で見る戦争アニメ映画、沖縄戦の悲劇とか『はだしのゲン』みたいな広島の原爆とかしか知らない訳だね。

K そう。「日本もこんなことをしていたのですね」と中国や東南アジアの話をしたときに新鮮そうにメモをとってはるのが、こっちは逆に新鮮やな。

Y テキストには歓迎ムードを冷え込ませたP229に「東西に長い占領地に時差を認めなかった」とあって。

K それは私も思った。私もアンダーライン引いた。

Y これは日本の時間に全部合わせていたんだろうな。今でも朝鮮と日本は時差ゼロだけど。

K 朝鮮はそれで良いと思うけど、太平洋上の島々も合わせた。グアムとかサイパンは時差があるから。

T 「東西に長い」と言っても、一番西でビルマだよね。時差どのくらい?

Y メルカトル図法で言うと3マスくらいかな。3時間。

K 日本からの距離はそうだけど、ビルマからマーシャル諸島までの幅は、けっこうある。

Y マーシャル諸島の精確な位置が分からないけど。

K 東経170くらい。ミャンマーは東経100くらいだから、5時間くらいあるんちゃうん。そら不満出るわな。

Y 15度で1時間だから。サマータイムどころじゃない。

(BOY) マグマダイブ?

K マグマの話はしていない。皇民化政策と労働者の虐待はあったと思うけど、時差とか本当に不便なことを押し付けていたというのもそうだったのかと。

T 「時差が象徴」というけれど、時差って別に象徴ではないと思うんだけど。

K 10コ不満があった内の1コを取り上げるのになんで「時差」にしたのかは分からないけど。

T 皇民化政策に対する不満で打線組んだら「時差」は7番レフトくらいじゃないの。

Y 確かに。

K もっと他にあるよな。そこまでメインじゃない。他に何があったのかを調べるきっかけにはなるかな。

Y そう考えると、中国の標準時は一つしかない。

T 中国って時差ないんや。北京に合わせているのかな。マス目で言うとどれくらいあるの?

Y 中華平原は2マスくらいかな。奥のウイグル的なところまで含めるともうちょっとあるかもしれない。

K 70~80度分くらいはあるんじゃないかな。東のロシアとの国境から西のキルギスやタジキスタンとの国境までだったら。

Y 5時間くらいかな。

T それは大東亜共栄圏と同じくらいの時差がある。しかも中国の標準時が北京だとしたら、だいぶ東に寄っている。

K 東に寄っている。ウイグルの人たちはそれにも不満を持っているかもしれない。ホンマかいな。時差は意外に。

T P229で、現地の人々の支持の話。『硫黄島 国策に翻弄された130年』石原俊という新書が出ていて、硫黄島には今は自衛隊の駐屯地しかないけれども、1944年にサイパンが陥落したあとに攻め立てられて、そこに『硫黄島からの手紙』では二宮和也と渡辺謙が入ってきて、敗れて死んでいくのが描かれている。

K 突然俳優名になったけど。(笑)

T 二宮は生き残ったな。でも仲間がたくさん死んだ。

Y 栗林中将(渡辺謙)は死んだ。

T そうそう。栗林中将は死んだ。この本ではそこで喪われている視点があると指摘していて、それは硫黄島には実は戦前の明治から1945年までの間には「島民がいた」ということ。

K どこの国の人?

T 日本人。

K 硫黄島ってどのあたりだっけ。

T 小笠原のちょっと西側。

K 小笠原って純粋に日本人っぽい人ばっかりだっけ。

T 微妙だね。伊豆諸島は完全に日本だけど、小笠原は今、アメリカ文化と混合している感じがする。でもあれは1968年に返還されるまで占領されていたからで、先住民の人種的な区分はどうだったかな。

ただ少なくとも硫黄島に近代以降に入植していたのは日本人だった。それは主に企業が南洋型の商品作物や穀物を栽培して収益化するという、企業城下町としての離島だった。硫黄島だけじゃなくて、沖縄の東側にある大東諸島もそうだったらしいけれど。日本の企業が中心となって入植をした。そこでもちろん苛烈な労働搾取があったけれども、少なくとも日本人が集落を形成していた。新書に載っている写真で1930年代の硫黄島の学校の集合写真で、たくさんの人がいるのが分かる。

K 映画ではそういう人たちは描かれていないの?

T 一瞬だけ出てくる。でも新書で批判されている。

K 島民のことが描かれていない。

T それもあるし、二宮和也のセリフ。「くそっ、こんな島、アメ公にやっちまえばいいんだよ。何も生えないし、くせえし、暑いし、虫だらけだよ。しかも水がねえ」

K 最悪やな。そんなん言わせたらあかんわ。

T 「この島は、神聖な国土の一部やないか」と、関西弁のにいちゃん、序盤ですぐ死んじゃったけど彼が言うけれど、二宮は「どこが神聖なんだよ、こんな島。いっそのこと、こんな島アメリカにくれてやろうぜ。そうすりゃ家に帰れる」と続ける。

K うわあ、それはよくないな。

T でもそれが当時の日本の本土の意識だった。

K でも入植して砂糖とか作っていたなら、重要じゃないの。

T 国家や企業にとって重要だったかもしれないけれど、国民として、南洋植民地に対する日本人の意識をひとつ象徴しているとも捉えられる。沖縄もそうだけど。

K せやんな。沖縄と重ねちゃうよね、そんなセリフがあったら。

T そうした土地が戦争の終盤において捨て石にされていった。まあ硫黄島の場合、島民は避難しているんだけど。

K あ、そうなのか。避難しているから映画には出てこない。

T 最初にちょっとだけ二宮和也がやってきたときに島民とすれ違って、島民はさっさと出て行けと言われる。「栗林中将は人道的な人物だったので、島民をさっさと避難させたのだ」と評価されるけれど、それは戦争のために故郷を捨てさせることであって、今なお帰還できていないことを考えるなら、どっちがよかったのかな。戦後帰還できなくなったけれど「危なくなるから捨てろ」といって逃がした栗林中将を評価するのか、故郷で最後まで殉じさせたけれど、戦後は故郷で復興していくことができた沖縄の方が良かったのか。歴史的評価は難しいよね。(特に硫黄島島民の賠償問題等が沖縄に比べて後景に退いているのは、戦中に離散してしまったことで団結した運動ができにくかった側面もあるかもしれない。)

K 沖縄パターンと硫黄島パターンとの違い。そうやな。

Y パラオがそんな感じだった。島民が「我々も一緒に上陸するアメリカ軍と戦う」と言ったけれど、「おまえらみたいな土民と一緒に戦えるか。とっとと出ていけ」と言って日本人に裏切られたと感じた当時の現地住民が、船で離れる瞬間に日本人が見送りに来てくれていて、「彼らは気持ちに嘘をついてまで俺たちを助けてくれた」という美談がある。

T なるほど、右翼が好きそうな美談やな。

K 美談やね。

Y 現地住民をアメリカとの戦争に巻き込まないために、日本人はわざと嘘をついたのだという。

T それは栗林中将パターンとリンクするよね。そちらのパターンの方が、現在では人道的と評価される。

K そんな話をどうやって知るの。パラオで調べたらすぐに出るの。

T 軍国教育の中で知るんじゃない。

Y 書店に行って、日本の民俗史コーナーを見ていると、戦争の捉え方みたいな一画があるから。

T 両方あるんですよね。私は大東亜共栄圏というお題目をシニカルに見ているけれど、韓国統治の35年間もそうだけど、インフラ整備して教育を施したという評価もあって、そちらをクローズアップする右翼と、負の側面にクローズアップする左翼が居る。

Y 今までの教育は左翼側しかしていないから、反動的に右翼にシンパシーを感じる子どもたちも一定数出てきてしまう。

T 学校教育が左翼に寄り過ぎると、突然中学三年生くらいで小林よしのりの漫画に出会ったときに、子どもたちは反論できないんだよね。

K 小林よしのりはどっち?

T 右側。

K でも教科書には両方載っている。植民地統治の是非という話は。

T 収奪論と近代化論。そうだね。

K このコラムを教師が授業中に取り上げるかどうかでバラツキは出るけれど、私は取り上げる。

T 世界の中に日本があるという位置づけで言えば、ここは重要。

K 高校生なら分かってくれるけどね。今はYouTubeが非常に怖いから。YouTuberが言っていることが正しいと思ってしまうから、両方の視点を知った上で、自分の好きな方を判断して、というふうに伝えておかないと。

T なるほど、良い感じで締まったんじゃないですか、この話題で。

【終】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?