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パスピエ 浮遊層 PASSEPIED - Floating People 混ざり合う光と影について

水曜日にアップロードされた新曲を早速聴きました。
全般的にパスピエの曲は押韻・言葉遊びが多いため歌詞そのものは無意味にも思えますが、そこに無理矢理意味を見出すのが儲(信者)の仕草ということで、歌詞の世界観をイメージしてみることにしました。

【パスピエ - 浮遊層】
意識の中の最後尾へ 色彩
次期歳時記 whatフワッと
脱シュワッと

景色はまた取り乱して順調だね
古今東西遠ざかって家
たらちね TV

百千万の富があっても
怠惰に殺されたくないなあ
飲み食い くい止めてダメージを
曖昧 見舞うマインドを頂戴

深読みして可燃不燃可燃
見ざる言わざる着飾るのはファッション
butミッション

景色はまた取り乱して順調だね
古今東西遠ざかって家
たらちね TV

百千万年でも待ってる
やにわに告げられた終末
確信を得つつも黙ってる
間に価値基準を交替

そうだそうだ そういやさ
誰だ彼だと争奪する意味はない
自由自在 フリーリー

百千万の富があっても
怠惰に殺されたくないなあ
飲み食い くい止めてダメージを
曖昧 見舞うマインドを頂戴

解釈のポイントとなるのは、サビに入る直前の疾走する"古今東西遠ざかって家"をどのように捉えるか。すなわち、「古今東西のしがらみを象徴する”家”という呪縛から遠ざかる」のか、あるいは「古今東西の外界のしがらみから遠ざかって”家”というシェルターに入る」のか、という点にあると思います。この出発点の捉え方の違いによって、その後の世界観が、以下のようにアウトドアとインドア、正反対の様相を示すことになります。

まず”飲み食い食い止めてダメージを”は、アウトドアならば「旅先の道の駅で食べたラーメンの美味しさが、日常のダメージを食い止める」となるが、インドアならば「家でカップ麺食ってるのが結局一番ラクだよね」となる。

次に”着飾るのはファッション butミッション”は、アウトドアならば「楽しく着飾って出かけよう」となるが、インドアならば「着飾らずに気楽に過ごそう」となる。

更に、”自由自在フリーリー”も、アウトドアならば「高速道路を自由に駆ける」のようなイメージだが、インドアならば「家に篭る」ことを示すように思える。

このように、色々アウトドアとインドアのダブルミーニングがある中で、”たらちねTV”だけは、ラフでだらしない格好でテレビを観る様子なので、めっちゃインドアだなと。ただまあ、アウトドアでも、夜に旅館で胸元のゆったりした浴衣を着てくつろぐみたいな絵は想像できるので、ここも解釈(こじつけ?)自体は可能ではあります。

ところで、3年ほど前にクリエイターの友人から以上のような教えをいただいたこともあるので、それに従い、歌詞だけでなく声質、曲の構成、楽器の音色などの「表層」を加味すると、やっぱりこのメロディの疾走感から、私はアウトドアの解釈へと傾斜して楽しんでおくことにします。ツーリングしたくなってきた。(もう今年のシーズンは終わりそうだが。)

ただし、ご存じの通りYouTubeには再生速度を設定する機能があります。普段は1.5倍速とか2倍速とかを使うことが多いと思いますが、インドア解釈に共感する方々は、0.75倍速での視聴をオススメします。(0.5倍速だとちょっと遅すぎる。)

是非一度再生してみて、儲(信者)外の方々も解釈などあれば、教えてください。

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