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愛の価値


「物質的な世界は世界は無条件の愛を目覚めさせる場所。

だから、まったく正反対のことを体験するようになっている
そうすると、無条件の愛がいかに素晴らしいかも、体験することができる。

主は私たちの自由意志を奪わない。
何回も何千回も生と死を繰り返して、主のほうをむいてゆく。」

サッチャ先生

最近ふと感じたのです。

「悲しいとか、苦しいとか、怒りとか妬みとか孤独とか…
そういう感情をまるで知らなかったとして、
果たして愛って感じることができるだろうか」って

愛って
なんとなく、ですが
悲しーとか苦しーとかさみしーとかもう嫌だーとか
そういう感情を全部包括して
抱きしめて、
そこにあるような気がしているのです。

例えば
「慈悲」もそうかなぁ。
私は慈悲は「共感」だと感じているのですが
それは自分の中に
あなたと同じ経験はしていないけれど
おなじ感情や(程度の差はあるにしろ)痛みを知っているよ
そうしてつながれることではないかなって、感じています。

悲しいことはないほうがいい。
味わいたくない。
経験したくない。

でも、その経験が
感情が
「無条件の愛」っていう喜びを
感じさせてくれるのだとしたら。

そう思うと
無駄な経験はひとつもなくて
大変だけれど
実は「愛」の価値をさらにさらに
高めてくれる
ことなのかもしれないって

サッチャ先生のこの言葉
頭で理解していたのが
最近すこーーんと
ハートに降りてきて

みんなのなかにすでにある「神さまへの愛」
みんながすでに神さまから
100%無条件に愛されていること
(私みたいにポンコツでもっ)
みんなが「愛すること」をとおしてますます幸せになってゆくことを
神さまは望んでる

それに気づかせてくれるために
その素晴らしさをより感じさせてくれるために
「痛み」はあるのかな

しみじみとかんじた最近の気づきでした。


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