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「自分にしかできないこと」ではなく「誰にでもできること」を。

(終始キレ気味かも。申し訳ない)

ずっと違和感を持っている言葉がある。

「他人の目なんて気にするな、自分にしかできないことをやれ。」

ネットやらありふれた自己啓発本とか、普段の生活でもよく聞くであろうこの励ましと思える言葉。なんか、あんまり気に入らないんですよ。
ぶっちゃけ、うるせーんだよ、と。

なんかそういう言葉がありふれててさ、そのせいで息苦しくなってたりして。正直飽きたでしょ、みんな。
「自分の世界を持ってる人はカッコいい。自分しかできないことやってる人は凄い。」それに対して、「だけど自分は、他人の目を気にして、日和って、自分の世界とか個性とかないし、、そもそも自分がわからない。」って諦めをはらんだ言葉を使う。悲しいと感じますし、そういう言葉を聞くたび何とも言えない、違和感を感じてしまいます。

※以下、「凡人」と「天才」という表現を用いますが、決して優劣をつける意味ではなく、対等の存在だと思います。ニコイチです。

そもそも、自分の世界を持ってる人って、自分にしかできないことをやってそうな人達って、もの凄い他人に興味がある人、他人の目なんて無視できない人だと思うんだけど。そもそも世の考えが逆で。本当に他人に興味を示さずに感覚の次元が違くてどこまでも突き抜けられる人が「天才」という人だと思う。で、あなたたちは「凡人」だと思う。天才はこんな文そもそも読まないと思うし。かく言う自分も例にもれず「凡人」である。

冒頭に言った天才にのみ適用される言葉を真に受けすぎて、それができない凡人たちは苦しくて、自己肯定感が無くなっていく。そもそもお門違いだよそんなのね。それか、「自分はそんなことできないから、、」って、
謙虚に見せといてそれは考えることが面倒くさいから諦めの言葉を使ってるだけだと感じてしまう。そういう謙虚さってどうなの?

自分にしかできないことって、そもそも当たり前に皆に用意されてると思うから、探すんじゃなくて気付くことなんだと思う。そりゃー
「自分にしかできないことって、なに?、、じぶんにしかできないことやりたい!」って肩の力はいって必死こいて閉じこもって探求しても遠ざかるだけだと思う
でも気付いて拾い上げるのは誰にでもできると思う。そこにあるんだから。
だから自分にしかできないことではなく誰にでもできることを。って言いたいんです。結果、それが自分にしかできないことをやる為になるし。
そのプロセスを飛ばして、誰にでもできることをできないんだから、自分にしかできないことをやれるわけない。ややこしいね。

それで、気付くヒントってのはやっぱり他人なんだと思う。
他人の目を凄い気にするのに、他人に興味がない人ってかなり多いと思うんだよね。なんで?
凄い美しく自分を表現する人、アーティスト、音楽、文学、仕事でも、やりかたはビジネスでも何でもいいんだけどさ、いわゆる自分の世界に生きてそうな人って、かなり他人に興味があるし、気にかけてる人なんだよ。自信をもって言える。
そういう人って他人を無視するんじゃなくて、ぶつかっていってるよね。
その摩擦の中で自分がそぎ落とされてやりたいことが残るって感じだと思う。服の感触だったり浴槽の中でのお湯で自分の輪郭が強調されるっていうか、それと似た感じ!

だから「俺はやりたいことやるんだー!」って言って他人に興味なさそうな人見ると冷めちゃう。ごめんなさい。そんなみんな自分に精いっぱいで他人なんて興味ないでしょー。ってそういう世の中で、ある意味安全?な社会なのかもしれないけど、他人そのものへの興味が無さすぎるんじゃないかなって思う。なんか冷たいような。

何回でも言うけど、他人を無視できるはずがない。出来ない事をしようと思うから辛い
どうか受け入れてくれって。

どーしようもなくかみ合わない、
人であふれる世の中を願う。





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