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天の光は、すべて星。

人って文字で表現する性格と、声で話す性格って違いますよね。これからは内容によって文章とポッドキャスト(声)を使い分けようと思います。クウです。

「天の光はすべて星」

僕が好きな言葉です。この言葉は、僕が溺愛するGAINAXが制作、2007年放送された、超弩級の名作アニメ「天元突破グレンラガン」の最終話サブタイトルです。(グレンラガンについてはホント好きすぎて語ると長くなるのでここでは省きます。。)初めて見てから14年経った今でも、定期的に見返す作品です。グレンラガン好きな人は仲間です。はいグータッチ。
もっと言うと、この言葉の元ネタはSF作家フレドリック・ブラウンの同名の長編小説からだそうで。僕はまだ読めてないんですが、読みたい作品です。

さて、天の光はすべて星。まあよく考えればそうですよね。僕たちが見ている星々は、ほとんどが太陽と同じ恒星で、自らの命を燃やし、輝いています。その命の輝きが、星によりますが、何年とかけて地球に到達して僕たちは観測できるのです。太陽ですら8分、太陽に一番近い恒星ケンタウルス座a は4年と少し、中には100億年以上も地球に光が到達するまでかかる星もある。

そう、僕らは見てる星の姿は今、現在の姿ではないですね。さらに超新星爆発でひときわ輝く星も、観測できた時には、気が遠くなるほど大昔に既に亡くなっていて。その大昔の光を僕らは見ている。なんかこういうとこからも、絶対的な「今」ってないんだ。って考えるきっかけになるんですよ。相対性理論とかにつながっていくけど。ここでは省きますね。

僕は宇宙が大好きです。何故ならば様々な疑問を投げかけてくれるから。小学生になって物心ついたころから、宇宙に憧れを抱いていました。空想少年だった。小学校の図書館に入り浸っては宇宙について書かれた科学本を読んで、そのウンチクを少ない友人に、先生に、自慢げに披露していました。今思えば滑稽です。だって、実際でこの目で見た時がない、認識した時がない宇宙って本当にあるか?って思いません?今もですけど。でも、当時は「あるかどうかはわからんけど、どうやらあるっぽい!」みたいな感じで、自分の知らない広大な世界を、本の中の、狭い宇宙空間の中に見ていた気がします。

人間、昔は本気で天が動いている「天動説」を信じていた。全ての現象は神の仕業だと信じてた。だけど、人間は技術を発達させ、物理学を駆使して、どうやら今まで本気で信じてたものが間違っていたことに気づく。人間は自らの手で神を殺した。その逆転の繰り返しで今日までに至りますね。

知らなければ、人間は自由に、空想ができる。想像力は無限だと思う。でもなにか、「現実はこうだった!」って言われると、その想像力が無くなるわけではないけれど、少しブレーキがかかりますよね。このことは誰でも実感できることではないでしょうか?

僕が何を言いたいかって言いますと、そういう風に自分の想像力に限界を感じてる。想像力がないんじゃないかって感じてたら、自分の生きていると思ってる範囲をもっと広く、そう、思い切って宇宙まで広げてみたらいいのでは?って思うんです。
これ言うと馬鹿馬鹿しいって言われるかもしれないけど、僕は本気です。大丈夫です。だってそういう考え方に変えるのは自分の想像、マインドの中だけの話。それは自分だけの精神世界です。誰からも侵略されることはない宇宙です。(今のところは)だから思い切りましょう。

先ほど、人間の想像力は無限だけど、技術発展で現実を見せられるとそれにブレーキがかかるって言いましたね。おかしいな。人間は進化するために想像力を使い、疑問を、問題を解決し進化しますが、それで自分の想像力に蓋をしてしまっているのか?そう思いますか?そういうわけではないんです。それは自分が認識してる範囲だけが自分の生きてる世界だと思ってるからではないでしょうか。簡単に言うとこの社会ですね。

そうじゃなくて、宇宙に目を向けてみてください。宇宙は今も光速で膨張し続けてるといわれています。本当に人間が想像しづらいほど、とてつもない広さです。それを人間がすべて解き明かせると思いますか?無論、あり得ないですよね。まだ宇宙が何でできているかもよくわかっていないし、重力を解明する方程式も完成されてるわけじゃない。わかってる事より、わからない事のほうが圧倒的多いですよね。わからないことがほぼ無限にある。でも悲観的になる必要はないんですよ。

分からない対象が無限にある。ということは疑問をかけられる対象なんて無限にあるということ。人は疑問から出発し、解決して進化した。だったら僕たちはどこまでも行けると思いませんか。そういう意味の分からない世界の中に何の因果かな、生まれたんだから、その無限の世界を利用しない手はないですよ。

人って生まれた意味を探そうとします。そういう本とかも溢れかえっています。きっとわからないことが、物が、怖いからでしょう。でもね、僕はハッキリと言います。生まれた意味なんてない。気分を害されたら申し訳ありません。「何を言ってんだこの若造が」といわれそうですが、僕は自分の宇宙を少しばかり共有しているだけです。悪しからず。

自分なんか宇宙のこれっぽっちも満たない、本当に小さな微生物みたいものです。この宇宙の中で何かの確率で自分として生まれ(切り取られて)、ただ歳をとり、カオスへと還るだけです。自分が死んでも何にも世界には影響しません。それがすべてです。

でもそれでいいんです。それがいい。変に生まれた意味とか力んで考えるから、辛くなるんじゃないか?世界に影響を与えられると思うから大変になる。だからそういうの捨てて、ただ自分は還るだけなんだ。って思えれば、何も重い物を持たずに、無責任になれて、小さな疑問を拾える余裕も出てくるかと思うんです。それでいいんじゃないかって思うんです。

良くこういうこと言うと、「考えすぎだ」「宗教はいってる?」って言われます。宗教に入る必要は僕はありませんし、入っているから何なんでしょうか?真剣になるほど、色眼鏡で見られます。僕らが実際に生活してるリアルな世界はそんな世の中かもしれません。僕は精神をできるだけ開いてるだけです。精神は自分次第で自由になれるはずです。そのヒントが宇宙にあると思います。

だから、なんか辛いなって思ったら、自分が自分がって閉じ困らないで、この無限の世界のたった一粒なんだって思えたらいいかもしれません。どうか自分の中の宇宙を怖がらないで、飛び込んでみてください。

最後に、グレンラガンで主人公シモンの兄貴分であるカミナの一番好きなセリフを引用します。

「もし」とか「たら」とか「れば」とか、
そんな思いに惑わされんな。
自分が選んだ一つのことが、
お前の宇宙の真実だ。

もっかいグレンラガン見よー。







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