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たった3時間、お前と逃避行。

まーちゃん🖌️

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財布がない。

朝起きて、寝ぼけながら適当に身支度をして、かばんを開けたら財布がなかった。
ベッドのわきにも、机の上にもない。あー、とわざと声に出した。
わたしってば、こんなときにまた失くしものか。

そのときは急いでいたし、どこかにあるだろうと高をくくっていたので、あまり大騒ぎせずに「まあちょっと、一旦行くわ」と家を出た。
自転車に乗って、コンタクトレンズを懸命に拒否する目に苛立ちながらいつもの道を走る。赤信号になったのでブレーキを握る。あーあ、この信号めちゃくちゃ長いんだよな、と思っていたら、家を出る直前のことを思い出した。
やばい。急に肋骨の裏側がぞわぞわしてきた。
財布ないの、めちゃくちゃやばくない?

一旦「財布がない事実」を認めてしまうと、もうそこからは全然ダメ。
青信号になっても、会社についてもずっと焦っていた。

やばい。
こんなにしっかり手元にないの、結構やばい、やばいな。
現金いくら入ってたっけ。クレカ止めなきゃ。マイナンバーは家か。ってかどこで落とした?千日前じゃない?千日前ってことはもう返ってこなくない?は?めっちゃやばい。つーかやばいよ最近。この間もお気に入りのポーチ失くしたし、払い忘れてるお金もあるし、まあ、財布ないから払えないんですが(笑)。何笑ってんだよ馬鹿が。あーあ、私っていっつもこう。

『やばい、財布失くした』

動揺して黙っていられなかったので、クボに連絡した。私はクボと文化財以外に友達がいない。
昨日の夜はライブで帰りが遅かったはずなのに、すぐに既読が付いた。
既読と同時に、ちょっと後悔した。クボにいってどうする。
「ごめん」と追送しようとしたら、返事が来た。

『ま?どこで?』
『探しに行くわ、仕事やろ。』

まじ?

『え、なんでやねん、それは申し訳ない』
『いいよ、私時間あるし。』
『え~』

申し訳ないし、そんなことさせていいわけないと思ったけど、クボが何度も言ってくれたので頼むことにした。『ごめんね』というと、『いつも助けてくれるから。』と返事が来た。
“いつも助けてくれるから”か、と思った。優しいな。
私が仕事をしている間、クボは暑いのに文句ひとつ言わず、交番を周り、昨日通った道を巡りながら私の財布を探してくれていたけれど、結局午前中は見つからなかった。私はずっと気が気でなくて、仕事は全く進まなかった。
焦っている私に、クボが「ランチ一緒する?」と言ってくれたので、甘えることにした。

「早退しーや、会社。」

カツオの刺身がのったどんぶりを食べながら、クボが言った。
私の前には唐揚げ丼があるが、減ってはいない。病んでいても風邪をひいていても絶対に食欲だけはなくならない私も、このときばかりは箸が進まなかった。そんな私を見てクボは、「お前の気持ち、ぜーんぶわかる」としきりにいっていた。

「やーでも、こんなことで休んでいいもん?」
「いいやろ、財布ないねんで。仕事ならへんやろ、クレカ使われたことにすればいいやん。」
「いや、使われてないし」
「使われたか確認した?まだ確認してないやろ?」
「してないけど」
「ほんなら分からんやん、確認するまで使われてるか分からへん、シュレディンガーのお前の財布。」
「確かに」
「一緒に探そう、お前の財布。会社の前で待ってるし。」

優しいな、お前。と言った私に、クボは「いつも助けてくれるから。」とまた言って、笑った。笑ったあと、カツオをもりもり食べていた。

会社に戻ってすぐ、上司に電話した。
上司は私より焦って、「早く帰りな!」と言ってくれた。周りの営業さんもめちゃくちゃ心配してくれて、良い人たちだなと思った。人がありえないスピードで辞めていくだけで、良い会社なんだよな。

そのまま走って会社を出て、クボと合流した。
「ほな、交番いくで~」
わざと明るくふるまってくれるクボに感謝しつつ、なんかこれ、“逃避行”かもな、と思った。

ちょうど最近、ちょっと疲れていた。
私は器用な人間ではないので、ガングリオンの大切な日には一緒に緊張するし、ライブの準備をしている時は余裕がない。それでも、当たり前だけどそんな気持ちとは関係なく、朝起きたら仕事に行くし、毎日仕事は降ってくる。
賞レースの日も、ライブがうまくいかなくて沈んでる日も、色々な感情がぐちゃぐちゃになって泣いた次の日も、夜行バス帰りにそのまま会社に来た日も関係ない。どの仕事も私である必要はないけれど、私の手が止まったら、みんなに迷惑をかけてしまう。

文章を書く仕事がしたくて、曲がりなりにも今それが叶っている。それなのにいつだって気もそぞろで、なんとなく「ここは居場所じゃない」と思い込んでいる。好きな仕事をして、良い人たちに恵まれていても、ずっと焦燥感がぬぐえない。
どっちも大事だから、中途半端にしたくないのに、脳みそも、身体も足りない。
ほら、こんなんだから私って、いつまでたっても満たされない。
でも、こんな私でも、ピンチになったらクボが助けてくれて、「帰りな!」といってくれる上司がいて、心配してくれる人がいる。ほんとに恵まれてる、恵まれてるから、どっちもちゃんとしたい。ちゃんとしたいのに、私だけ、いつまでも中途半端だ。

クボとならんで歩きながら、ぼーっと考える。
なんか、全部やりたがりすぎてるか。
身体一個しかないし、私じゃ全部できないって、ほんとは知ってるのにな。
チームクボの私も、会社にいる私も、ちょっと頑張りすぎてたかも。
そうだ、今からは、財布が見つかるまでの間だけ、少しだけ、短い時間の逃避行。しかもひとりぼっちじゃない、クボもいる。たまにはお休みもらってもいいじゃんね。
ゆっくり自転車を押してくれているクボの隣で、財布もないのに、ちょっとワクワクしていた。

「なあ、」

隣にいるクボに声をかける。

「ん?」

「シュレディンガーのお前の財布ってなに?」



結局、財布は割とすぐ見つかった。
紅鶴の近くの交番で、SIMカードを落としたとかいう意味不明な失くしものをしている男や「アノ、パスポートトカ、ゼンブハイッテルヤツ、ナクシテシマッテ・・・」と最悪の状態になってしまったヨギータみたいな人をみて、「この人らよりは全然かわいそうじゃないか」と思いながら待っていたら、友達のお母さんみたいな女性警官が「ありましたよ~!」と声をかけてくれた。
クボと同時に思わず「えー!!」と声を上げると、女性警官も「えー!!」と言っていた。なんでだよ。
別の交番に届いている、とのことだったので、二人で自転車を走らせる。

「えー!よかった!今世界で一番嬉しい!この感覚味わうために失くしもんしてるようなもんやんな!」
自転車で風を切りながらクボが言った。思い返すと本当に意味は分からないけれど、その時はそうかもしれない気がして、「確かになー!」といった。

現金も全部入っていて、クレカもキャッシュカードも、一枚もなくなってなかった。
優しい人が届けてくれたらしい。千日前にも優しい人がいた。難波のみんな、疑ってごめん。

クボは私が財布を受け取るまで、となりでニコニコしていた。「良かったなー!」「こーれ嬉しいでぇ」としきりに言う。多分、私より喜んでいて、ありがたいな、と思った。
退社してから2時間くらいで見つかってしまったので、さすがに申し訳なくなって、「会社に戻ろうかな」と思っていた。まあ心も晴れたし、財布も見つかったし、仕事も残ってるし。ほんと、ひとりじゃなくてよかった。クボに礼を言って、仕事に戻ることを伝えようとしたとき、

「あとはゆっくり休むだけやな!」

と、クボが言った。

あー、こいつってほんと、と思った。

優しいな、とまた言ったら、「いつも助けてくれるから」とまた言っていた。
そのあと、「チームクボの仕事もできるし!」と付け加えていた。チームクボの仕事はやらすんかい。

クボと別れて帰路につく。
知らない道を自転車で走りながら、今日だけの逃避行のことを思い返していた。結局、クボのおかげで良い日になってしまったな。
まだ16時前。そうだ、帰りにスーパーでアイスを買って、家で食べよう。食べ終わったらライブの準備をして、まだみんなが働いてる時間にお風呂に入ろう。たまにはこんな日があってもいい。

家についてしばらくして、クボに『ありがとう!』と連絡をいれた。すぐ既読がついて、返事が来た。
『とんでも!いま米に醤油とマヨネーズかけて食ってる!元気いっぱい!』

お昼ごはんを奢ってもらったことを心底後悔した。

こいつにまともなもの食べてもらうためにももうちょっと頑張ろう、と思いながら、ちょっと笑って、いつもよりかなりはやめに風呂を沸かした。

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