見出し画像

学習参考書の愉悦 第二回 村上翔平『高校現代文をひとつひとつわかりやすく。』

 前回の記事の中で、こんな文章を引用しました。

 英文を読んでいて、時々自分の読み方に違和感を感じる、先へ進めなくなるのはなぜでしょうか。それは、実は「読む」というのは英文を「内容」から考えると同時に「形」からも考えるという二重の作業だからだと思います。ただ英語を読み慣れた者にとっては、「形」を考えること、つまり、英文が正しい約束に従っているかどうかを確認することは無意識の世界で行われているために、それが行きづまらないかぎり、意識の表面に浮かんでこないのであります。
 ここから一見奇妙な結論が生まれます。英語を読む力があればあるほど、誤解や錯覚の可能性は少ないわけでありますから、英語を「形」から意識的にとらえてみることが少ない、つまり、自分がどういう約束に従って読んでいるのかを意識する機会は少ないことになります。
(伊藤和夫『予備校の英語』1997、研究社)

 これは英文を読んでいる最中の話なんですけれど、考えてみれば、英語以上に我々が慣れきってしまっていて、「形」への意識が希薄になる言語がありますよね。ええ、母語です。日本語です。

 いままさにこの文章を読んでいるあなたにしたって、自分が文章の何をどのように整理しているから文章の言わんとしているところが読み取れているのか、自覚していないんじゃないかと思います。
 だから、SNSやネット記事などの日常的な日本語を読む分には不自由しなくても、ちょっと硬めの文章を読んだりなんかすると、どうかしたら「時々自分の読み方に違和感を感じたり」、「先へ進めなくな」っちゃったりするもんです。
 そんなとき、いったい私たちはどんな規範に立ち返ればいいんでしょう。「わかんねえものはわかんねえんだよ、生まれつき不自由なく使ってる日本語だぞ、読めないのは文章が悪いんだ! ばーかばーか!」と言いたくなるのをぐっとこらえて、ちょいと現代文の参考書でもひも解いてみることにしましょうよ。日本語の文章規範のすべてとまではいかずとも(なんだかんだ言っても母語、そこまでの詳細さは日本語の母語話者にとっては不要でしょう)、そのミニチュアモデルは確認できるのではないでしょうか。

文章を読むときの心構え

 鈴木信一『受験生のための現代文読解講座』(2011、小学館)という本があります。この本では、文章を読む際のほとんど唯一絶対の心構えとして、「〈不足の情報〉を見きわめ、それを追いかける」ことを提唱しています。
 不足の情報とは、同書によれば「その時点では読み取れない情報。欠けている情報」です。さらに言えば、その後の文章中で必ず補われるはずの情報です。「冒頭の一文を読む。そこには欠けている情報がある。そこで、読み手はその不足を補う文を追いかける。ところが、不足は補われても、また新たな不足が生じる。だから、それを補う文を追いかける。これが読むという作業」であるというわけです。
 そのためには、「疑問を持ち、それを解消する」こと、「文と文の関係に目を向ける」ことが必要だと、鈴木氏は説いています。
 なるほど。
 たしかに言われてみれば、読むという行為は「不足の情報」の発見と補充の連続のように思えます。実際にこの文章を読みながら、先ほどみなさんは「〈不足の情報〉という見慣れない用語が出てきた、いったいこの用語の意味は何だろう」と感じたはずです。それこそまさに不足の情報です。その情報を、私は「不足の情報とは…」と定義を説明する文で埋めてみせたわけですが、読者であるみなさんは、そこでいったん不足が補充されてほっとする……といった具合ですね。

 この考え方はとても優れていると感じるのですが、しかし、この本は不足の情報の発見方法や、文と文の関係には具体的にどのようなものがあるのかについてそれほど詳細には語ってくれません。「ほら、ここが不足の情報ですよ、いつ埋まるでしょうか、はい、埋まりました」という具合に文章を追いながら解説してくれて、たしかに不足の情報を追いかけて読むことの大切さは理解できるのですが、これだけでは自力で不足を埋める力が養成できなさそうなのも事実なのです。
 そう。「読解力」なるものが(この用語を厳密に定義するには私の力は不足しすぎていますので、まあ文章の意味――とは何かについても本当は議論が必要ですが――を誤解なくつかめる能力のことだわな、ぐらいのテンションでお願いします)ある人が気づいていないのはここなのです。彼らはあまりに自然に不足の情報とそれを補完する部分に気づけてしまうので、何を手掛かりにそれを見つけているのかについてほとんど自覚していないことが多いのです。
 だから、「文章が理解できないとは、用いられている用語の意味や背景知識を知らないということだろう」という推論をしてしまうことになる。それは決して誤りではありませんが、そもそも文章中の不足の情報に気づけない、気づけても今度はそれを補完する部分がどこなのかに気づけない、という学生はいるものです。彼らに必要なのは読むときの心構えを教えられることだけではありません(もちろんそれも必要です)。不足の情報を発見し、埋めていくための具体的な技術です。

 この技術として、いろいろな指導者がいろいろな体系を提唱してきました。このあたりはスタディサプリなどで現代文を教えていらっしゃる柳生好之さんがブログで「現代文の歴史」として具体的人名を挙げながら整理していらっしゃいます。マニア心を刺激され、たいへん楽しい記事ですよ。ええ。

 さて、世に数ある現代文の参考書から、今回紹介するのは2016年発売の、比較的新しい本です。

『高校現代文をひとつひとつわかりやすく。』

 はい、紹介します。
『高校現代文をひとつひとつわかりやすく。』(村上翔平、2016、学研プラス)。著者は代々木ゼミナールでも教鞭をとっている村上翔平さん。著者紹介の末尾に記された「好きな寿司ネタはあわび。」の一文がエッジのきいた味わいです。

 ちょっと「はじめに」を引用してみましょう。

 高校生に求められる現代文の勉強とは「見たことのない新しい文章・新しい問題を、どうすれば時間内に読んで、解けるようになるのか」をしり、自分一人の力で実践できるようにトレーニングを積むことでしょう。わたしは、18歳で国語講師としてデビューして以来、一貫してこのテーマに取り組み、誰でもマネできる具体性を持ち、しかもほぼ全ての入試問題に適用するであろう普遍性を持った方法論を体系的に作りたいと願い、試行錯誤を繰り返してきました。その成果をお見せできる機会が得られたことを大変うれしく思いますし、ひとりでも多くの高校生がこの参考書に取り組み、革命的に成績を向上させてくれることを強く期待しております。

 どうです、読んでてなんだかわくわくするでしょう。私が書いた文章でもなんでもないんですけど。

 さて、本編は大きく「第1章 評論読解編」「第2章 小説読解編」「第3章 解法プロセス編」「第4章 文法・敬語編」の4章構成になっています。
 この第4章も類書にない本書の大きな特徴だったりするのですが(ここを抑えていないと古典文法で苦労するので、それを睨んでのことです)、今回は大きく「日本語の文章を読むこと」の流れで来ちゃっているので申し訳ありませんがキャッツアイ、いや割愛させていただきます。

 各見開き完結のレイアウトになっていて、読解技法の解説と、それを実際に使ってみるための練習問題という構成。この解説が、実によくまとまっていて使いやすいんです。
 第1章では、たとえば「筆者の主張をとらえる」という項目が①から④まであるわけですが、当然「足のつかないプールに放り込めば泳げるようになるだろう」式の、「筆者の主張といったら筆者の主張だ、探せーーーーーーぇ!!!!!」なんてことは書いてありません。ちゃんと、どのような内容が筆者の主張たりうるのかを解説し、それを見抜く練習問題が付属しているというわけ。
 先に出てきた「文と文の関係」についても、「対比関係」「イコール関係」「因果関係」と明示されています。まあ、これについては以前からこの三つに分類して説明する指導者は何人もいて本も出ている(「対立・対比の関係」/「言いかえ関係」「類比関係」など用語にぶれはありますが)わけですけれど、その見抜き方や使い方の分類と配列が絶妙なのがこの本です。

 小説の読解技術について多くのページを割いているのも、本書の特徴ですね。センター試験で毎年出題されることを除けば、一部の学部・学科で二次試験に小説を出題する大学は多くありません。現代文読解の参考書の中でも小説はどこかおまけのような扱いをされていることが多いので、これは学生にとって大きな助けになるでしょう。

 さらに、本文がちゃんと読めたところで設問を誤読したり答え方がまずかったりしたら点数にはつながりませんからね、「解答プロセス編」が用意されているあたり、ぬかりなしといったところです。
 その他セールスポイントは多くある本書ですが、実は大半のセールスポイントは著者自らがブログで懇切丁寧に書いてくれているんですよねえ(とりあえず自主解説8まであるぞ)。

 ううん、じゃあもう書くことねえや。

 いやいや、使用に際しての留意点を書くのを忘れてました。
 これまで確認してきたように、本書がとても優れた現代文の参考書であることはたしかです。

 ただ、本書だけでなくすべての現代文の参考書が構造的に抱えている弱点があり、それは「たぶん、本当に苦手な学生はこの本の解説だって自力では読めないだろうな」ということ。文章の読み方を文章で説明しなければならないという、現代文参考書がぶち当たる壁ですね。まぁ、言い出したら他教科の参考書だって「読める」という能力が備わっている選ばれし学生でないと完全に独学・独習するのは難しいんですけれど。

 ですからこの本も、前回紹介した『ビジュアル英文解釈』同様、適切な指導者の監督のもとで取り組むのが効果的でしょう。たとえば13ページに「次の言葉を、自分なりに『定義』してみよう。(思いつかないときは、辞書を見てもよい)」という練習問題があり、そこには「学校」「勉強」「国家」などの語が並んでいますが、私がもし現代文が苦手な高校生だったら、この問題には手を付けずに次の問題に逃げちゃいますからね。大事な練習問題なんですけど。指導者が横についていてくれれば、もしも解説ページでわからないところに出会ったときに「解説の解説」を聞けるだけでなく、そういう自分の甘さを封じることもできるわけです。

 最近はTwitterやなにかでも意図するしないにかかわらず何やら「議論」に巻き込まれたり、ときには自分から参加する羽目になる時代ですからね。その際、最低限、相手の意見を適切に受け取ることができるようにするためにも、一度こういった本で、自分の文章の読み方を再確認してみるのもいいのかもしれません。


 最後にちらっと、議論の話を持ち出しました。それにはもちろん、相手の主張を適切に読み取る力も大切ですが、自分の主張を適切に発信する力も必要になりますね。大学で専門に論文の書き方に向き合ってそのようなトレーニングを積んだという方ばかりではないのが実際でしょう。いきなりアカデミックなライティングは敷居が高い、そこまでの“格式”は求めていない、という人が、発信力の練習のとっかかりにするためには――そう、勘のいい方はすでにお気づきですね。小論文の参考書をチェックしてみればいいのです。次回を太陽の待て茶。

筆者紹介
.原井 (Twitter: @Ebisu_PaPa58)
平成元年生まれ。21世紀生まれの生徒たちの生年月日にちょくちょくびびる塾講師。週末はだいたい本屋の学参コーナーに行く。ビールと焼酎があればだいたい幸せ。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?