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学習参考書の愉悦 第零回 いい参考書って何だ?

はじめに

 はじめまして。.原井(どっとはらい)と申します。近畿地方某所で、小中学生対象の学習塾講師として働いています。
 先日「クーチェキで何か書けることないかなあ」というツイートをしたところ、Ryotaさんから「参考書レビューとかやってよ」と言われ、それならいっちょやってみっか、と筆をとった次第です。軽率ですね。

 言われてみれば、世間一般の多くの人にとって学習参考書・問題集というのは学生時代に自分が持っていた限られたものしか開いたことがないという存在です。いや、学生時代に持っていたものすらろくすっぽ開いたことがないという人もたくさんいることでしょう。何を隠そう、高校時代の私がそうです。
 学校で一括購入した参考書しか持っていない、しかもそれすらろくに開かないという高校生だった私ですが、今では立派な参考書マニアです。たとえば「総合英語」と呼ばれる分野の参考書だけでも5冊以上は持ってますし、気になる新刊があれば書店に足を運びます。参考書や問題集を買わない月はないと言っていいでしょう。自分の指導の参考にすることもあれば、生徒に購入を薦める本の選択肢を増やす(ついでにサンプルとして自分で所持しておく)こともあります。この時点でちょっと引いてる方がいそうな雰囲気ですが、同業にはもっとすごい収集家もいらっしゃいます。

 この「参考書の愉悦」では、指導者の末席を汚している私が、個人的に参考書をレビューしていこうではないかと、まぁそういうことを考えています。
 ふっふっふ、面白そうですか? どうでしょう、書いている本人は、これからどんな本を紹介してやろうかとわくわくして仕方がないんですけど。
 とはいえいきなり具体的な書名を出されてもご存じない方には、正身の胡椒の丸呑み、白川夜船、ちんちんぷんぷん、じゃなかったちんぷんかんぷんでしょうから、まずはプロローグと総論を書いておこうと思います。

私と参考書の出会い

 前述したように高校時代の私は学校で持たされている参考書以外の参考書を自分で購入することなどアウトオブ発想、もう持ってるものがあるんだからこれで足りてるでしょ(というかそれもやってないけどね)という感じで過ごしていたもんですから、まだ書店の学参コーナーに広がる豊穣たる大地には気づいていません。

 母校で私たちが持たされていたのは、英語が『チャート式シリーズ 基礎からの新総合英語』(通称・英チャート/数研出版)、数学が『チャート式 基礎からの数学I+A/II+B』(通称・青チャート/数研出版)、古文はシグマベスト『理解しやすい古文』(文英堂)。英単語集として『システム英単語』(駿台文庫)、古文単語集として『合格古文単語380』(桐原書店)。あと理科は……うぅ~ん、思い出せません。ひょっとしたら市販品ではなく学校専売品だったのかもしれません(この違いについてもいずれ書きたいところ)。社会は教科書とノートだけでがんばれ、ってスタイルだったと記憶しています。
 ともかく、それが私の知っている参考書のすべてでした。

 時は少しだけ流れ、危なげ全開で大学に進学した6月、私は個別指導の学習塾でバイトをはじめます。いま思えばこれがその後の人生に大きく影響することになりますが、それはさておき、塾でバイトをはじめた、高校を出て間もない学生のやる授業がどんなものかは相場が決まっています。

「自分が教わったように教える」。

 そのころの私は「生徒たちが“できない”のは、知るべきことを知らないからだ」というトンデモナイ見当違いをしていました。覚えなきゃいけないことを授業で聞き逃してるから塾に来てるんであって、それをちゃんと伝えたら成績は上がるだろう、と。そんなわきゃないですね。で、まぁ、自分の中学高校時代の記憶を引っ張り出して、当時の先生たちに聞いたのと同じ言葉であれやらこれやら説明してました。

 次第に私は気づきます。「そうか、この子たちはわかってないんだ」と。(ご同業がこの記事を読まれていたらいろんな意味で噴飯ものだとお思いでしょうが、19、20歳の時分の話、お許し願いえることを祈ってやみません)
 じゃあ何をどう解説すればわかってもらえるんだろうかなんて、自分で考えて思いつくことなんてたかが知れてますからね。当時の私はその「ネタ帳」を外部へ求めます。
 もうおわかりですね。それが参考書だったのです。

 いやー、びっくりしました。だって、わかりやすいんだもん。えっ、こんな本出てたの? なんだ言ってよ、高校んときに読んでればもっと受験ラクだったじゃん、ってな感じです。当時自分で調べようとしなかったことなんて棚に上げて、何かに向かって憤りましたからね。

 それからというもの、理解を助けてくれる参考書の解説を求め、本屋に通いまくり、塾でのバイト代を塾で教えるための参考書購入につぎ込むという謎の循環を繰り返し、気づけばすっかり参考書マニアが出来上がっていたわけです。もともとコレクター気質というか、「そろえたがり」なところがあったことも手伝って、持ってない参考書があるとあれもほしいこれもほしいってなっちゃうんですよねえ。仕事と関係はあるものの、もはや別の領域の趣味になっちゃってる感じです。

 ちなみに、「わかりやすさ」を追求した私は、その後「どんだけ授業でわからせても復習の仕方がまずかったら何にもならない」ことに遅まきながら気づき、学習方法の指導に傾倒、さらに「学習の仕方をどんだけ教えても実際に行動してもらえなかったら無意味」だということにこれまた遅まきながら気づき、いまでは動機づけやコーチングといった領域に興味関心を寄せています。たぶん、また数年するころには違う何かに一生懸命になっていることでしょう。知りませんけど。

いい参考書って何だ

 それでは、いい参考書って、いったい何なんでしょうね。
 身もふたもない結論から先に言ってしまえば、「そんなもんはない」というところに落ち着いてしまうでしょう。
 中には「これはちょっと……誰に勧めていいかわからない……というか駄本では……」と思ってしまうような本も少なからずあります。ところがその逆、「これは完璧な参考書だ! すべての学生にこの本を勧めたい。この本にとりくむべし。さすれば必ずや効果が出るであろう。なむなむ」なんて思わず予言者口調になっちゃう本がないことも事実です。
 というのも、参考書にはまず「取り組むのに必要な知識レベル」があり、さらに「到達目標レベル」があります。ある人には難しすぎて捨てたくなってしまう参考書が、別の人にはちょうどいい難易度かもしれません。ある人の志望校にはレベルが足りない参考書でも、別の人の志望校には充分なレベルかもしれません。こういったことを考えると、誰が・何のために使うのかを抜きにしてはいい参考書もへったくれもありません。

 また、文体と読者の相性だってバカにできません。「この小説は文体がなんかムリ」って言って読むのを諦めちゃった小説の一冊や二冊、みなさんにもきっとあることでしょう。それと同じです。たとえば私は文末が「~だね。~だよ。」の“アニキ・アネゴ調”になっている参考書が大の苦手。親しみやすさの演出だということはわかるんですが、自分が学生だったら、なんだかバカにされてるように感じてしまいそうです。でも、そういう文章の方が読みやすいと感じる人だっているでしょうし。
 紙面のレイアウトもそうです。字のサイズとか、カラーの影響も大きそうですよね。多色刷りできれいになっている本だとやる気が出るという声は聞きますが、私としてはあんまり色が多くても目がチカチカしてしまうので、2色刷りぐらいがちょうどいい、多色刷りでもソフトなトーンで統一されていてほしいと思うタイプです。単色刷りになっちゃうと、また読みにくさの一因になってしまうんですけどね。

 まとめると、参考書の特徴を語る上で外せないのは
①対象生徒(どれぐらいの既有知識があれば取り組めるか)
②目標到達度(センターレベルとか、難関私大レベルとかいうアレ)
③文体とレイアウト
 ということになってくるでしょう。そこに内容的な特徴、たとえばどこに力を入れて解説をするか、解説はどの程度詳しいかなどが加わって、参考書はその本らしさを獲得するのです。

 さて、前置きにしては少々長く語りすぎてしまったようです。
 いいかげん一般論は飽きてきてしまったことでしょうから、次回は一冊の参考書を取り上げることにしましょう。
 英語の参考書の偉大なるロングセラー、駿台文庫のあの本です。

筆者紹介
.原井 (Twitter: @Ebisu_PaPa58)
平成元年生まれ。21世紀生まれの生徒たちの生年月日にちょくちょくびびる塾講師。週末はだいたい本屋の学参コーナーに行く。ビールと焼酎があればだいたい幸せ。

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