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透明な毒|大阪の岡田塾というスパルタ学習塾に通っていた話 2

祖母は、ビニール紐を首にかけながら死ぬと叫ぶ私を見て驚いた。
それで切々と、私に死んではいけない理由を説き始めた。

ただ、何を言っていたのかほとんど覚えていない。
「親戚が健太郎さんという名前をつけて、漢字とか、名前って大事やねん。そしたらすごい立派にならはって」とか、
「ずっと健康やった人がいたけど急に亡くならはって、命って大事やと思った」とか
断片的にそんなことを話していたのは覚えている。

思い出しても一体なんの話だったのかと思うが、当時の私は涙を流しながらそれを聞き、祖母も涙を流していた。

祖母からしても自殺しそうな小学四年生を止めるトークなんて人生初だろう。支離滅裂になるのも致し方ない。
ただ死んだりしてほしくない、という思いがあったのは伝わったのだと思う。

私は自殺騒ぎを解除した。

その日は岡田塾に通う日だった。しかしこんな騒ぎを起こしたので、塾に行く予定はうやむやになり、その日は家で過ごしたのを覚えている。

不慣れな小学四年生の自殺騒ぎと、不慣れな祖母の自殺防止説得で、話し合った内容は極めて混沌としていたが、私の言いたかったことはひとつだ。

「いますぐこんな塾は辞めたい」

本当に死ぬつもりであったかはともかく、小学四年生の文字通り決死の覚悟であった。

こんな騒ぎを起こしたんだ、少しくらい説明がめちゃくちゃであっても、それは伝わったのだと思っていた。
それ以上説明する気力は無かった。

日をあけて、塾から呼び出しがあった。

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