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This is a penと冴えない男

ふと気がついたのだが、異様なほど長く使っているペンがある。それはたぶん小学6年生の時に親に買ってもらったものだから、もう15年くらい。ただ同じメーカーを使い続けているという話ではなく、本当に当時買ってもらった1本を今も使っているのだ。シャープペンシルと4色のボールペンがひとつになった、まあ普通のペンなのだけれど。


おかしな話だが、それは元々筆記具として買ったものではなかった。と言うのも当時全国的にペン回しが流行っていて、僕もそのブームに(やや前のめりに)乗っかったのである。今ほどインターネットはインフラ化されていない時代だが、たくさんの技が編み出され、競技化され、「ペン回し協会」なるものができ、全国大会が開催されたりするほどだった。ある時ネット上で「Dr.Gripというペンが回しやすい」という情報を得て、僕は件のペンをゲットすることになる。しかし本当に回しやすいのはDr.Gripのシャープペンシルであって僕のはちょっと間違っていた(とはいえまあまあ回しやすかった)。

小学校では僕がクラス一ペン回しが上手かった。中学校に入ると、それぞれの小学校で同じようなポジションだったやつらが出会うことになる。そのうちの一人は回しやすいように改造されたペンを学校に持ってきていて、僕は衝撃を受けた。ペン回しをきっかけに話しかけて、休み時間に技を見せ合っていた様子は他のクラスメイトの目にどう映っていたのだろうか。今考えると冴えない青春である。

「改造ペン」という文化自体はペン回し界(どんな界だ)では常識なのだが、同時に物議を醸す話題でもある。複数のペンのパーツを組み合わせて長さや重心のバランスを調整したそれは、しばしば筆記具としての役割を失っていたからだ。友人が使っていた改造ペンももはやペンとは呼べないもので、僕はそれを邪道だと思った。しかし技は磨きたい。間違って買ったDr.Gripでは勝てない。だから僕はペンとして問題なく使える改造ペンにこだわることにした。「This is a pen」という例文は現実には使わないとよく言われるが、僕にとっては超実用的だ。自分の改造ペンを指差して堂々と「これはペンだ」と言ってやりたかった。

いつの間にか、僕は中学校でもクラス一ペン回しが上手くなっていた。
ある日の理科の授業中、ペン回し友達(どんな友達だ)がペンを回しているのを教師が見つけ、「お、ペン回し上手いな」と言った。すると友達が「あいつはこんなもんじゃないですよ」と僕を指したので、僕は筆箱からおもむろに改造ペンを取り出す。もちろん「This is a pen」なので不要物として没収などされない。僕が次々と華麗に技を繰り出し、クラス全員がそれを見るという変な時間が流れた。僕はまるで主人公みたいな気持ちだったのだが、みんなの目にはどう映っていたのだろうか。今考えると。


間違えて買ったDr.Gripは筆記具としては重く、改造ペンほど回しやすくもなくて、僕の筆箱の中で永久の2軍になった。その結果として15年経っても変わらずここにいるのだ。肝心のグリップは黄ばんで、傷もたくさんついているけれど、当時の冴えない思い出も共に刻まれている気がしてなんとも可愛い。ペン回しはいまだに上手い。

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