見出し画像

つまんねえねんまつ

1年が終わって、また新しい1年が始まる。それに大した意味などないことを、僕は知っている。12月31日から1月1日に日を跨いだとて、世界の秩序も住んでいる部屋も僕の見た目も貯金額も、何も変わらないのである。正確には年末ジャンボが当たった場合と、初売りで散財してしまった場合には貯金額は変わるか。どちらにせよそれは生活の一部でしかなくて、年越しが直接原因になるものではない。
それなのに年末にはなぜか「やりきった感」が漂っていて、誰もが全てから解放されたような顔をしている。


「ねんまつ、逆から読むとつまんね」
僕が中学生のころに読んでいた、とあるブログに書かれていた言葉である。僕はそれからずっと、現在に至るまで、年末が来るたびにこの言葉を思い出してきた。そしてさも自分が思いついたかのように使ってもきた。「つまんねえねんまつ」と回文にアレンジしてみたりもした。そうして気づけば10年以上になるではないか。
そのブログの主は別に知り合いとかではなくて、僕が当時ハマっていた趣味の界隈で少し有名な人だった。当然僕のことは知らない。彼は今でも「逆から読むとつまんね」と言っていたりするのだろうか。言っていないと思う。自分が言ったことすら忘れているかもしれない。しかしその言葉は彼の知らないところで知らない少年に届き、10年以上も生きているのだ。少年はあのころの趣味からは離れてしまったけれど、むしろ回文の方にハマっていた。「つまんねえねんまつ」考えてみればこれが僕の回文原体験である。


「つまんねえねんまつ」という回文が美しいのは、内容が事実に即しているからでもある。年末はつまらない。毎週1,000字をノルマとしているこのnoteだが、誰もと同じように全てから解放された顔をしている僕の年末には、あと300字を埋めるだけのトピックスがない。
つまんねえのだから仕方ない。ゲームでもするか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?