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微熱のすゝめ

なんとなく、自分は昔から品行方正な優等生だったと思い込んでいた。ところが改めて思い返すと、目立って道を外れてこなかっただけでバレないようなズルはちゃっかりやってきたような気もする。というかやってきた。


僕の平熱は36.8℃とか、36.9℃とかそのへんだ。しばしば高めだねと言われるのだが日本人の平熱の平均は36.89℃らしいので見事に平均値である。あと少し頑張れば(何を)、気合を入れれば(どこに)、37℃の大台に乗る。昔から我が家ではこの37℃の大台に乗ると晴れて(何が)微熱の判定が出ていた。
小学生のころの僕には、朝起きた時点で「いけそう」な日があった。もちろん学校にではなく、微熱チャレンジが「いけそう」な日。布団でできるだけ体を温めて、体温計を挟んだワキに力を入れて、あとは念じる。来い、ぎりぎり病院に連れて行かれないで済む37.2℃、来い。ピピピと音が鳴って、体温計が示すのが37℃ちょうどだったりすると、少し心許ないので数字で測れないような頭痛やだるさを付け加えてみたりもする。そうして僕は学校を休むのである。本当は平気なのに。まるでサッカーでいうシミュレーション(相手のファウルを装って倒れ込む行為)だ。品行方正な優等生の姿はどこにもない。母親がなんだかよそ行きの声で学校に休みの連絡をして、リビングの時計が普段見慣れない時間を指していて、テレビではがんこちゃんが流れて、僕はとんでもなく自由を得た気持ちになった。決して学校が嫌いとか、宿題をやっていないとか、そういうことではなかった。学校がマイナスなのではなく、休みがプラスすぎたのだ。こういうことが年に何回かあったと思う。
平熱に比例して微熱の基準も上がりそうなものであるが、これを良しとしていたのは全てを察した上での母親心だったのかもしれないし、僕が天才子役ばりの演技をしていたのかもしれないし、たまたま僕は本当に具合が悪かったのかもしれない。


そんな幼少期をふと思い出したのは、数日前、久しぶりに熱を出したからである。僕はもう小学生ではなくて、28歳の社会人だ。
大人になってからの微熱は全くもって、びっくりするほど嬉しくない。在宅で仕事をしているのもあって、どうせ休みにはならない。一人暮らしで黙ってがんこちゃんを流しておくわけにはいかない。あのころ無理やり微熱に持って行っていた僕が、今では逆である。37.2℃も平熱だ、37.5℃くらいまでは平熱じゃないか、おや、38℃、平熱と思えば平熱だよな。そうやって自分に言い聞かせる。ポカリを飲んで、ニンニク摂って、熱が下がったころに僕は思うのだ。平熱でいることこそが、とんでもない自由なんだと。

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