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第8話 気やすく触るな!

 たけるは第五層にいた。
 妖気の濃度が濃くなり、先が見えなくなってきた。
 ようやく五層と六層の境界域にたどり着いたのだ。

(さて、ここからだな)

 多神たがみたけるは、初めて六層に入るため気を引き締めた。
 感覚でも分かるのだが、念のため腰ベルトのバックにしまってある触媒袋を開けて目視で確認した。
 無駄な接敵は控えてきたのでまだ六割以上残っていた。
 だが念のため補給することにする。
 自分にとって未知な場所だから、六層で何が起きるかわからない。
 元々石橋を叩いて渡るタイプの慎重派だ。
 いや、臆病と言うべきだろう。
 リックを下ろし、白雪からもらった触媒を取り出し、自分の触媒袋に継ぎ足した。
 
「よし、行こう。このルート上にいてくれればいいが……」

 この中央道上に救援すべき者がいてくれる事を願った。
 討伐者道上には、高い木がなく、太陽光が降り注ぐ開けた場所が点在する。
 討伐者達はそれをオアシスと呼んでいる。
 オアシスは妖気が少ないので、妖怪の敵視がよほど高くなっていなければ自ら好んで入ってくることはない。
 妖気の薄いところは、酸素の薄い高地のような場所らしい。
 森よりは危険度が少なく、野営や休憩場所とされている。
 つまり討伐者が討伐者道を、あえて逸れて移動することはまず無い。

 ただ問題なのは、討伐者道は一本でなく三本有ることだ。
 尊はその三本のルートのうち、一番幅広い中央道を選択し進んでいた。
 特別な理由がなければ、そのルートで脱出してくるはずだ。

 五層と六層の妖気の混じった境界域を越える。
 境界域では光が乱反射して先は見通せない。
 10メートルほど進むと、ようやく六層の様子が見えきた。

「あっ!」

 すぐに対象と思われる二人を発見できたので、逆にの意味で尊は驚いた。
 二人の討伐者が、六層の妖怪であるろくろ首に襲われていた。

 女が地面に横たわり、男が跪いてその肩に手を置いて結界を張っている。
 ろくろ首は、伸ばしたゴムのような首を鞭のように振り下ろし、その頭部を結界に打ちつけている。

(この状況……倒れている女性の治療が先か)

 尊は、両手を彼らに向けてかざし、結界と生気の波長を合わせる。
 結界は妖気を通さないが、生気は同調させれば通過できるので、結界外からでも治療は可能だ。

 尊はまず左手で止血と痛覚遮断をする回復術を結界内に広げる。
 回復術師は応急処置術と呼んでいる。
 沈痛、止血作用がある。
 範囲術なので、その効果は男の方にも届いている。
 だが男はまだ気づかない。
 結界を維持するのに必死なようだ。
 更に右手から出した生気で女性の容体を探る。
 気絶しているが、かすり傷や打ち身による怪我などだけで、思ったより軽傷だとわかる。

(怪我は大したことない。これなら救える。とすると……生気を使い果たしたのか……)

 生気を確認する術を発動した。
 彼女の体が透明のペットボトルの様に見え、その中に半透明の液体のようなものが見える。
 それが生気と呼ばれるものの量を表している。
 メモリをつけるとすれば、2割も残っていないように見える。

(――まずい、生気切れで死にそうだ!)

 慌てて自分の生気を彼女に注ぐ。
 生気そのものは触媒で増せないので、自分の生気を注ぐしかなく、注いだ分自分の生気が減る。
 彼女の生気が38パーセントに達するまで注ぐ。
 それ以上は尊自身の消耗で帰途が危うくなる。

 男のほうに向かって右手をかざし生気量を探る。
 だが、そこで突然結界が消失、ろくろ首の頭が振り下ろされ、その肩にかぶりついた。

(やばい、もう限界だったのか!)

 だが、先に左手で応急処置術を施していたのが幸いした。
 出血したのは一瞬だけで、すぐに止血される。

 尊は右手をろくろ首に向ける。
 術で妖怪の状態も把握できる。
 ろくろ首には、十か所余りの損傷があった。
 この世界の生き物は、霊体であって肉体を持たないが、傷を治すイメージは普通に肉体を治療するときと同じだ。

 ろくろ首の頭部にある一番大きな傷に回復術を行使する。
 だが回復術で普段行う順序立てた治療では無い。
 細胞の回復、止血、縫合など複数の回復術を同時に発動する。
 傷口は瞬時に治るが、ミミズばれのような線が広がり、隆起する。
 ろくろ首は、痛みを感じたらしく、グシューと息を吐き、噛みついた肩から離れた。

 ケロイド状のミミズ腫れのような線が、ろくろ首の頭部から全身に広がっていく。
 その首は弾力性を失い、棒のようになって――バタン! と地面に倒れおちた。
 さらに全身がケロイドにつつまれ、ろくろ首は巨大なミミズのようになってしまった。

 これは、ある危機的体験から尊が生み出した独自の術で、過剰回復術と自分で名付けている。
 研修で教えられた回復術に、過剰回復なんて術は存在しない。

 動かなくなったろくろ首は、数秒で塵となって消え、そのあとに浄化結晶が残った。
 そこでようやく疾風はやては尊の存在に気付いた。

 尊は周囲を見回し、他のろくろ首が近くにいないことを確認してから二人に駆け寄った。

「すまない、もうだめかと思った!」

 疾風は脱力してため息を深くついた。
 尊は軽くうなづいただけで、直ぐに右手をかざし、妖気の排除、壊死細胞の除去、細胞再生、血管再生、皮膚の再生をする。
 これらは同じ回復術でもそれぞれ波動が異なるので、出す生気を順に切替ながら行う。
 そのため少なくとも30秒以上は時間が必要となる。

 しかし尊は鍵盤をイメージし、その一音一音に、別の波動を結びつけている。
 例えば「ド」の鍵盤を押さえたら、妖気の除去、「レ」の音を押さえたら細胞再生など、鍵盤と生気の波動を無意識に発動するようしていた。
 その鍵盤を空で弾く、つまりメロディーを奏でるように指を順番に動かすだけでいいため、いちいち波動を切り替える必要がない。
 だから数秒で治療できてしまう。
 ただ今回初めて来た六層妖怪の傷だ。
 五層迄の妖怪から受けた傷の回復よりは数秒は余計に時間を必要とした。
 それでも一般的な回復術者の治療より、明らかに早く治療回復が済んだ。 

「えっもう?」

 あっというまに、ろくろ首にかまれた傷が消えたので、疾風が驚いた顔を見せた。

「回復術師だよな? ろくろ首を倒した奴はどこだ。初めて見る術だけど、陰陽術師か?」

「いや、俺だけだ。話はあとにしよう。まず五層との境界域まで行く。立てるか?」

「――えっ、多神たがみさん?」

 突然名前を言われた尊はびくっとして、声のするほうを見た。
 意識を失っていた春香はるかが目を開け、尊のほうをみていた。

「……」

 数秒かけて、尊はその顔に見覚えがあることに気付く。

「えっ、神城かみしろさん? なんでこんなところに!」

多神たがみさんこそ、なんで? もしかして私死んだ? これ夢?」

 春香は周囲を見渡した。
 
「あれ、死んだ訳じゃ無いみたいね……」

「大丈夫なのか春香? なんで触媒きれてること言わなかったんだよ!」

 疾風は二人の会話に割って入った。

「ごめん疾風、まだあとちょっとぐらいいけるかと思って、ハハハ」

 春香は弱々しく苦笑した。

「そっか、多神さんもこの世界に来てたのね。そっかそっか。やり直したいこと、多神さんにもあるんだね」

「神城さんもそういうことかな……うん。でも、その話はあとにしよう。立てる?」

(とにかく……今は脱出しないとな)

 尊が春香に手を差し伸べようとするが、疾風はそれを遮って、春香の腕をつかんだ。
 春香は疾風に引っ張られて、なんとか立ち上がるが、腰砕けになってすぐ座り込んだ。

「あはははっ、だめだ、腰抜けてるみたい」

「俺がおぶってやる」

 尊は術を発動し疾風の生気の量を調べた。
 三十パーセントほどしかない。

(こいつ、他人をおぶるどころか、自分で歩くのさえ……)

「疾風君、生気かなり消費してるよ。俺がおぶるから」

「大丈夫だ! 春香は俺がおぶる」

 疾風は一本背負いするかのように、春香の腕をかかえ、無理やり背負った。
 だが一歩進んだだけでふらつき、倒れかけた。
 それを尊はとっさに後ろから抱きかかえた。

「きゃっ」

 抱きかかえられた春香は、顔を真っ赤にして恥じらった。

「くそっ」

 倒れこんだ疾風は悔しそうに尊を睨みつけた。
 
「春香に気やすく触るな!」

(うわっ、こいつ狂暴――)

「ごめん神城さん」

「ううん、いいの、ありがとう」

「えっと君たちって、彼氏彼女?」

 春香は一瞬意味が分からず、きょとんとしたが、疾風が顔を赤くすると、その意味を理解した。

「ちっちがうよ。ただの同級生。同じ高校なの」

 その春香の答えに、疾風はちょっと苦々しい顔をした。

「今は、まだな! でも手を出すんじゃねえ」

「こら疾風、多神さんが私たち助けてくれたんでしょ。命の恩人に失礼なこと言わないの。ちゃんとお礼言って」

「もうとっくに言ったさ」

「そんなことより、早くここから移動しよう。疾風君、すまないが今回だけは見逃してくれ。彼女はおれが背負うから」

「わかったよ! だが境界域までだからな」

 疾風は立ち上がって、少しでも早く五層の接続域に行こうと必死に歩く。
 だがよろよろとして歩みはのろい。
 尊は春香の前に背を向けてしゃがんだ。
 春香は、はにかみ、ちょっと躊躇したが、その背に体をあずけ、尊の肩を掴んだ。

「ありがとう」

 春香が耳元でささやいた。
 尊は全身がびくっとなった。

 お互いに装備をつけてはいたが、春香のぬくもりと柔らかさが背中に伝わってきた。

続く


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