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TAKEがなければGIVEはない

プレゼントをもらう時、
「〇〇円くらいの物をもらった」とだけ受け取ったと考える人がいるとします。A君とします。至ってふつうなことですよね。

けれど一方で「このプレゼントのために私の友達何人かに私のほしそうなものを尋ねたんだろうな」「選ぶのに何時間もかけたんだろうな」「その時間があればこの人はあれもこれもできたのに、それを私に使おうと思ってくれたんだなあ」etc…と物の価値以外にいろいろ受け取ったと考える人もいます。こう考える彼をB君としましょう。

また、「私に嫌がらせするためにこんなものを寄越したんだ」「他の人にもあげてる手前、義理で少しくれたに過ぎない。それを証明するようなプレゼントだ」「開封する時間とお返しするための労力を返せ」と言っていろいろ奪われたと考える人もいます。こちらはC君とします。

とある大好きな後輩がまさに2番目に挙げたB君のタイプで、そこから、同じものを受け取っても反応の仕方にはざっくりこの3タイプいるよなと考えました。

受け取れなければ与えられない

「無条件で人に与える人って素晴らしい」とか「今は与える人こそ成功する時代だ」とか言いますが、僕は基本的に受け取れなければ与えられないと思っています。

で、受け取るというのは完全に主観の問題だとも思います。想像力の問題とも言えるかもしれない。

さっきの3タイプで言うなら、B君は主観的に受け取り過剰の状態になりやすい。B君が受け取っていると感じていることは、与えた人自身は与えたとも思っていないかもしれません。

さて、何かを受け取った後に取る行動は三者とも同じです。まずリアクション、そして相手の誕生日なんかを狙ってお返しをする、です。

この時、自然と”受け取ったと感じる分以上には相手に返そう”とする気持ちが働くはず。

Bさんのリアクションはきっとかなり相手を喜ばせるでしょう。渡した人が「そんなに喜んでくれるなんて」と感じる反応をとる可能性が高い。

そして、お返しの時にはB君は相手やその周りの人が「そこまでしてくれるなんて」とびっくりするくらいのプレゼントができそうです(そうなりやすいと考えられる)。しかも楽しそうにしながら。もちろん見返りは求めていません。B君としてはお返しだからです。

当然、周りの人から見ればB君は「与える人」と捉えられることが多くなりますよね。

恩は仇で返せない

B君は、B君になにかくれる人の想像以上に受け取れるのでサプライズを起こしやすい。これがさっきの話です。

では、C君の場合どうなるか(どうなりやすいか)考えてみます。

C君は、B君と同じものを受け取りながら「自分は奪われた」と感じています。マイナスを受け取ったというのがCさんの主観。

なので、まず最初のお返しであるリアクションはこうなるかもしれません。

「迷惑。こんなの渡すくらいなら何も渡さなければ?」「これって嫌がらせですか?」「いらないんだよ!(ガシャン!パリン!)」etc…

Cさんはお返しを考える時、Bさんに何かマイナスを返す方法に対して創造的になります。どうやって仕返ししようか…と。

「あいつには二度と何も渡さないようにしよう」「暗にハゲというメッセージを込めてハーゲンダッツをプレゼントしてやろうか」etc…

これを側から見れば、Cさんにとっては不本意ながら、恩を仇で返すように見える可能性が高くなります。でも、Cさんの主観では等価交換をしているだけ。恩は仇で返せないのです。

富める者はますます富む

B君、C君の話を考えながら、C君は主観的には特に何も悪いことをしていないのにきっとB君よりずっと人間関係に苦労するんだろうなと想像できました。けっこうリアルに。

そのせいで、C君の奪われたと感じる癖は加速しそうです。いつも俺ばかりが割を食う、とか。

一方、B君は逆に人からよりなにかをもらう機会が増え、「あぁ僕の周りには本当に優しい人ばかりいる」「いつもいつももらってばかりだ」と感じることが増えていくんだろうなと想像できます。だんだんサンタのおじさんみたいになっていく未来が見える…。

ここまで考えて、これってあれだなと気づきました。マタイ効果だなと。

マタイ効果またはマタイ原理とは、条件に恵まれた研究者は優れた業績を挙げることでさらに条件に恵まれるという現象のことであり、それは科学界以外の様々な分野でも見ることができる。「金持ちはより金持ちに、貧乏はより貧乏に」と要約できる。
ーウィキペディア

あ、マタイ効果って主観の世界でも成り立つのかも!
ひょっとしたらそれがリアルの世界にも波及するのかも!

これが今日の発見。発見してどうしても記事にしたくなったので今そうしているわけです笑

受け取るを与える

もう少しB君(Bちゃんかも?)について考えます。大好きな後輩なので。

受け取ることについては他の人より想像力が特化しているB君。彼は受け取ることで周りの人が自分の価値に気づく手伝いを自然にしているんだとも気がつきました。

というのも、この前B君に

りょーやさんの「そっか」っていう相槌ってすごく優しいですよね。僕、その相槌を聞くと「あぁ、この人にはどんなことでも素直に話していいんだ。きっとそれを優しく受け止めてくれる」って思えて安心するんです。

って自然な流れで伝えれたんです。泣きそうになりました。いえ、泣きました。不覚にも。B君ぽい人は、ちょこちょここういうことを伝えてくれます。

”優しさってなんだろうね”と久々に会った沖縄の友人にボソッと言ったら、
「それを考えてる時点でお前優しいやつだよ」と返されました。

この話もそうです。詳しくはこちら↓

こんなこと言われたら惚れてまいます。まあ惚れなくても「自分はここに居てもいいんだ」「そのままでも少しは誰かに与えることもできるんだ」と温かい気持ちになれます。「教えてくれてありがとう。大好き!」となります。

僕はなにをしたつもりもないのに、彼らはなにかをしっかり受け取っていて、それについて感謝や尊敬の気持ちを持って伝えてくれる。

彼ら彼女らは、「私はあなたからこんなことを受け取っているんだよ」と率直に伝えることで多くのものを人に与えているんですよね。

最後に

僕が昔C君に近い受け取り方をすることが多かった時、B君のような大人たちにたくさん「ありがとう」と伝えられました。たくさんの言葉や行動で。

それは僕にとっては歯痒いものでした。どう考えても不釣り合いに思えたからです。

こんな非力でひねくれた自分がただ居ることを祝ってくれる人がいる、ネガティブで不器用な自分をいつも優しく受け止めてくれる人がいる、その事実は始めすごく気持ち悪く、拒絶的な反応ばかりしていました。受け止めきれなかったのです。

それでもなお「私はあなたからこんなことを受け取っているんだよ」「ありがとう」と態度や言葉で伝え続けてくれる人たちがいて、それでようやく僕は、自分を認め、自分をかわいがったり面白がったりできるようになったんだろうと思います。

えー、それでなにを言いたいのかと言いますと、B君のようになるのがいい、C君ではダメだなんてことではなく…

たくさん受け取ることこそ最高のGIVEだなってことです。

ここまで読んでいただけていたら伝わることと思います。
「なるほど、じゃあお前、俺に100万円寄越せ。俺って優しいだろ?」って「お客様は神様なんだから丁重に扱え」と言うお客さんみたいなことにはならないと思います。


最後の最後に。

僕にこの記事を書かせるきっかけとなる気づきを与えてくれたA様、B様、C様、ありがとうございます!


今回も最後までお読みいただきありがとうございました!!


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