完全に逃げる、ことがずっとできなかった。泣くまで、泣いても責められ続けた。風呂に入っても何度も何度も怒鳴り込みに来て、バスの時間が迫ってても引き留められた。すべて、内容も忘れた様なしょーもない罵声だ。親は子供が逃げ込める安全基地ではなかったし今でも嫌な事からの逃げ方が分かってない。その場で何とか戦うしか、もしくは我慢し続けるしかなかい選択を、ずーぅとしてきたから。

自我が作れられるのは、3〜15歳くらい。
私はその時、怒りを溜めつつ、ただただ我慢するしかなかった。親の捌け口にも、いい子でいることにも、好きなことを否定されることにも、心身の状態がおかしくなってきて、医者に行く事すらも許されずに諦めるしかなかったから。

その長年の蓄積の代償は、大きい。
子育てをして、幸せと同時に、そんな自分とまた顔合わせをしてる。

でも、この子達が私の今のかけがえのない大切なもの。だからそれを守りたくて、そんな自分とも向き合い戦えるんだ。もちろん、そのには内在化した色んなメモリーハビットがあるんだけれど。

ひとつづつ、ひとつづつ、子供に対するみたいに、自分自身にも丁寧にしてあげなきゃね。

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