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あんまり遠慮せず門をたたいてみよう

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」
新約聖書 マタイによる福音書7章7-8節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている牧師です。

私の旧友であり、師である「はたぼう」。しばしばこのnoteにも登場しています。

そのはたぼうと続けている「リモートコーラス部」。

先日も練習して参りました。あ、「リモート」だけど3か月に一度くらいのペースで「対面練習」もやってるんですわ。

その日私はお昼ご飯を食べる暇も無く練習に駆け付けることになったので、お土産がてらたこ焼きを買って行って、練習前にもぐもぐタイム。するとはたぼうが「ご飯のおともに……」と「推し動画」を流し始めました。

はたぼうの推し、ドクターキャピタル。
いやー、ギターも歌ももちろんすごいけど、この音楽解説が面白過ぎて。「へー!」と唸りながら見てしまう。ちなみに私ははたぼうに連れられてキャピ様のライブにも一度だけ参加させてもらいました。また行きたい。

で、あまりに面白かったので、ふと思い付いて我がオットにも薦めて見せてみたのでした。テレビ点けたものの、「何も面白いの無いなー」ってなってたので、「それならこれが面白いよ」と。
するとこれが大当たり。面白がって次々と違う解説動画まで見始めた我がオット。
はたぼう先生、キャピ様の素晴らしさを伝道することに成功しました。キリスト教以外の伝道に成功しがち……? 本業も頑張れ。いやほら、それは神さまに委ねてるから。(言い訳)

いや、でも冗談じゃなくね、「これいいよ! これ見て!」みたいに薦めるのって、効果あるんやな~と思いました。
はたぼうがあの日「キャピ様の新しい動画、みんなにも見て欲しいけど、みんな興味無かったら申し訳ないしな……」なんて思って控えてしまっていたら、私がオットに薦めることも無かったわけで。
オット、私がその後お風呂に入った後、改めて自分で検索しようと思ったのか、「なぁ、さっきの人、ドクター何やったっけ~?」と浴室の扉越しに尋ねてきたくらいなので、相当ハマったんやろな。良かったね、楽しみが見付かって。

「相手が嫌がるかも、あんまり気に入らないかも」と先回りした配慮で、何かを強く薦められなくなってしまうことが多々ある私です。
冒頭の聖句は有名過ぎる一節ですが、「求める、探す」ことはできても、「門をたたく」ことについてはちょっと臆してしまうところがあるかもしれないな、と今回の一件で思ったりしました。何となく、「求める、探す」と比べて、「門をたたく」のって、相手の出方が大きく関わってくる気がしませんか? 「求める、探す」は自分の努力次第みたいなところがあるけれど、「門をたたく」は第三者に開けてもらうことが前提になっているような……。そう思うと、自虐クドウは一番これが苦手な気がします。

でも、本当に良いと思った時には、少々踏み込んで「頼もうー!!」と門をたたいてみるのも大事なことかもしれません。(道場破りかよ)
ノックしてみても開かなかったらまあ仕方ないけど、そこで開かれた扉からお互いにとって良い出会いが生まれたら、「win-win」ですよね。


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