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平時の交わりが、緊急時に自分を助けてくれるのかも。

あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。
旧約聖書 創世記 6章14-17節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

数年ぶりに、対面で行われる研修会や会議が増えてきました。
行き来の時間とエネルギーはやっぱり大変だけど、直接会うことで「あ、この人もお元気なのね」とか、休憩時間のちょっとした情報交換とか会話とか、そういうのってありがたいな、と思う今日この頃です。

でももしかしたら、「リモート」に慣れた人にとっては、そういう対面での機会は煩わしいものになっているのかもしれませんね。
リモートの良さは新しい選択肢として有効に活用しつつ、この対面で出会うこと、繋がることの良さって何だろうと改めて考えたりします。

対面で行われる研修会も会議も、「別にリモートでできるやん」という内容が大半であることは事実です。ただ、リモートだと「リモートでもできる部分」だけが切り取られてしまうんですよね。
でも先述の通り対面の良さというのは、「こんな人もいらっしゃるのね」という「予期しなかった出会い」や、休憩時間等の「絶対必要」とは言いにくい交流、ちょっとした情報交換、互いの安否を問い合う緩やかなひと時なのだと思います。

「絶対必要」なものだけが私たちを活かしているのではないわけです。サプリや栄養剤だけでも命は保てるかもしれないけど、人としての健やかさには様々な食感や季節感や、共に食事する人との語らいが大事なのだと思うわけです。そんな感じ。

こういう「直接何の役に立つか分からない」出会いは、緊急時に思わぬ力になってくれるように思います。
自分が行き詰まった時、「そういえば以前あの方がこんな話をしておられたな。ちょっと助言をいただけないかな」とか、「今こういう人に助けて欲しいのだけど、あの方ならどなたかご紹介くださるのではないかな」とか。
「ネットで調べれば出て来る」と思われるかもしれないけれど、ネットで並列に出て来る情報より、「それを知っている」人がセレクトしてもたらしてくれる情報は一層直接的な助けになることが多いです。
困った時程「人」に頼りたいし、「人」が助けてくれるものだと思います。

「平時」に、一見「何の役に立つのか分からない」出会いを重ねておくことが、緊急時に自分を救う道筋を示してくれる。
緊急時になって慌てて助け手を探しても、そんなすぐにうまい具合には見付からない。アリとキリギリスじゃないけど、「いざ」となる前にコツコツ積み上げてきた関係性が、いざという時に力をくれるんだと思います。

冒頭に挙げたのは、有名な「ノアの箱舟」についての神さまのお告げの場面です。
神さまはノアに、「みんな堕落しちゃってダメダメだから、全部滅ぼします! あなたは私の言う通り箱舟を造って、家族と一緒にそれに入りなさい。許す!」と言います。
しかしここで命じられた箱舟建設、これめちゃくちゃバカでかい舟なんですよね。「長さ三百アンマ」とありますが、「アンマ」は「肘から指先」くらいの長さ。50㎝弱だと考えると、300アンマ=150m弱ということになるでしょうか。タンカーみたいなサイズです。

造るのも大変でしょうけれど、造っているその様子は周りの人の目を避けられなかったことでしょう。絶対に、「あいつ何やってんだ」という話になるわけです。
「これからものすごい洪水が起こってみんな滅んじゃうから、助かるために一緒に船を造ろう!」と言われたら、「そうか、じゃあ俺も助かるために船造り手伝うよ!」となるのか。
「何言ってんだコイツ」と思われて、「洪水なんてあるわけないじゃん、そんなことやっても意味無いよ」と笑われて、終わったことでしょう。だって結局誰も手伝った様子は書かれていないし、ノア一家以外誰も乗り込んでいませんからね。

緊急時への備えというのは、平時にはバカバカしく見える。意味が無いように見える。
でも、緊急時になってから船を造り始めても、遅いんです!!

平時に、「一見即効性の無さそうなこと」を大切にすること。
「役に立つか立たないか」という視点ではなく、その時その時の出会いや交流を大事にすること。
それがいつか、本当に私自身を救ってくれる、かもしれない。(かもしれない、なんかい(笑))

いやいや、要するに「役に立つかどうか」ではなく、出会いや交流や学びって大事ですよねって話です。
短絡的に、安直に、「今これが必要だから今これしかしない」ではなくて、「こういう交わりもきっと自分を豊かにしてくれる『何か』なんだろうな~」くらいの大らかな心持ちで、出会いを大事にしていきたいなと思うのでした。

では、そんなこんなで、また研修会に行って来ます。いや、実際時間的身体的にはキツイところもあるねんけどね(笑)


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