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推しは「かわいい」。生徒は「かわいい」?

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。
新約聖書 マタイによる福音書 20章26-27節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

皆様こちらご覧になりましたか。

はい~、我らがBTSのSUGA氏が! あの「江南スタイル」のPSY氏と! フューチャリングだのプロデューシングだの!
なんにせよ!!
かっこいい~、楽しい曲~、すばらしい~、さすが我が最愛~!!
(「推し」と呼べば楽なんですが、ここはひとつ「最愛」で。)(その辺のめんどくさい思考過程は以下の記事をご参照ください。)

さらにさらに! エンターテイメントの王者PSY氏(勝手にそう呼んでみる)は、この曲の制作過程までYouTubeに上げてくださっちゃうんですね~。ありがたいですね~。

見てくださいこのSUGA氏のかわいさを! ダンス練習時のノーセット黒髪の素朴さを! 大先輩PSY氏を前にした弟感を!

……と、ここまである種の宣伝のようなんですが、まあとにかく上記2本の動画は何度でもご覧いただいて構いませんので。観てください。私も何回も観ています。

一般で言うところの「推し」(いちいち前置きしてしまう)に対して、我々は「かわいい!」「かっこいい!」って表現するじゃないですか。
この場合の「かわいい!」は基本的には「めちゃくちゃかっこいい人の、キメ過ぎていない素の表情や振る舞い」辺りを好ましく思った時に「かわいい」という語彙を当てるのだと理解しておるのですが。

実は先日聞かれたんですよね。
「へー、中学生を教えてるんだ~。どう、中学生はかわいい?」

私、これに即答できなくて。

昨年度は高校生を担当していたので、「高校生と比べて中学生はかわいいか」というような文脈での軽い質問だと理解はしているのですが、「……かわいい、とは……」と勝手にフリーズして、「かわいいかどうか……は、分からん……けど……まあ楽しくやってる……」というような歯切れの悪い答え方をしてしまいました。

後から、どうして私はこの質問に対して戸惑ったのかと自分なりに思い返してみたら、生徒さんをひっくるめて「かわいい」と表現することに私は抵抗があるんだな、と気付きました。

「かわいい」って何なんでしょう。
Webの辞書で調べてみたら、
「かわいい」[形]
1 小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。
2 ほかと比べて小さいさま。
3 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
4 かわいそうだ。ふびんである。
……というようなことが書いてありました。

そう。「かわいい」には、「小ささ」や、ある種の「いたらなさ」を愛でたり好んだりするニュアンスがあるんですよね。

「推しがかわいい」という時には、「尊敬していたりかっこいいと思って感服したりしている」という「ベース」があって、「それなのにこんな無邪気な表情をしたり、楽しそうにふざけてみたりしているよ」という「ギャップ」に対して「かわいい」と言っているのです。たぶん。少なくとも私は。

それに対して、「中学生の生徒はかわいい」と言う時には、私の対する生徒さんを「未熟な者」と見做すからこそ「かわいい」と括れてしまうのではないか……という思いが先に立つのです。
それって生徒さんへの敬意が無いんじゃないか? 中学生だからって軽く扱おうとしてしまっていないか?
そういう葛藤が起こるせいで、「生徒はかわいいよ」と言い切ることができず、かつてのサザエさんのごとく「んっがっんっんっ」と言い淀んでしまうんですよね……。

「生徒さんを大事に思えますか?」とかって聞かれたら、「そりゃもちろん(キッパリ)」と即答できると思います。人間同士ですから、摩擦や衝突も皆無では無いにせよ、むしろその「人間同士」という点において相手を尊重したい、敬意を忘れずにいたい、という思いがあります。

「推しとファン」という関係性では、ファンはある種「受け身」の立場なので、イニシアティブは「推し」の側にある(と思える)。だから私は遠慮なく相手を「かわいい」と表現できます。でも「教員と生徒」という関係性ではどうしても「教員」の側に力が付いて回りがちです。だから、「かわいい」という表現で「生徒を自分より軽い、小さな存在として括ってしまうのではないか」という自戒の気持ちが強く働いたのかな……、と思いました。

「生徒はかわいい?」と尋ねてくれた方は、もっとシンプルに「生徒と良い関係ですか?」という意味で尋ねてくださったんだと思うのですが……、いやはや、我ながら面倒臭い人間です。

でも、冒頭に引用した聖句ではイエスさまが「先に立つ者こそ一番後になれ」という、逆説的な言葉で真理を示してくださっています。
私は自分のことを「教師」とは言わず「教員」と言うのですが、それは「自分が『師』と呼ばれるに相応しいかどうかは生徒さんが判断する」という思いがあるためです。教える仕事はしているので「教員」ではあるのですが、「師」となり得るかどうかは私には分からないし、謙虚な気持ちで「それを目指す」というところまでしか言えないなぁ、と。やっぱり面倒臭い人間ですね(笑)

そんなわけで、クドウの周囲の皆さん、私が「生徒がかわいいかどうか」という問いに言い淀んだ際は、決して「生徒なんてしゃらくせぇ」と思っているわけではなくて、「尊重したい、大切な個人として向き合っていきたい」という思いのゆえに「かわいい」という言葉をためらっているだけですので、「冷徹な人間だな」とは思わないでくださいね~!(汗)

さて、では天才的プロデューサーSUGA氏のことは絶大な敬意の上で心置きなく「かわいい」と言わせていただくことにして、MVをあと500回くらい観て来ましょうかね(・ω・)(おい)


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