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みんな祝福の中で輝いている ~ドラマ「まぶしくて」を観て(ネタバレあり)

「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。」
新約聖書 マタイによる福音書 7章3-4節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

前回、「二十五、二十一」を観てつらつら思ったことを書きました。

で、これを見たところ「勝手にナム・ジュヒョク祭り」(なんだそれ)が開催される運びとなり、続けて観たのがこちら。
「まぶしくて ー私たちの輝く時間ー」。

幼い頃に砂浜で時間を巻き戻せる時計を拾ったヘジャは、時間を戻すとその分自分の時間は人より早く流れてしまうことに気付き、その時計を封印。 25歳になり、アナウンサーを目指しつつもうまくいかない現実の中で挫折を感じる日々。そんな中、父が突然交通事故で亡くなってしまいます。何とかして父を救おうと、時計を使って時間を戻しますが、何度時間を戻しても思うように交通事故を防ぐことができず……。数十回の挑戦の末ついに父を助けることに成功しますが、次の日目覚めると、何度も時間を戻したために70歳のおばあちゃんの姿になってしまっていたのでした。

浦島太郎感漂う、ややSFチックな要素のある展開。現実のままならなさ(就職の困難、家計の困窮、自分以外の周囲の人たちの優秀さへの劣等感……)はすごくリアルだけど、ヘジャの兄をはじめとする登場人物のコミカルさと上手くバランスを取りつつ、なかなか面白いドラマとして見ておりました。

が!!!

(ハイ、ここから盛大にネタバレいきますよ)
(未見の方はご注意くださいよ)
(言いましたからね、先に言いましたからね?)

あの!!!

最後2回分の展開、納得いきましたー?!!!

結局「アルツハイマー型認知症による妄想だった」という回収……!!!

まじかー!!! と心で叫んでしまいました(笑)

いろんな韓国ドラマで「치매(痴呆)」という言葉はよく聞かれるので、この高齢者の認知症を巡る「問題(問題、がどちらにあるのかは分からないけど)」は、きっと韓国社会の中で関心の高いものであるのだと思います。
それを単に忌避するのではなく、「そこに人間がいるのだ」ということをきちんと受け止めていくべきではないか。そんな問題提起を他のドラマからも感じましたし、今回の「まぶしくて」にもそういうところがありました。

でもそれ以上に中心となるメッセージは、「どんなに今が辛くても、若い『今』はそれだけで十分素晴らしい」ということ。

70歳のヘジャが25歳だった頃に経験したことが基になって、「現代の25歳」に重なる形で「上手くいかないと思われたあの時にこそ、まぶしい程の輝きや喜びがあったんだ。渦中にいると自分の人生は不運で不幸なように思われるかもしれないけれど、振り返ればその過程こそが人生の喜びそのものだったりもするんだ」ということが描かれたドラマの最終局面。
「SFチックなコメディ要素ありのドラマかと思いきや、最後めちゃくちゃ現実的でシリアスやないかい……」というツッコミはありつつも、まあ訴えたいことはよく分かりました。何より役者さんたちが粒ぞろい過ぎて、見応えは大変大きいドラマでした。

受験や就職でずいぶん苦しい思いをしているという韓国の若者世代に、「いや、今あなたたちのいる場所こそまぶしい程に輝く時間なんだよ」と訴えるこのドラマ。
でもこれ、若い世代に限らないんじゃないかな、そうであって欲しいな、と思いました。
「上手くいかないことだらけで苦しいばかりのような毎日であっても、その若さは素晴らしい神さまからの祝福なんだよ」ということと同時に、「年老いて、夢も輝きも失ったように思われる日々であっても、そこにも神さまの祝福がたくさんあるんだよ」というメッセージであって欲しい。

冒頭の聖句は、「相手の欠点をあげつらう前に自分を省みなさいよ」という警句としてよく読まれる箇所ですが、「相手の小さな幸運をやっかんで、自分に与えられている大きな恵みに気付かない」ことのたとえとしても読めるなぁと思いました。

吉野弘の詩に「虹の足」という作品があります。
バスの中から見えた虹。そのアーチの先が田んぼの中に降り立ち、小さな村といくつかの家がその虹の中にすっぽり入ったという場面。

―――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。

ぜひどこかで全文を味わっていただけたらと思いますが、ここには後半だけ引用しておきます。

きっと私たちも「もう若くない」とか「あの人の方が私より優秀」なんて誰かを羨んでいても、「おーい、そういう君こそ虹の中に、神さまの豊かな恵みの中にいるぞオ」と呼び掛けられていることがあるのでしょう。
そんな虹色のまぶしいほどの光に包まれてあることに心を留め、感謝しつつ、前を向いて歩んでいけたらと思います。


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