トナカイさんに言葉を貰った話

トタン。
とたん。

なんだか可愛らしい響き。
訪れる前の何倍も愛おしくなって、何度も口の中で音を転がす。

あったかい場所だった。
とってもとってもあったかい場所。
やさしい暖かさで満ちた小さな家の、
手を伸ばせばどこまでも広がる緩やかで穏やかな空間。

お写真も、詩も、生きていた。

ずっと、いや、たったいま、欲しかった言葉たちが。わたしを待っていてくれていたかのようにすうっと染み込んで、最初の一頁からもう目が離せなかった。

メイン展示の二階は畳を踏みしめる毎にミシリと音が鳴って、いま、ここに、ぼくがいると、音が教えてくれた。

トナカイさんは、思った通りを通り越して想像以上にトナカイさんで。ふふってなった。

何者にもならずに居させてくれる場所。

目の前に飾ってある言葉からも、トナカイさんのゆるやかな空気からも、それを感じられて、宮藤仁奈もSも消えた、「わたし」ですらない、自分になった、1時間半。

コートのまんま。ストーブの傍に立ち尽くして。
こんなにあったかい、新しいお客さんが来る度にカラカラと開いた扉から流れ込む少しだけの冬の夜すらもあったかいような、絶対的な家、みたいな空間。
ここで見るものが、後でお家に持ち帰って同じように見えるのか自信はなかったけど、いまここは確かに存在したから。それで満足した。

最終日だから、これを書いても宣伝にならない。誰かを連れてもう一度行くこともできない。
ただ、自慢のためにこれを書いている。

本当は、誰かと。大好きな誰かと空間を共有してあわよくば何かを掴めたらと思った、けど。
一人で来て正解だった。
同じ体験をしてほしい人はいる。けれどわたし自身が愛する人にこそ秘密にしなければいけない、目の前にあるのはそんなモノたちだ。
わたしのための、わたしだけの言葉。
そんな訳ないのに、そんな気持ちにさせてくれる。

何度も何度も繰り返し捲っては戻って。
何度も何度も詩集を入れた袋を電車の中膝の上で覗いた。

こうして書くのも。
トタンに「あなたのことを教えてください」と書かれたノートがあったけれども。
そこで言葉を書き残せるなら、きっとぼくはここへ来ていなくて。きっと二階でぼろぼろ泣いてもいない。
言葉にし得ない事象に追い詰められて、逃れ逃れ辿り着いた、この、部屋。
きっとそんなのみんなそうで、わたしより切羽詰まってそうな言葉が前の頁に綴られているのに、わたしは全然楽じゃなくて、余計書けなくて。
でもそれも自由だって、ここでなら信じられたから。
わたしは、安心して、黙った。
話したいときに、ちっさな、ちっさな声でお話しした。

たくさん買ったら、一冊一冊にかわいらしい笑顔を添えてサインをくれたトナカイさん。
でもそのサインは、少なくともわたしが購入した2冊どちらもオーダーメイドにしてくれた。
直に贈られた証は欲しかったけど、ただ誰でもない、「わたし」ですらない、自分自身のために手に取ったこの詩集であってほしくて。
ノートにも、メモにも名前は残さなかった(まあ最後に爆買いしたのでトナカイさんの記憶には残ってしまったかもしれない笑)。宮藤もSもトタンにはいなかったの。
わがままに応えてくださって(これでいい?)と訊くようにこちらを見たトナカイさんの笑顔がとてもキュートで、わたしはきっとやっと、ただ相手に向けただけの、ただそれだけの笑顔になれた。

息を吸える。
息が、足りている。

たった1時間半。
どんなに満ち足りても、また明日にはぎりぎりかもしれない。
でも何者でもなくていい場所がこうして時々生まれることを知ったから。2020年もなんとか生きていける目処が見えたような、そんな気がした。

明日からキコが再開する。
情緒はダメに決まっているのだけれど、それでも今、前日にこういう時間を過ごせたこと、無意味じゃないって思う。
『5月の虹』で一番惹かれた詩は、きっとインドで生まれたもので。D子を想う。

言葉を話したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?