笑うこと

ぼんやりと流れるKiss×Kissを聞いてたら、ふと今のこの苦しさの正体を掴んだ。
Twitterで9.11のときのショービズの外国人たちの話を読んで、京アニ放火直後のマモライのアンコール曲を聞いて、繋がったこと。

それどころじゃないっていうような非常時に、笑うこと。
それは小栗さんの言う “現実に捕まらないように逃げる方法(=笑う)” こと、でもあったんだ。
それはそういう職業の人間 (あるいは社会人はみなそうかもしれない) に許された、あるべき姿。
それは私がずっと最も美しいと思ってきた、生き方。
努めるべき理想でありながら、あるべきと設定された方法の枠は私を安心させる。今思えばなんて楽でステキ✨な理想だったんだろう。

そしてそれが出来る環境とは。
私には、照明を含めて演劇をすることと、係長と一緒にいることだった。

だから、演劇ができなくなっても、係長がいれば介護の世界でもある程度調子よく過ごせた。
係長がいないとだめだと認識しつつ、ここで働いていくことを何度も考えた。
そんなことができるのは、やっぱり、係長のおかげでしかないのに。

どっちもできなくなって、笑うことへの意味というか強制力というか、力の源をなくして、やっと分かった。どれだけの大きさで居てくれたのか。それがどれだけ私にとって重要な行為だったか。
演劇がなくても、係長がいるから。
笑えた。逃げることができた。
なのに。
会 え な い 。
かすりもしない。任されてんの?任されてんのか?
でも任されるほど良い働きができたのはペースメーカーに係長を設定したからだぞ?え?これ調整するのが社会人なの?社会人向いてないな?
なんてことを思う。

と言いつつ、宮野さんのリストがリンダリンダに突入して頑張る気力が湧いてきてしまうのだ。
加筆修正する間にハッピーライフが流れ出して、笑いたくなってしまうのだ。
ぼくはヒーローを聴いて、どんな苦しみの中でも誰かのために笑顔で頑張りたくなってしまうのだ。

新しい気付きが変えてくれる視点もあるだろう。
係長と組めるまで、また宮野さんのターン来たかもな…笑

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