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忘れてた誕生日

先ほど、長男に「明日、誕生日だよね」と言われて、数時間で46歳になることに気が付きました。

相変わらず、子どもたちは元気で、大きな病気も怪我もなく、本日も一升近いお米が彼らの胃袋に流し込まれました。

食費の右肩インフレは留まることを知りませんが、現在のところは、外食しないとか節約しながらも、しっかりとご飯を作って、出せています。

昨年5月からスタートした「夜のユースセンター」や、少年院を出院した少年への食糧・生活用品の提供などの現場にいると、毎日のご飯が提供されることや、明日のご飯を心配する必要のない環境は、まったく当たり前ではなく、僕や妻もひとつ大病すれば、いまの生活が継続することは難しいと思います。

食べるものがなく、がりがりに痩せているとか、栄養失調で倒れるという見えやすいものではなく、そこらへんにいる若者たちに見えますが、実は明日のご飯は定まってない。

それでも話せば元気で、遊べばはしゃぎ、僕が10代の頃より、良くも悪くも社会との接点が多い彼ら、彼女らに、少しでも安全で、安心な日常を提供したいと思います。

さらっと来れて、ご飯があって、明日の生活に必要なものを持っていける。特に御礼も求めなければ、感謝のコメントもいりません。むしろ、(普通の意識として)ここに来たらお金使わなくて済むからラッキー、くらいのことを思ってほしい。

それでも、聞かれるんですよ。このお金ってどうしているんですかって。17歳とか、18歳の子どもたちが、僕やスタッフに聞いてきます。

そんなとき、いろんな大人が寄付してくれていて、この場が作れているし、交通費の往復も出してあげてっていう大人がいるんだよ、と伝えています。

「だから、大人になったら君も」みたいなことも言いません。

夜のユースセンターは、職員の一言から始まった夜間の居場所ですが、ここは僕にとっても大切な場所になっていて、数時間、若い人たちと遊んだり、話したりしながら、でも、KPIとか人数が何人以上いないといけないとか、どれくらいの割合が就職しないとい継続できないのか、そんなことを考えないでよくしたいと考えています。

ざっとした試算で、毎週一回、夜のユースセンターを開催し、毎回30名から40名の若者が来るとして、その資金が年間250-300万円くらいです。

ので、もし余裕があれば、単発でも継続でも寄付で支えていただけると大変嬉しいですし、情報のシェアしていただけるのも非常にありたいと思ってます。

そして、ここまで書いて思い出したのですが、小学校何年生のときか忘れましたが、自分も家族も、僕の誕生日を完全に忘れていた一日がありました。

自分が忘れていたくせに、親に難癖つけていた記憶があるやなしやですが、もう父親はいないので、今度母親に確認しようかと思います。

これからスーパーいって、子どもたちの食糧を調達してきます。


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