工高生の作品②-地域のお宝さがし-108

■工高生の作品-工芸高校Ⅱ-■
 前回は、暑中見舞いを主に紹介しましたが、今回は暑中見舞いと年賀状を紹介します。内容は、日本建築史に関するもの、その他です。

●絵図●(図1)

図 1

 図1の上部には、平安時代の貴族の住宅である「寝殿造」が描かれています。「寝殿造」では、入口上部の「御簾」(みす)、左側の「几帳」(きちょう)、右側の「屏風」などで空間が仕切られていました。図2を参考にしたと思われますが、雰囲気がよく出ています。

図2 源氏物語絵巻部分(『日本建築史図集』より転載)

 図1の下部は、工事現場における大工の作業が描かれています。槍鉋(やりがんな)を用いた作業は、図3の白枠部分を参考にしたと思われます。ところが、よく見ると、図1の大工が削っているのは板材で、作業場(下小屋)で仕事をしています。一方、図3では、屋外で丸太を削っていることから、作者が画面構成に工夫をしていることが窺われます。
 作者の父君は、「大工(でーく)」だそうですが、大阪の「でーく」が、「てやんでえべらぼーめえ」と突っ張っているのが、面白いです。

図3 春日権現験記部分(『絵図大工百態』より転載)

 図3を見ると、下部の釿(ちょうな)の使い方から、釿は板材を削るだけでなく、丸太の固定にも用いられたことが分かります。その上部は、墨壺で墨付けをしています。右上部の、遣り方(やりかた)には、水糸(みずいと)が巻き付けられ、柱や壁の中心が示されています。また水盤に水を入れているのは、水盛り(みずもり)といい、基準になる水平面を定めています。現代では、「レベル」という器具が用いられます。器具の違いがありますが、基本的な作業は、現代の工事現場と大きな違いがないなあと感じられます。
 現代と大きく異なるのは、楔(くさび)で角材を割っているところです。この絵図が作成された当時は(延慶2年[1309])、縦引き鋸(のこぎり)は考案されておらず、鋸は、上部の下小屋で大工が木材を切るのに用いている、木の葉形の横引き鋸しかなかったのです。この後、工具の発達によって繊細な建具などが作られるようになります。

●従二位家隆●(図4)

図4

 この作品は、小さな粒子を張り詰めた砂絵です。なぜ、「家隆」なのだろうと気になりました。藤原家隆は、鎌倉時代初期の歌人で、作品に記載された和歌は、上賀茂神社の「六月祓」(みなつきばらえ)の情景を詠んだそうですが、これが「暑中見舞い」を示していると、やっと気がつきました。ところで、「家隆」は、出家して四天王寺近辺(夕陽丘)に移住し、「夕陽庵」(せきようあん)で念仏三昧の日々を送ったそうです。「夕陽庵」の跡地には、「家隆塚」が設けられています(図5)。

図5 家隆塚

●姫路城●(図6)

図6

 この作品は、図柄が小さく、あまり目立ちませんが、図7と比較すると、姫路城の形態がよく描かれていることが分かります。ちなみに、この文面は年賀状ではなく、寒中見舞いですが・・・・。

図7 姫路城天守閣

●阿修羅像●(図8)

図8

 この作品は、仕上げも丁寧で、雰囲気がよく出ています。

●パズル●(図9)

図9

 パズルを作るか?と思った作品です。問題と解答があるので、見ていくと、「よこのキー」⑨、「1515年和歌山、根来寺多宝塔にみられるつくりは  建築?」の解答が不明です。恐らく、「密教(みっきょう)」としたいところでしょうが、合わずに自爆しています。
 以前にも、筆者の勤務校で、定期試験の際、事前に生徒自身が設問と解答を作り(当然、配点もしておく)、それを本番の答案用紙に記入するという問題を出したことがあります。ある生徒が、著名な建築物名・時代・様式・所在地を、線で結ぶという問題を作りました。とてもよくできた問題で感心したのですが、解答を間違えて自爆していました。問題がよくできていたので、その配点を認めましたが、返却時にクラスで大笑いになりました。

■閑話休題■

 年賀状では、今度こそ上位の当選(景品)を期待したのですが、結果は、切手シートが数枚当たっただけで、暑中見舞いと同様、生徒への入賞品の出費が上回りました。
 筆者は、工高在学中に先生から、「工芸生は、デザインが上手い」と聞かされたことがあります。実際、非常勤講師で担当した生徒で、建築科を卒業後、漫画家になった人もいました。工芸生が、デザインや絵が上手だという伝統は継続されており、2022年度の「工高生デザインコンクール」(日本建築協会主催)では、全国入選(10点)のうち、工芸が5点を占めていました。「工芸恐るべし!」。

 次回から、筆者が勤務した今宮工高の生徒作品を紹介します。

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