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『邪神捜査 -警視庁信仰問題管理室-』ショートストーリー「魔薬事件」③

 運転中の僕の後ろで、ガラスケースの中の茶色い粉を色々な角度から眺めていた降三世警視がぽつりと言った。

「これから科捜研に分析を頼むことになるんだが、久遠くんはこれからどういう成分が検出されると思うかね?」

 僕が思いついたのは、座学の知識によるものだった。
 
「アンフェタミンかメタンフェタミンあたりですか。アルカロイドとかもありかな。だいたい、そんなところじゃないんですか」
「なんだ、覚せい剤かコカインあたりだと思っているのか。―――違うね」
「お言葉ですが、被疑者の平川からは覚せい剤の薬物反応が出ているんですよ。あいつの部屋には同じようなヤクがあると考えるのが通常じゃないですか。しかも、危ないドラッグのコレクターだ」
「こんな、茶色いのに?」
「変色することだってあるでしょう。抽出を間違えることだってある。平川の部屋から押収されたドラッグは何十種類もありましたから、白ばかりでもないはずです」

 すると、警視は窓の外の太陽にガラスケースを翳し、

「これは変色じゃあない。もともとこういう色なのさ。ついでに言うと、おそらく成分は酸素、ケイ素、アルミニウムが約九割、ケイ素を中心とする高分子ケイ酸塩鉱物も含まれているだろう。その中に、リン酸カルシウム・・・・・・・・が溶けずに残っているはずだ。あと、ウコギ科キヅタ属 とヒユ科ヒユ属の植物の繊維も見つかるだろう」
「―――なんですか、それは? 新しい麻薬の一種ですか?」
「何を言っているんだい? 酸素、ケイ素、アルミニウム、ケイ酸塩鉱物といったら土の成分じゃないか。我々の足元にいくらでもある奴だ」

 土?
 茶色く見えるのは、まさに土だからなのか。
 水分が抜けて砂状になったただの土だというのか。
 そういえば鑑識の女の子も「土」と言いかけていた気がする。

「君の署の鑑識が軽く調べた段階で、薬物の類いではなく、どこかの記念品か何かの土だと判断されたから科捜研に回されずに放置されていたんだ。暇があったら、彼らも調べたかもしれないが、残念なことに押収品の量が多すぎて、これは後回しになった。私がわざわざ足を運んだのは、押収品リストをみて一刻も早く分析する必要があると睨んだからさ」
「ただの土……のためにですか?」
「いや、そんな訳ないだろう。ヒントは言ったじゃないか。リン酸カルシウムが含まれている、と」
「リン酸カルシウム自体がわからないです」
「まったく、久遠くんは化学知識がないねえ。リン酸カルシウムというのは、カルシウムイオンとリン酸イオンまたは二リン酸イオンからなる塩のことだよ。主に骨の成分にあたる」
「骨ですか……」
「ああ。特に火で炙った場合ははっきりと残り、土に混じってもいつまでたっても土に還らない。成分を分析してリン酸カルシウムの量をだせば、どこの場所のいつの時代の土壌などを読み解く目安にもなるという訳さ」
「―――でも、待ってください。そんなただの土をどうして平川は後生大事に抱えていたんですか? 覚せい剤の方がはるかに値が張るでしょう」

 すると、警視はおとがいに手を当てて、

「通り魔となった男は覚せい剤中毒者だった。これは確かだ。しかも、色々な種類のドラッグを集めて試してみる、ちょっとしたコレクターでもあった。そんな男がひょんなことから、一風変わったクスリを手に入れてしまった。おそらく、見えないものが視えるクスリとかいうフレーズだったのだろう。狂った趣味人であり、重度のジャンキーでもある男はそれを購入して試してみた。当然、どういう効力があるかを期待してだ。それで、結果として、男は今回の通り魔事件を起こしてしまった」

 なるほど、だいたいわかってきたぞ。
 その変わったクスリの効能で平川はただのジャンキー以上にラリってしまい、見えないものが視えるとトリップしてスコップを握りしめたのか。
 あの意味不明のたわ言もわかるというものだ。
 ただの覚せい剤とは比べ物にならない強力さだったわけだ。

(いや、ちょっと待て。警視はその茶色の粉の成分は土と骨だといったじゃないか。そんなありふれたものに薬効なんてあるものなのか)

「少しいいですか。土と骨に―――中毒症状やらを起こさせる効果ってあるんですか?」

 僕にとってもっともな疑問だった。
 いくらなんでも非常識だ。
 ただし、聞いてみたかった。
 そして、僕はよく知っている。
 降三世警視を知っている。
 この人が、ただの土の成分を知るために、わざわざ自分で所轄までとりにくるなんてありえるはずがない。
 この狂人のイカレて爛れた脳髄を刺激するだけの何かが、それには含まれているはずなのだ。
 なぜならば、彼の所属は「信仰問題管理室・・・・・・・」なのだから。
 そして、警視の興味を引く唯一のものは―――あの馬鹿げた神話しかない。

「―――1928年。アメリカはマサチューセッツ州のとある村で事件が起こった。その村のいたるところに草木をなぎ倒す何か巨大な「物」が通った跡が見つかり、いくつもの建物が破壊され、多くの牛が殺され、村人を恐れさせた。結論としては、その怪物の存在に気付き研究していた同じ州で最も権威のある大学の博士と仲間たちが退治したそうだ。そいつは不可視の透明な存在で通常の手段では見つけることもできなかったらしいのだが、博士が調合した粉末ならば一瞬だけ怪物の姿を確認できたらしい。残念ながらどうやって退治したのかははっきりとわかっていない。ただ、怪物が本当に透明なサムシングであったことだけはオカルトの世界では真実として伝えられている」

 いつものヨタ話にしては、珍しくスケールがでかい。
 話を聞く限り、まるで怪獣映画じゃないか。
 怪獣が暴れまわり、正義の味方の博士に退治されだと?
 しかも透明な怪獣だって?
 そんなものがいたら、きっと世界中でもっともっと話題になっているはずだ。
 非常識で奇天烈な話を信じるなんて、頭がおかしいにもほどがある。
 だが、そのヨタ話に僕は思わず聞いてしまった。

「透明な怪物……まさか、1928年なんてたった百年前じゃないですか。そんなのがいるはずがないでしょう!」
「まあ、さすがに怪物の真偽については不明だ。私も確信は有していない。ただ、この話で注目されるべき点の一つは、『透明なものを見るために調合された薬』があったということなんだよ。それが大事だ」

 どくん。
 心臓が高鳴った。
 それが十回鳴り終わるまで、僕は脳裏に思い浮かんだ考えを消すことができなかった。

『―――ああ、ああ、なんなんだ、なんなんだ、ゼリーみてえな縄が浮いてやがる! どうして、てめえらは平気なんだ…… おかしいじゃねえか!』

 平川はそう言っていた。
 少なくとも目撃者たちは証言している。
 透明なものを視て、それがゼリーと縄のようなものが絡み合った不気味な姿で上に顔がついているものだと。
 そいつの顔が弱点だと思った平川は、そこを潰そうと近くにあったスコップを手にして襲い掛かった……
 透明な化け物を―――退治するために。

「まさか、そんな、ありえない!」
「それはわからないさ。《《実際に、男は透明な何かを視たのかもしれない、ただの覚せい剤の幻覚だったのかもしれない》》。ただ言えることは、男の手元にはこの茶色い粉末が―――透明のものが視えるように調合された薬――200年以上遺体が埋葬されている墳墓の塵、砕いたアマランス 、木蔦の葉を、粒の塩を、2、1、1、1、の割合で、土星の日の土星の刻限に乳鉢で混ぜ合わせてつくる、イブン・ガジの粉・・・・・・・・・と推測されるものがあったということは確かなんだ」

 待てよ、待てよ。
 平川からは薬物反応が検出されている。
 だから、覚せい剤取締法違反なのは確かだ。
 証言は信用ができない代物である。
 だが、もし、その薬が警視の言う通りのものだったとしたら……いったい平川は何を視て、何を殴ろうと襲い掛かったんだ。

「私はこの粉の分析を急がなければならないのさ。何故かって? もし、男が視たものが噂の通りに本当に透明で存在している何かだとしたら、きっと面倒なことが起きるかもしれないからだ」
「その粉が……本物だとしたら……」

 平川の引き起こした事件で一番の重傷を負った通行人は、意識不明の重体のまままだ集中治療室にいる。
 被害者なのだから手厚い治療を受けていることだろう。
 しかし、その被害者の背後に平川の言う通りのものが憑りついていたとしたら……
 ゼリーのような縄に顔のついた透明のバケモノを、本当に善意と勇気をもって平川が退治しようとしていたのだったとしたら……
 そいつが過去のマサチューセッツ州の村のように暴れだしたりでもしたら……

「降三世警視―――あなたの言うことを僕は信じない……信じないけれど……」

 警視はガラスケースから、わずかな分だけを手にした証拠保管用のビニール袋にしまう作業をしつつ、

「サンプルはこの程度でいいだろう。―――さて、私の知る限り、最初の被害者は大久保の大学病院に運ばれたはずだよ」

 と、木で鼻を括ったような態度で言った。
 誘導されているが、乗っかるしかない。
 僕には選択肢はなかった。
 
「了解しました。ただちに、大久保に向かいます」

 僕はパトカーのサイレンを鳴らして、警視の思惑通りに病院へ向けて車のアクセルを踏み込んだ……
 

                      「魔薬事件」 完

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