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巷で噂のエスカレーター【怪談】

12、エスカレーター

近所に幽霊が出ると噂のエスカレーターが存在する。そのエスカレーターはJRの駅に直結する比較的新しい物で、幽霊が出そうには微塵も見えない。しかしながら、噂は近隣に住む子供から大人まで知っているし、実際に出くわしたと言う人が後を絶たない。
その噂の内容は多少の差異はあれど、大まかにはこうだ。
「雨の降る日に、時間の遅い電車を利用しようとすると霊が現れ、あの世に引きずり込まれる」

初めて聞いた時には、なんだその教訓めいた怪談はとツッコミを入れずにはいられなかった。
時間が遅いという事は終電、もしくは終電間際で電車が無くなるギリギリという事。そして雨の日。
つまり、電車に間に合う様急いでエスカレーターを駆け上がると雨で滑ってしまい怪我をする、だから気をつけましょうね、的な話。大方、塾帰りの学生が骨折でもしてしまい、それが子供から子供、子供から親に話して聞かせる間に尾ひれがついてしまったのだろう。目撃者が多いのは、近所で有名な怪談だから自分も見たと見栄を張ってしまうという、よくあるやつに違いない。
付け加えるようで大変恐縮なのだが、見たと言ったのは大半が子供達なので、私の推測は正しいと思う。
もし大人が見たとしても、家族や仕事仲間に伝えた所で恥ずかしい思いをするだけだし、そもそも信じて貰える話でも無い。夏の一時を盛り上げる為なら一役買う事も出来るだろう。現に私もその一時を享受しようと、中学校から付き合いがある友人を連れ、そのエスカレーターへと向かっていた。

高校三年の夏、受験勉強をするという目的の下、私の家に友人二人が集まり二泊三日の勉強合宿がスタートした。それぞれ別の大学に進学する予定だったので、勉強する分野も範囲も違い、教え合う場面は少なかった。まあ女三人よれば姦しいと言うくらいで、無駄話をする時間の方が圧倒的に多かっただけとも言える。そんなこんなで初日を終え、夜、11時を過ぎたあたりで夜食を買いに出掛けた。
そんな夜更けに女子三人でと言うのは本当に危険極まりないとは思ったけれど、そこは青春、若気の至り、大人への第一歩。楽しくて仕方がなかったのを覚えている。
ポツポツと雨が降り出しても特に急がず、他人の色恋沙汰にあれこれケチをつけながら夜の道を闊歩する。
学生に優しいスーパーは駅を挟んで向かいにある為、駅中を通過するのが1番早い。チラホラと塾帰りの学生や仕事終わりのサラリーマンとすれ違う。
手短にスナックやらジュースやらを買い込んで、和気あいあいと帰路に着いた。
店を出るとさっきよりも雨は強くなってきており、傘を持っていない人達は小走りに駅へと駆け込んでいる。私達もそれに倣って小走りで駅へと向かう。
「もー、最悪ー。折角お風呂入ったのにさーぁ」
「それなー」
乾かした髪もキシキシと濡れ気持ちを落としつつも仕方なしと、この後のお菓子パーティを楽しみに止まらず走り駅に滑り込む。この時は一刻も早く帰りたかったし、例の幽霊の話なんてすっかりと忘れていた。
「ねーねー、夜で雨じゃん、出るんじゃない?」
と言われたのは私がエスカレーターに乗った時だった。出る、と言えば確かにこんな時間ではなかったろうか。なんとタイミングの悪い報告か。あと数秒早ければ階段で上がったのに。
私は心霊現象否定派ではあるが、そこそこにビビりでもある。矛盾しているかもしれないが、それはそれこれはこれだ。ホラー映画など人生で数えられる程しか観ていない。
ただの冗談だと分かっているし、内心舌打ちしながらもおちゃらけて答える。
「んな訳ないじゃーん、やめてよねー」
「怖がりだもんね」
「はぁ!?違うし!むしろガンガン観てるし」
「はいはい嘘乙〜」
私の煽られ耐性はそんなに高くないので、言われればやっちゃうタイプだと思う。階段の1番上から跳べるかと言われれば、私は跳ぶのだ。
自己分析も程々に、2人をおいて一足先にエスカレーターを登っていく。勿論大した段数でも無いので、10段も登ればすぐに最上段に到着する。
「ほらねー。何も無かったじゃん」
そのままエスカレーターを降りて2人の方を振り向いて言う。


「ぎゃーーー!!」


絶叫が駅構内に木霊するや否や、血相を変えた2人が買ったお菓子やジュースを投げ捨て、上がり続けるエスカレーターを無理矢理下っていく。
突然の事に固まるしかなかった私は、ただその意味不明な努力を見守る事しか出来ず、独り言のように「ちょっと」とか「え?」とかを連呼していた。
投げ捨られた炭酸のジュースがビニール袋の中で弾け、ポテチの袋や崩れたケーキを紫色に染めあげていく。悪ふざけにしては度が過ぎている。しかし2人の表情や行動にふざけている部分などなく、真剣に私から、あるいは私以外の何かから逃げている。
私はその「何か」を探して周りを見回そうとした。幽霊は大抵後ろに居るものだから、見たくはないけどほぼ反射的に後ろを振り向こうとした。でも、首を90度程捻った所で私はある事に思い至ってしまった。
2人の目線が私や私の後ろと言うよりはもっと……下になかった?
眼球の動きに従って首もどんどん下を向いていく。2人がエスカレーターを駆け降りるのをやめ、ベルトを乗り越えようとしているのが見えた。緊急事態になれば鈍足の2人でも素早いんだなぁ、なんて頭の片隅で考える自分がいるのが可笑しく、勝手に頬が吊り上がっていく。
視界の端につま先が見え始めて、私の短く太い足が現れる。グレージーンズは雨に濡れ、撥ねた泥が付いて汚れているし、何だか今日はいつもより太い気が……

「あ…………」


床から突き出た2本の腕が私の足を掴んでいた。

私は悲鳴も忘れてその腕を凝視していた。泥だと思った所は黒ずんだ血が固まっていて、関節が何個か多く、動く度にパキパキッと不快な音を立てる。
「・・・・・・っつ!」
足を掴む指に力が入り、突き出た骨と割れた爪がジーンズ越しにふくらはぎにくい込んでいく。振りほどこうとすればする程力強く、より鋭く肉に突き刺さってしまう。
助けを呼ぼうにも声が出せないし、2人はとっくに階段を降りきり出口から消えてしまった。
周りを見渡しても誰1人おらず、誰にも助けを求められないと分かり、恐怖と混乱で余計に頭が真っ白になっていく。
こんな事になるなら大人しく家で大人しくしておけばよかった、なんて考える余裕も無い。
「わわっ!」
突然がくんと視界が下がり始めた。
パッと近くの物を掴もうとしてもそれはグルグルと回り続けるベルトで、何度掴まり直しても延々とこちらに向かって流れてくる。そもそもなんでこんな所で視界がとまた下を向くと、足が床をすり抜けてどんどん体が沈んでいた。
「いや・・・・・・だ、誰か!」
叫んでも2人は戻ってこないし、近くには誰もいない。私が沈むに連れて2本の腕も更に引きずり込もうと、まるで私と同じ様にふくらはぎから太もも、腰へと手を伸ばす。
沈む体に痛みは無いけれど、感覚も無い。全く別の世界に連れていかれるんだ。そしたらもう帰って来れない、こんな事になるなら大人しく家にいるんだった。後悔で涙がとめどなく溢れてくる。半狂乱になりながらベルトを掴んでも無常にぐるぐると回り続け、腰を飲み込み上半身を飲み込んでいく。

首から下の感覚が無くなり、声を出そうにももう口を開く事も出来ず、ただ涙を流しているだけの私の後ろから
「あぁ……る……つぃ」
とだけ聞こえ、意識が途絶えた。





パッ、と明るさを感じたのは駅の蛍光灯じゃなかった。
鉛の様に重い体を真っ白なベッドから引き剥がすと、そこはどこかの病院の一室で、すぐ横からは「ジーワジーワ」と相手を探して鳴く声が窓を突き破っていた。
暫くぼんやりと外を眺めていると、後ろから私を呼ぶ声が。振り向くと目に涙を溜めている友人2人の姿があった。
泣きながら私に縋り付き、逃げてしまった事の謝罪と恐怖を矢継ぎ早に口にしていく。いいよ仕方ないよと伝えても何度も謝罪してくるので、多少イラッとしながらも話題を変えた。
「私どうなったの? あんまりよく覚えてないんだけど」
そう聞くと2人は目を合わせて、またしても私の様子をまくし立てる様に説明した。
ちょっとした聖徳太子の気分になったけど、とにかく2人が元気そうで安心した。そして、2人の話をうんうんと聴き、要約するとこういう事らしい。
エスカレーターを登りきり私が振り返ると、床から生えた腕が私の足を掴んでいた。どんな形かはよく分からないけどとにかく色は血の気のない青と灰色っぽかった。階段を駆け下りて出口を過ぎ、角を曲がった所で思い直しバッタバッタと戻ってくると、白目を剥いてマッサージ機みたいにブルブルと震えている私を発見。近寄ろうとしたら急に倒れ込んでしまい、頭を打ってしまった。救急車を呼んで親に連絡し、今に至る。更に言えばあれから丸1日が経った昼下がりらしい。確かに点いているテレビを見ると曜日を1つ跨いでいる。
少しして慌てた様子の両親が部屋に入ってきて、一頻り泣いた後、こってりと叱られた。そんな夜更けに女の子だけでとか、黙っていくなんてとか、それはまぁ散々叱られ、そしてもう一度泣かれた。
とりあえずこの夏休みいっぱいは外出禁止だし、夏休みが終わっても部活も無いのでどこにも寄る事無く帰る事を約束した。勿論それには同意するしかなかったし、たまに2人も家に来てくれるからそれ以上は望んでいなかった。結局、家から出なかった事もあってか志望校には合格した。2人とは同じ学校に進む予定だったので、都合が良いと言えば良かったのかもしれない。
あと、見えたりする訳では無いけど、何となくそれっぽい場所が分かるようになっていた。

ちなみに、始業式の日の帰りに少しだけ寄り道をしたは2人にも秘密にしてある。
と言うのも夜、テレビで事故映像特番を見ていたら、ある国で数年前に起きたエスカレーターの事故が流れたからだ。
とある親子がエスカレーターを使用し登り切った直後、床が抜けてしまうという衝撃的な事故。母親の一瞬の判断により息子は助かったが、母親は回り続けるエスカレーターに引きずり込まれ画面から姿を消した。
両親は怖いわねーとか母親の愛がーとか言ってたみたいだったけど、私は納得した。

私は始業式の帰りに例のエスカレーターに立ち寄り、携帯に文字を打ち込んで、自動音声に読ませた。
周りから見ればエスカレーターに向かって中国語を聴かせるヤバい奴に見えるかも、なんて考えながら。
「あるつぃ あんつぁんだ」
これで何かが変わる訳ではないかもしれないけど、知らないよりはいいと思っただけ。成仏でもすればいいけど、どうだろうか。
あまりのんびりもしていられない。極早の門限が着々と迫っているのだから。

そして踵を返して我が家へと向かおうとしたその時
「謝謝」
と、背後から聞こえた様な気がした。

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