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ハンドルの価値

来年奇しくも大阪万博が開催される
1970年に大阪万博開催から55年
日本は戦後25年でまだ固定相場の360円の時代である
1日のサラリーマンの平均日給が220円程度
だいたいハンドルの時代である
それなのにこれ程まで大々的に開催され成功に終わった日本のEXPO70あの時代になにがあったのか?
国内景気は1970年(昭和45)後半から停滞、さらに円の大幅なフロートアップで、「輸出の減少による国際収支の悪化」と「デフレ・ショック」が懸念されたが、円切り上げの影響はほとんど現れてこなかった。それどころか1972年(昭和47)の国際収支は前年を上回る60億ドルあまりの黒字となり、実質GNPも前年の2倍にあたる8%台の伸び率を示し、企業収益も急速に回復した。
 
日本経済がニクソン・ショックを乗りきって、上昇機運に入った1972年(昭和47)7月、佐藤栄作内閣に代わって田中角栄内閣が発足した。田中内閣が新政策の柱にすえたのが「日本列島改造論」であった。日本列島改造論はおりからの金融緩和のもとで進行していた企業の土地投機に油を注ぎ、土地転がし、マンション投機などへとエスカレートしていった。地価の高騰につれて卸売物価が急上昇して、日本経済はかつて経験したこともない複雑なインフレ現象にみまわれた。

なにかコロナで操作されたように円安が進み一人負けしてるかのように見える
ワクチン廃棄の4400億の予算と言い経済に与える影響力は大きい

は楽しみだが…

こんな時代背景なのに日本の成功は大きな礎であり、その後の景気回復の支えとなった

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