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「私の青い星~Bluestar~」第十二話 (最終話)創作大賞2024 #恋愛小説部門

第十二話(最終話)


 母の運転で実家に戻ると、何だか疲れがどっと出て風呂に入ることにした。ひび割れた洗い場の床のタイルは変わらないままだった。熱めの湯に肩まで浸かり、店長にかけられた言葉を思い出していた。

そうか、彼女がいるのか。私のことなど覚えてすらいないに違いない。あのクリーム色の車にも彼女を乗せるのだろうか。

Bluestarでまた黒崎健吾と働いている自分を想像してみた。その懐かしい景色は、繰り返したくなるほどのものだろうかと考えた時、答えは否だった。

 

 高校二年生の私は、世間のことなどまるで知らなかった。頭と身体は成長して、大人の仲間入りをしているようなつもりになっていけれど、自分が暮らす小さな街では何もわかっていなかったのだ。

 黒崎健吾が車の中で私に放った「東京を見ておいでよ」というその言葉は、確かに的を射ていたのだ。

あの時の私は、自分にとてつもなく巨大な可能性があるような気がしていたけれど、結局私は私のままで、世間知らずのまま年老いていくだけのつまらない存在だった。

たった二年間ではあるけれど、東京でいろいろな人と出会い、街を見て、私は変わった。もしかすると、黒崎健吾は、私が自分に惚れていることに気づいていたのかも知れなかった。

そのうえで、狭い世界できらきら見えている東京からきた黒崎健吾という男が、輝かしい存在ではないことを教えてくれるために言ったのかもしれなかった。

今夜、黒崎健吾は同じ街にいる。従弟のジョニーの家の場所は知らないけれど、車で行けばそう遠くないことはわかっていた。Bluestarの店長に聞けば、黒崎健吾の連絡先はわかるのかもしれなかったが、そうしてまで会いたいとは思わなかった。それに今頃は彼女と一緒に過ごしているのかも知れなかった。

 

 それから一か月して、私は市澤祐介と食事をしていた。待ち合わせは池袋。湘南新宿ラインを使えば、小田原から一本で行ける。専門学校の帰りによく行った居酒屋で向かい合うと、佐々木里奈が遅れて入ってきそうな感じさえした。

「祐介君、あのね。」

「なんだよ急に改まって。」

市澤祐介は、枝豆を剥きながら白い歯を見せて笑った。

「私、ようやく目が醒めました。」

「なんだそれ?」

「私、高校生の頃からずうっとふわふわした気持ちでいたの。ほら、里奈ちゃんの結婚式で話したでしょう。好きな人がいて、その人を探すために東京に来たって。」

「うん。」

「私、その人のこと全然知らないし、ただ恰好良かったから、芸能人に会ったみたいにしびれていただけだったと思う。それと、ある日突然会えなくなってしまったことが余計にドラマティックに思えて、引き裂かれた王子様とお姫様みたいに感じていたの。でも、本当にその人のことを知って、好きだったのではないってわかったの。恋に恋していたっていう言葉があるでしょう。まさにそれ。」

「どうして急にそう思ったの?」

「この前ね、静岡に帰った時にアルバイトしていたファミレスに行ったの。そこで、彼もたまたま近くにいるって知った時に、そこまで会いたいと思わなかったの。ドキドキはしたのだけど、多分、再会しても何を話せば良いかわからないし、共通の話題もない。それに彼女がいるんだって」

「そうか。」

「それでね。祐介君、私のこと好きだったって言ってくれたでしょう?それって今でも有効?」

「有効ってなんだよ。」

そう言って笑った祐介の顔には照れ隠しが見えてとれた。

「有効だったら、私、祐介君と付き合ってみたい。私、恋人がいたことはないから、彼氏とか彼女とか全然わからないけど、祐介君と一緒にいたいと思った。祐介君といる時の自分が最高に幸せだって気づいたの。」

「おう、そうか。」

市澤祐介は白い歯を見せて頬を赤らめて笑った。その姿がとても愛おしく感じた。

 

 それから一年半後、私は市澤幸子になった。祐介はシェ中西を辞めて、麻布十番にあるフレンチ料理店のシェフとして働いている。私は、ファミリーレストランを退職し、池袋のカフェで働きながら、週に一度は子ども向けの料理教室の講師をしている。住まいは、私が専門学生時代に住んでいたのと同じ街を選んだ。アパートではなく三階建てのマンションで暮らしている。隣は二階建ての住宅と店舗に挟まれているから、朝から夕方までずっと日が当たるし風も流れてゆく。

 ある日、仕事が終わって池袋のデパートで調理器具コーナーを見ていた。百円ショップでも調理器具は売っているけれど、やはり調理師免許を持っている夫婦にはそれなりの調理器具が必要だった。その日は、ピーラーとコーヒーミルと探しに来た。

そして、ついでに箸を新しくしようとめぼしいものを探している時、ふと顔を上げると見覚えのある男が立っていた。

 

黒崎健吾だった。

私は、初めて出会った日のように一瞬時が止まったように思えたがすぐに「あの、覚えていますか?」と口から言葉が出てきた。

 Bluestarの店長から東京にいることは聞いていたようで、私のことはすぐにわかったと言ってもらえてとても嬉しかった。

 十分遊び尽くしたから、今は実家の焼肉屋を手伝っているのだと聞いた。場所は池袋の隣にある大塚駅から徒歩五分だという。

 相変わらず黒く日焼けしたその肌は、張りを失い少し乾燥しているように見え、皺が目立った。大きくて外国人のような目は、トロンとしていて、覇気が感じられなかった。あんなにもきらきらと輝いていた黒崎健吾が、王子様のように見えたのは、何も知らない田舎の女子高生の幻想だったようだ。

 別れ際、

「黒崎さんがかけてくれた言葉のおかげで今の私があります。ありがとうございました。」と勇気を出して言ってみた。

黒崎健吾は、少し首を傾げて、

「俺、何か言ったっけ?全然覚えてないや。でも感謝されるようなことを言ったのなら、どういたしまして」

と、きょとんとした顔で上を向く黒崎健吾は、王子様でもなんでもなく、ただの男だった。


 

 

 

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