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『君もかわいく生きててね』

今日は兄の結婚式に参列してきた。

動画作成やデザインなどが仕事の一つの兄らしく、たくさんのゲストを楽しませる仕掛けがたっぷり!
細やかな気遣いや要所要所に感じられる優しさが兄らしくて、とても素晴らしかった。
お嫁さんはたいそう美しくキュートで幸せそうで、早くまた会ってゆっくりお話しをしたいなという気持ち。

ゲストに飲み会として楽しんでほしいという兄に頼まれて、日本酒を3種セレクトした。
兄がポップを作ってくれて提供したのだけど、たくさんのゲストが杯を重ねているのを見て、とても嬉しかったな。
資格が思わぬ形で活き、頑張ってよかったと思った。

その幸せな結婚式の中で気づきがあった。

久しぶりに会った叔母に仕事のことを聞かれて話したら、
「そんなことしてないでこっち帰ってきなさい」
「地元でお店やったらいいじゃないの、誰かいい人いないの」

(意訳。叔母は快活で率直な人で、悪意なく言ってる。軽口として)

といったことを言われて、うちの親族にもこういうこと言う人いるんだ!とワクワクしてしまったのだけど、

その時隣から叔父が
「でも楽しくてやってるんでしょ、やってみて、もうできなくなったらそのときやめればいいんだよ」
と言ってくれ、驚いた。

強フェミじゃないものの思想強めの自覚はあるのだけれど、結構思うのが、対男性っていうより対同性からの非難とか言葉の方が悪質だったり攻撃性高かったりするよな〜と思う。

叔母はきっと自分の選んだ道が幸せだし正解だと思うから、心配して言ってくれてる。

人生は一つの選択しか経験できないし、選ばなかった道の方のことなんてわからない。
だから、別に非難や意見なんかする必要ないのに。

同世代でも、自分の選択が間違っていないか、今の自分が幸せだと信じたいという気持ちで、叔母の言ったようなことを言う方いるんだよね。
結婚とか、子供とか、職業とか、家とか。
真意はわからないけれど、そう受け取ってしまうことがある。今の言葉で言う「マウント」。

幸い親しい友人たちとは、ライフステージが違う子もたくさんいるけれど、上記のようなストレスを感じることは全くないのだけど、社会生活歩んでるとままある。

苛つきを感じることもあるけど、
大丈夫だよ、私は攻撃したりしない。
あなたの人生も素晴らしいし、とっても頑張っているよ。
と、抱きしめたい気持ちになる。

そういうとき、大森靖子の「絶対彼女」のフレーズを思い出しちゃう。
『君もかわいく生きててね』

選んだ道は違っても、みんなそれぞれがご機嫌で、お互いがそれを否定しあうことなく、尊重できますように。
それぞれがかわいく生きていけますように。
苛立ちを鎮めるために祈るようにしています。

それと同時に、自分も無邪気に無意識に、自分と違う選択をした方を傷つけることがないように。肝に銘じて。

話は逸れるけれど、
先日東京出張の中で、夜遅い時間や土日の昼に、仕事もバリバリやっていそうな、隅から隅までお手入れが行き届いてぴかぴかなお姉さまたちが3〜4人集まってお酒を楽しんだり、趣味の話をしている様子がたくさん見受けられて、眩しかった。
地方都市では見受けられない光景。

みんな閉塞感や決めつけ、同調圧力から息苦しくなって東京に集まるんだと言うことを目の当たりにした。
それは桃源郷のようで美しく、キラキラと尊い。
生命の輝き〜と思った。大袈裟じゃなく。

最近同業を始め、年下の女の子から相談を受ける機会がちらほらあるのだけれど、わかる〜〜〜
わたしも30歳間際、年上のおねえさまにめっちゃ話聞いてもらってたもんな。
私もそっち側になれて嬉しい。ご恩返し。

なんかさ、選択肢が多すぎて自由すぎて不自由だよね。
でもどうせ死んじゃうんだから、一つ一つ大好きなものを選んで集めていこう。

絶対彼女、上記フレーズの前も良い。

『いっつも元気なんて無理だもん
 でも新しいワンピでテンション上げて一生無双モードで頑張るよ!』

このくらいの軽やかさでかわいく生きていこうね。

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