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瑞穂の国日本の端午の節句は、女性の節句だった

連休に伊勢志摩を旅して、
電車の車窓から、田植えをする水の張った
田園風景を見ながら、
日本は「瑞穂の国」なんだと実感した。

主食である稲までも、
たっぷりとした水からできている。
本当に豊かなみずみずしい国なんだと。

瑞穂(みずほ)とは、みずみずしい稲穂のこと。
稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということで、
「瑞穂の国」(みずほのくに)は日本を意味した。

日本書記には、
「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国」とある。

「豊葦原の千五百秋の瑞穂の国」
(葦が生い茂って、千年も万年も穀物が豊かにみのる国の意)
日本国の美称。
豊葦原の千秋(ちあき)長五百秋(ながいおあき)の瑞穂の国。

精選版 日本国語大辞典


5月5日は、端午の節句。
端午の節句は、もともと日本では女性の節句だった。

端午の節句の「端」は「はじめ」をいう意味で、
ものごとの発端(ほったん)の端とか端緒(たんしょ)の端である。
端午の午は、午の月を意味して、午の月は旧暦の5月のこと。
端午の節句は、5月最初の午(うま)の日という意味だった。

中国では漢の時代、5月は「悪月」「物忌み月」とされ、
5月の最初の午の日に薬草を飲んだり、
菖蒲(しょうぶ)湯に入ったりする習慣があったそうだ。

そして、「午」の読みが「五(ご)」に通じること、
さらに「5月5日」と奇数である陽の数が重なることが
陰に転じやすいため厄除けの儀式をするようになり、
のちに、陽の数が並ぶことは縁起がよいなどとして、
5月5日の行事になったという。

この5月5日の節句は、今日は男の子の節句だけれど、
実は、昔の日本では、女子の節句だった。
旧暦の5月は日本では田植えの時期にあたる。
そのため、田植えをする若い女性が
田植え時期に入る前の旧暦の端午の日、
一定期間飲食や行為を慎み、不浄を避けて
心身を清浄に保つ「五月忌み」をする習慣があったという。
田植えをする女性は「早乙女(さおとめ)」と呼ばれ、
神聖な存在とされてきた。


奈良時代に中国の行事が伝わると、
5月5日やその前夜に菖蒲などを軒先に下げて
家の中を清めるとともに、
早乙女が家の中にこもって
神様に五穀豊穣(ほうじょう)を願う
というスタイルが定着する。
この時代の「端午の節句」は、
女性が主役だったと言える。

5月5日または前日の5月4日を
「女の家」や「女の晩」などと呼んで、
女性が男性を家から追い出し、
女性が主役となる風習もある。

昭和14年初出の折口信夫の『死者の書』の十五章にも
ツツジの咲くころ田植え前に若い女が
籠るところが描かれている。

その後、「端午の節句」の主役が
女性から男性へと移っていったのは、
武家社会となった鎌倉時代以降、
菖蒲を、武道を重んじる意味の「尚武」や「勝負」になぞらえて、武士の家で盛んにお祝いをするようになったからだという。

兜やのぼりなどを飾る「男の子のための行事」
となっていった。

旧暦の5月はまだ1か月ほど先だけれど、
新暦の現在も端午の節句のころに田植えを始めるのは、
瑞穂の国を思い起こさせて、感慨深い。

すべては水からできている。
水はすべてを知っている気がする。

瑞々しく美しい国である日本を
自然とともに味わおう。

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