016 透明な悲しみと、それを突き抜けたところに存在する明るさ

九条Tokyoで開催しているイベントに、首の皮一枚で繋がっている状態だけど、本当はボクが一番好きな『短歌好き集まれ~』というのがあります。

或るイベントで来店されたお客さんが、別の日にいらっしゃった時に短歌好きということがわかり、それなら是非やろうと二人で始めたものです。失われていくもの、少数派に弱いって? ちゃいます。純粋に短歌が好きなんです。

五七五七七のたった三十一文字が織りなす言葉の宇宙。風景だけではなく、思想や哲学、宇宙観まで詠みとれる歌があります。そう、短歌は宇宙です。なにぃー、正岡子規が技巧を使うな、写実性を重んじろって言ったって。あの短歌知らずの唐変木めぇ、って話は炎上しそうですから、ひとまず置いといて。。。

『短歌好き集まれ~』のルールはたった一つ、自分の作った短歌は紹介しない。

普通は「何それ?」ってなりますよね。俳句の十七文字に次いで短い三十一文字。短歌は最も敷居の低い文学、アートです。たいていの短歌好きは、自分でも習作の十首や二十首は作っているはず。それを紹介してはいけない、という厳しい掟。そもそも短歌人口の少ない中で、自分の歌を紹介できないなんて、短歌好きに来るなと言っているようなもの。カラオケに行って、マイクを渡すけど、歌を歌うなと言っているようなものです。

靴を脱いで店に上がらなければいけない、九条Tokyoらしいといえばそれまでの掟ですが、ここまで客を遠ざけたいオーナーの思い、いや信念って何でしょうか。かつて、少しインタビューの仕事をしていた身としては、取材してみたくなります。えっ、お前のことだろうが、って?

それはさておき、その短歌の会に大問題が発生しました。ボクと二人三脚でこの会を始めた、ボクにとっては奇跡のような女性が、転勤で九州に行ってしまったのです。ボクを残して。。。あなたは京都に、いや違った、福岡に行くの。

残ったのは、後から入ってくれた若い女性二人。一人はインスタで繋がった短歌好きの女性。もう一人は別のイベントで繋がった女性。ただでさえ「あがり症」の僕は(何せ、飛行機が大の苦手)、男性参加者を求めてほうぼうに声を掛けましたが、あまり芳しい結果とはならず、もはや風前の灯状態。ボクの歌を詠まない短歌人生もこれまでかと思っていました。

そもそも、ボクが短歌を好きになったのは、小島ゆかりさんの歌に出会ったからです。

人の靴も わが靴も斜に 踵減り まつすぐあるく ことのむづかし

この歌を読んだ時、これはボクのためにある歌かと、四方八方を見回したほど。小島ゆかりという私立探偵が、ボクのことを見張っているのかと。

誰でも歩き方には癖がありませんか。ボクは靴の後ろを擦って歩くようです。他は何ともないのに、踵ばかりが擦り切れて、靴を駄目にしてしまいます。右の踵のほうが少し減りが速いようですが。。。人生の歩き方だって、人それぞれ。左に傾きがちな人もいれば、端っこや日陰を歩きたがる人もいます。

その歌に出会ってから、いや小島ゆかりという存在に魂を奪われてから(今回はちょっと表現がオーバーな…)、彼女の歌集を探しては読み漁りました。恋をして結婚し、妊娠して子どもを産み育て、中年の危機と寂寥を迎え、親の介護をして、、、という女性の一生が、男のボクには想像もできない重さで、しかし、詩の言葉に置き換えられて三十一文字に表現されているのです。

短歌って文学だ、アートなんだと、ボクの心を雷が射抜いたような新しい発見がありました。男のボクには絶対経験できない、そしてそこから生まれる感慨を、短歌という詩の言葉で小島ゆかりはたった三十一文字に凝縮、いや深化、いや昇華しているのです。人類が生み出した最高の文学作品として、サン・テグジュペリの「星の王子さま」とドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を挙げるとして、その隣に置きたいと思っているほど、ボクは小島ゆかりの歌に打たれました。

以前、小島ゆかりの歌を、このnoteでも一つ紹介しました。ビックリですが、それを読んで『短歌好き集まれ~』に参加したいという男性が現れました。灯台下暗し、読書会に参加してくれている知人です。以前から、読書の嗜好が似ているなぁと思っていたのですが、まさかこんな身近なところから、短歌の会に参加してくれる人が増えようとは。これこそ、奇跡のような話だと思いませんか。

好きな男性の歌人はいないのかって?

それが、いるんです。生前にただ1作の歌集を発表し、死後にもう1冊だけを残している歌人、杉崎恒夫。彼の歌の透明な哀しみ、そしてその後に残る不思議な明るさ。

たった2冊ですから、ぜひ手に取って読んでほしいと思います。九条Tokyoにも、そのうちの1冊「パン屋のパンセ」は置いてありますから、いつでもどうぞ。

晩年の 胸に抱くに ふさわしい バゲットはきっと 乾いた花束

さみしくて 見にきたひとの 気持ちなど 海はしつこく 尋ねたりはしない

アンパンの 幸福感を ふくらます 三分の空気と 七分のアンコ

気の付かない ほどの悲しみ ある日には クロワッサンの 空気を食べる

もっと紹介したところですが、気に入った方は是非、彼の歌集を買ってください。たった2冊しか残されていません。みなさんが買うことでしか、短歌という文化は残らないのではないか、時々そう思って応援したくなります。歌集の出版社に感謝と乾杯を。

以前、『歌集のある本棚』写真展というイベントを開催したことがあります。歌集を本棚に飾っている人は、それだけでシンパシーを感じてしまいます。世が世なら、思いっきりハグしたいほど。

それに他人の本棚って気になりませんか?

九条Tokyoは千代田線・根津駅にあるのですが、出勤途中で、隣に座っている乗客が何やら原稿の束を見ています。覗き込むのはイケナイと思いつつ、この時代に原稿の校正を紙でしているなんてどういうこと、と、つい覗き見すると、1ページに3行しかプリントされていません。

これは、短歌だ、歌集だぁ、と興奮してしまいました。

聞けば自分の処女歌集のゲラを校正しているとのこと。こんな偶然ってあるでしょうか。たまたま隣り合わせた乗客が、今では希少な短歌好きの二人。短歌好きなんて、この国で1万人に一人もいないでしょう。奇跡のような巡りあわせならぬ隣り合わせ。映画になりそうだと勝手に感動してしまいました。

その時、ボクは小野茂樹の

感動を 暗算し終へて 風が吹く ぼくを出てきみに きみを出てぼくに

という歌を思い出していました。ボクの感動が彼に伝わったかどうかはわかりませんが。

そんな感慨にふけっているまもなく、ボクが降りる根津駅に着いてしまいました。慌てて飛び降りたので、彼の名前を聞き忘れ、それから毎月のように新作歌集の発売予定を検索しました。

そして、遂に発見しました。ボクは奇跡を取り戻したのです。幸運の女神には前髪しかないといいますが、奇跡には後ろ髪もあるんですね。だから、ボクは奇跡が好きなんだ。えっ、お前の髪の好みはどうでもいいって?

彼の処女出版を記念して、九条Tokyoで出版記念イベントをしてもらったのは言うまでもありません。

さあ、次の短歌の会は、9月12日(土)15:00~。持ってくるのは好きな歌人の歌だけ。あなたは、どんな歌を紹介してくれますか。

短歌を通じて知り合った若い友人たちから、中東歌人・千種創一、岡野大嗣、ドラえもん短歌などを紹介してもらいました。いくつになっても、発見は新しい輝きに満ち満ちていて、その光に触れた途端、ああ、生きていてよかったと思えます。

新しく何かに出会うって、それ自体が生きてるって証なのかも。そんな気がします。とすると、それを阻みかねないコロナ騒動って、人類の危機ですよね。罪な騒動だわ。。。あなたは、家に篭っていることが多いとしても、あなたらしく、新しい毎日を生きていますか。

遠くから みてもあなたと わかるのは あなたがあなた しかいないから (萩原慎一郎)

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