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【台本】アンデルセンで取引を

《作》 U木野

あらすじ

喫茶店での人々

登場人物

ラット(らっと)
男性。20代。

やたガラス(やたがらす)
女性。20代。

本文

――千葉県 貝凪町かいなぎちょう
――午前10時
――カフェ『アンデルセン』

ラット
 甘く、脳を冷やすような、ムスクに似た香りが鼻をついた。

やたガラス
「すみません。ラットさんですか?」

ラット
「はい。てことは……やたガラスさん?」

やたガラス
「お待たせしてしまい申し訳ございません。やたガラスです。本日はよろしくお願いします」

ラット
「あ、ご丁寧ていねいに。こちらこそよろしくお願いします、ラットです。あ、どうぞどうぞ。座って下さい」

やたガラス
「失礼します」

ラット
「えー、では……あ、その前に何か飲みますか?」

やたガラス
「あ、じゃあー」

ラット
「ここ。アイスコーヒーがなかなか美味しいですよ」

やたガラス
「そうなんですね。じゃあ私もそれ頼もうかな」

ラット
「すみませーん! あ、来た来た――どうぞ」

やたガラス
「失礼します。ミルクレープとアイスハニーカフェオレお願いします」

ラット
「……いいんですけどね」

やたガラス
「どうしました?」

ラット
「いえ、思ったより「やたガラス」さんがダイナミックだったので、少し驚いただけです」

やたガラス
「ダイナミック?」

ラット
「あー、大したことじゃないので、お気になさらず」

やたガラス
「そうですか。では早速取引と参りましょうか」

ラット
「はい。こちらが『そらのステンノ プレミアムくじ』のF賞『ダズ・スロット』の缶バッジです」

やたガラス
「おお」

ラット
「買った時の外装ではないのですが。それは、いいんですよね?」

やたガラス
「もちろんもちろん。外側とかどうでもいいです。見たところ傷もないですし――うん、最高です!」

ラット
「よかった……それで――」

やたガラス
「はい。こちらが赤髪イケメンの缶バッジと、青髪イケメンの缶バッジと、赤髪イケメンのミニフィギュアです。一応買った時の袋に入っているので、お手にとってご確認ください」

ラット
「はい。――確かに」

やたガラス
「いい感じですか?」

ラット
「あ、はい。とてもいい感じです」

やたガラス
「では取引成立ですね」

ラット
「……でも、本当にいいんですか? やはり価値が釣り合わない気がするのですが……」

やたガラス
「なるほど確かに。では、これもあげちゃいます」

――やたガラス、カバンから沢山の缶バッジやミニタオルやフィギュアなどを取り出し、テーブルに載せる。

やたガラス
「どうよ」

ラット
「いや、どうよっていうか……釣り合わないのは、僕が出したバッジよりもそっちが出した3つの方が価値が高いからであって……」

やたガラス
「いいですいいです。正直持ってても邪魔になるだけですし。よければ全部持っていってください」

ラット
「そう、なんですか……?」

やたガラス
「それに」

ラット
「それに?」

やたガラス
「私にとってこれは、結果的に5万出してでもほしかったものだったので」

ラット
「5万?」

やたガラス
「5万円突っ込んでも引けなかったんですよ。運って怖いですよね」

ラット
「……それはそれは。えっと……そんなに『ダズ・スロット』が好きなんですね」

やたガラス
「はい。大好きです。見た目が」

ラット
「見た目が?」

やたガラス
「そもそも私このアニメ? ゲーム? 全く知らなくて。だから当然この子の性格だとか声だとか、どんなキャラだとかも全然知らないんですよ」

ラット
「そんな人が何故くじを?」

やたガラス
「だから、大好きなんですよ。見た目が。コンビニに貼られたポスターのすみに載っていたこの子の姿に一目惚れして……なんていい顔なんだって」

ラット
「それで5万も使ったんですか? 」

やたガラス
「結果的に、ですけどね」

ラット
「……もしかして、やたガラスさんってお金持ちですか?」

やたガラス
「いえ。庶民中の庶民。ただのフリーライターです。主にオカルトや都市伝説系の記事を書いていて――あ、そうだ。丁度新しい名刺が――。わたくし、こういうものです」

ラット
烏丸聖子からすま・せいこ……あの、こういうあれで知り合った相手に、本名や連絡先を教えちゃっても大丈夫ですか?」

やたガラス
「大丈夫です。そもそもネットに顔も名前も載ってますし」

ラット
「そうですか……あ、やっぱり僕も本名を言ったほうがいい感じですか?」

やたガラス
「いえいえまさか」

ラット
「いやでも、こっちだけが相手の名前を知っているって、何か悪い気がするっていうか」

やたガラス
「私が名刺を渡したのは、もしかしたらこの先ラットさんに取材する可能性があるかもしれないという打算もあってのものなので、気にしないでください。それよりも、そろそろ私の注文したのが来るので、これ、しまってもらってもいいですか?」

ラット
「あ、すみません。……でも、本当にこれ全部もらっちゃってもいいんですか?」

やたガラス
「もちろん。あ、でもいらないんだったら、持って帰って捨てますけど、どうします」

ラット
「ありがたく頂戴ちょうだいいたします」

やたガラス
「はい」

 

ラット
 高校入試。英語の試験。生まれて初めてカンニングをした。
 相手はそこそこ優等生。
 おかげでその部分の点数はとれた。
 志望校にも合格し、入学できた。
 しかし、そのせいで僕は、そいつのパシリになった。

 

やたガラス
「よかった。全部入りましたね」

ラット
「ありがとうございます。大事にします」

やたガラス
「こちらこそ、もらっていただきありがとうございます。あ、きたきた――はい、私です」

――ウエイターによって、やたガラスの前に、ミルクレープとアイスハニーカフェオレが運ばれてくる。

やたガラス
「はい。確かに。ありがとうございます」

ラット
「アイスハニーカフェオレも……おいしそうですね」

やたガラス
「ですよね。アイスコーヒー頼もうと思っていたけど、なんとなくこっちに替えて正解でした。うん、おいしい」

――ラット、近くを通りがかったウエイトレスに声をかける

ラット
「あー、あ、すみません。アイスハニーカフェオレをひとつお願いします」

やたガラス
「ふふふ」

ラット
「なんですか?」

やたガラス
「いえ、ラットさんってなかなかチャーミングな人なんですね」

ラット
「なんですか、それ。……そういえば、ライターって言ってましたが――」

やたガラス
「そうだ。早速取材っていうか、質問してもいいですか?」

ラット
「あ、はい。なんですか?」

やたガラス
「今、この町で起きている連続殺人事件についてなんですが」

ラット
「……テレビで令和の切り裂きジャックって騒がれているあれですか?」

やたガラス
「はい、19人の推定被害者がいて、そのうち6人が身体の一部を残して姿を消しているあの連続殺人事件についてです」

ラット
「なんですか?」

やたガラス
「その犯人に、心当たりはありませんか?」

ラット
「何故、そんな質問を?」

やたガラス
「実は私、この事件を追ってこの町に来てまして」

ラット
「か弱い女性がひとりで……危なくないですか?」

やたガラス
「承知の上です。あと、私こう見えてそこそこ強いんですよ。高校まで空手やってましたから」

ラット
「強いと言ったって……都市伝説やオカルト関係のライターだと言ってませんでしたか? あれはそういうやつとは毛色が違うのでは?」

やたガラス
「今は、そうですね」

ラット
「今は?」

やたガラス
「今はただの刑事事件ですが、これがもし犯人が見つからず迷宮入りとなった場合、その俗称から都市伝説の仲間入りすると思うんですよ。だから、今のうちに現場で取材や調査をしておこうかと……」

ラット
「では、もし仮に犯人が誰か判っても、警察にチクる気はないということですか?」

やたガラス
「まさか。自分の記事のために殺人犯を野放しにするほど、私は人間をやめてませんし……むしろ私の通報で犯人が捕まった方が、うま味は大きいので、犯人が誰か判ったら迷わず警察に伝えます」

ラット
「……」

やたガラス
「私の調査で犯人が逮捕されたら万々歳ばんばんざい。万が一迷宮入りしたら記事を売り込めてちょっとラッキー。不謹慎ですけどね。これは、そういう話です」

ラット
「……そうですか」

やたガラス
「それで、犯人に心当たりは?」

ラット
「僕は、ありません」

やたガラス
「僕は、というのは?」

ラット
「知り合いに、いるんです」

やたガラス
「誰がですか」

ラット
「16番目の事件の――3日前に女子高生が殺されたその事件の――目撃者が」

 

ラット
「では、そろそろ僕は……あ、これ支払いに使ってください」

やたガラス
「いえ。それは受け取れません。ここは私が払います。それと――これもどうぞ」

ラット
「これは」

やたガラス
取材料しゅざいりょうです。そこまで多くないので申し訳ありませんが、ご家族やお友達と何かおいしいものでも食べてください」

ラット
「……ありがとうございます」

やたガラス
「こちらこそ、貴重な情報をご提供いただき、ありがとうございました」

ラット
 喫茶店を出て、歩く。 背負ったリュックが重たい。
 5分ほど歩いていると、公園についた。
 公園といっても遊具の類は何もない。広い芝生と、それを囲う幅の広い遊歩道と、その脇に点在するベンチ。あと、二箇所のトイレがあるだけの広場のような場所だ。
 特徴的なのは、遊歩道のそこかしこにパフォーマーやミュージシャンがいて、各々の芸を披露しているところだろう。90年代の初頭に町おこしの一環ではじめた活動が今もなお続いているんだとかなんだとか。
 ベンチに腰掛け、先ほど頂いた封筒を開ける。取材料という名目のその中にはピン札の2万円が入っていた。

ラット
「ごめんなさい」

ラット
 ここにいない「やたガラス」さんに謝罪して、僕はスマートフォンを手に取り、とある番号にかける。
 相手はすぐに出た。

ラット
「僕だ。――ああ。言われたとおりやった。うん……間違いない」

ラット
 そいつは、僕の罪。
 高校入試でのカンニングを機に、僕はそいつのパシリになって――今もその関係は続いている。

ラット
「もう、いいだろ? もう許してくれよ……いや、だから、もう僕を巻き込むのは――。……いや、そういうことじゃなくて――あ」

ラット
 相手は僕の抗議をものともせず、いつものように自分の言いたいことだけを言って通話を切った。

ラット
「畜生……」

ラット
 僕の呟きは、斜め前――バランス芸をやっていた大道芸人が、激しく転倒した音にかき消された。


【終】

  

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