お呼ばれ文芸部ー岡崎かびが「書く」理由ー

 「岡崎さんって、文章書くの?」
 大学三年になり、ゼミが始まってしばらくしたころに女学生のKさんから聞かれた。Kさんとはそれまで話したこともなかった。
「え?なんで?」
それはあまりにも唐突な質問だったので、聞き返すしかなかった。
「”創作”の授業に出てるから、私も出てるの」
「へえ、そうなの」
なんだ、そういう事かと思ったが、私にとってその”創作”の授業は、あまりにも酷なので、落としてしまおうかと思っている講義だった。
当たり前の事なのかもしれないが、授業内容は自分の作品を持参し、講師やメンバーから次々に評されるという形式だったのだ。
 正直、自分の空想の産物を中途半端に顔見知りの他人の前で発表し、論じられたり評価されることは気持ちの良いものではない。とにかく恥ずかしい。そんな90分の一コマは私には耐えがたい時間だったのだ。だったら何故その”創作”を受講したのかと問われそうだが、シラバスを見た限りでは、そんな恥ずかしいことになると想像しなかったのである。

「私、文芸部の部長をしているんだけど、今度の部誌に何か書かない?」
Kさんは、また唐突に言う。
「え??どうして??」
「書く部員がいなくてね。部誌に載せる原稿が足りないの」
Kさんは過去の部誌を数冊持ち出して来て、表紙の絵まで自分で描いている事や、文芸部での活動以外でも商業誌のコンクールに応募していることなどを話してくれた。Kさんの趣向は少女向け雑誌など絞られていて、作風もなんとなく壊れやすい精巧な飴細工のような印象を受けた。

しかしである。
そんな誘いを受けているものの、私自身は1年次も2年次も1限からいて、4限が終われば販売のバイトに直行している体力派の女学生だった。飴細工のような作風で作品を書くことなどできる訳がないのだ。そもそも自分の中にそのような心の機微というか、要素がほぼない。第二次性徴期も遅く、高校時代は部活動に明け暮れ、そのまま大学生になってしまった感じだ。おまけに、その頃の私の愛読書は原田宗典のエッセイで、中でも『十七歳だった!』が大好きだった。とにかくあの語り口に傾倒していて、1行読んではニヤニヤし、1頁読んでは腹を抱え、1話を読み終える時には笑い過ぎて疲れていた。
「ダメ!私、どう考えても部誌の趣旨に合わない。やめとく」
ようやくKさんに意思表示をしたわけだが、Kさんは引き下がらなかった。
「いいじゃない!ジャンルはなんだって良いのよ。もうね、困ってるの、私だって何作品か書けたら良いけど、そんなに書けないのよ」
パラパラと見た限りでは、すっかりKさん色に染まっていた部誌だが、なるほど自己顕示欲が強くてそうなったわけではなく、本当に作品が足りないらしい。
「お願い、岡崎さん!なんでも良いから書いて!ゼミが一緒って言うのもあるし。私、学園祭に部誌の新刊出したいのよ!助けると思って。”創作”を受講するくらいだから、何か書けるわよ」と、Kさんはついさきほど自分から話しかけてきたにも関わらずに、既に友達であったかのように情に訴えかけてくる戦法にでた。
そう言われると弱い。目の前で困っている人から情に訴えかけられると、なんとかしてあげたくなるのだ。
しばらくの沈黙ののち、「分かった」と私は頷いた。
「やったー、ほんと?字数はどれくらいでもいいから、内容も卑猥じゃなかったらなんでも良いから、1作品か、出来たら2作品くらい。出来たら教えてね。あ、私、大体、部室にいるから」
Kさんは、すっきりした表情で立ち去って行ったが、Kさんに押し切られた当の私は「ああ、なんで受けてしまったんだ。というか、今の人誰?”創作”であんなに恥ずかしい思いをしたのに、不特定多数に作品を公開することになるんじゃないの?その部誌ってやつ!」と深く落ち込んだ。

 しかしまあ、受けてしまったものは仕方がない、何か書くことを探そうと思い至った。「やっぱりできない」などと言うのも体裁がつかないし、今後もゼミで顔を合わせるのなら、何かしら気まずい事態になりそうではないか。それは避けたい。
ところがである、創作にはうんともすんとも言わない脳の構造だが、日常にあったことを作品にすることは出来たのである。バイトで忙しく、高校時代と違い生活の背景が異なる友達に授業くらいでしか会わない大学時代は、なによりも「異なる友達に同じ内容を言わなくてはいけないこと」が不便だったのだ。当時は、SNSがまだなかったのである。そんな中、私は「レポート回覧板」を作っていた。自分に起きた出来事をピックアップしてA4用紙数枚に手書きで記入し、友達に回していたのである。友達からは「読んだよ」と印鑑だのサインだのがなされたレポートが返って来る。大体はグループの中で閲覧されるが、全然関係のない学生から返却されることもあった。よくよく考えれば、”創作”の講義で中途半端な顔見知りの他人に作品を評されることよりも、部誌に作品を載せて不特定多数の人に評されるよりも、恥ずかしいことを既にしていたのである。自分に起きた話を「これは面白かった!」という自負のもと書いているのだから、相当な自信家だったのであろう。これは恥ずかしい。
「まあ、これなら書けるだろう」という朧げな自信のもと、私は部誌に作品としてコメディ風の短い随筆を発表した。Kさんとはジャンルも作風も全く違うものだったので、部誌全体のカラーは変わってしまったが、そこはKさんが押し切って私に頼んだのだから、それで良しとした。それから、数冊に渡って部誌に作品を発表した記憶がある。

 それから何年も、私は趣味で随筆を書き続けた。特に商業誌に投稿などをしたことはないが、すっかり自分の一部になったこの行為は、人生に定着している。
noteという存在を知った時、急に「岡崎さん、文章書くの?」と話しかけて来たKさんを思い出した。とても懐かしい気分だった。この真っ白なエディター画面を見ると、A4用紙に自信満々に友達に向けて書いた幼い「レポート回覧板」も思い出す。

少しの胸の高鳴りのもとに「自分のまだ知らない誰か」に宛てて作品を書いてみたい。それが、私「岡崎かび」の、書く理由。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。





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