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もうたぶん3年くらい前のはなしになるが、東京の江戸川区で、半年くらい居候(いそうろう)をしていたことがある。愛知での恋人とわかれて、ひどく傷心していて、帰るあてがなかった。実家にかえってもよかったのだが、この悲しみをかぞくとは共有できないとおもい、東京にある親友の家に転がり込んだ。もう彼とは幼い頃からのつきあいで、彼の奥さんともなかがよかった。

駅を降りてからはカメラをまわし、「いまから東京に上京します。今後新しい人生がリスタートだ…」とぎこちなく話す自分を映した。いつかの思い出になるかとおもって。本当は動画をとる余裕なんてなかったのだけど。ぼくは金髪だった。愛知で染めたのだ。たしか夜遅くまでやっている美容室に突撃し、「恋人とわかれてしまって。心機一転、金に染めたいです」とお願いした。「それはもう、やっちゃうしかないですね」と応えてくれて、思いきって金にした。頭皮がひりひりした。鏡に映るじぶんをみて泣きそうになった。こうすることでしか虚しさをごまかせなかった。

東京での新生活は、たのしかった。最初のころはずっと僕が思い出話を言ったり愚痴を言ったりして、それらに対して嫌な顔一つせずにうんうんと聞いてくれた。すべてを忘れたいのに忘れることができない、つらい、と嘆きつづけた。時には泣いた。友人は、「忘れなくていいんだよ、思い出に変われば」と言っていた。今は思い出に変わってきているからこそ、こうやって冷静にかけている。

あのころは、何もする気が起きなかった。それまでつづけていた事業も手放しになってしまい、文字通り、半年間はニートだったとおもう。昼すぎにおきて、近くのレストランやゲームセンターにいき、夜はサウナへ。毎日そんな生活で、それはそれで途中からしんどくなってきた。こうしてる間にも時間はするりとすぎていき、自分をおいて世界がすすんでいくのがこわかった。なにをしても虚無がおそってきて、ぼーっとしてることが増えた。ふと大学生活のことを思いだした。でも、当時よりも哀しかった。

やがてこっちの世界での活動を再開しようとおもい、新宿二丁目に足をはこんだ。久々の二丁目ではどこにいけばいいかわからなかった。でも気づいたらよく行く店ができて、なかいい人もできて、道を歩いていたら旧友にもあったりした。「あれ、東京にきてたの?」と言われた。それまでは忙しかったり、愛知での生活があったりしたため、かつての友人たちとぜんぜん交流しない時期が長くつづいていた。たしか、謝ったとおもう。また再会できたことはうれしかった。

それからこっちの世界用でTwitterもはじめて、ついでにInstagramもはじめた。SNSマーケを仕事にしていることもあり、一気にフォロワーがふえた。多くのひととの交流がはじまった。途中つかれてしまったけど、いろいろと再開できてよかったとおもっている。今でも付き合いがつづいている友人もちらほらいる。

そのうち新宿二丁目にまたハマりだし、頻繁にいくようになった。平日の深夜だとあまりお客さんもいないので、マスターと二人きりだったりした。僕は事情をはなし、ひたすらお酒をのんだ。マスターとはキスをした。ひどく酔ってしまい、道端で嘔吐した。涙がでてきた。それでも生きていくしかなかった。

あの半年で、どん底からなんとか復活し、それから新規事業を立ち上げ、居候から事務所へ引っ越したりもした。今はまた別のことをやっているが、当時と比べるとかなりのV字回復をとげた。泣きながらでも歩みを止めなければなんとかなるんだな、とおもった。いろいろなものを得ては失った。ここには書けないようなこともたくさんあった。あの居候の半年間は、いまのぼくの根幹をまだ支えている。あれがなかったらいまの自分はいないと心のどこかでわかっているからだ。

いつだか、深夜、川に沿って一緒に散歩した。何を話したかは覚えていないけど、きっとまた泣き言を言っていたとおもう。ふと右を見ると、黒いかたまりがあった。その黒いかたまりに気づくと、ゆっくり近づいてきて、僕らは叫び声をあげて走って逃げた。後ろを振り向くことはなかった。とにかく全力でその場を逃げるしかなかった。あの黒いかたまりはいまだに謎だが、もしかしたら、僕の心の闇の一部が具現化し、襲ってきたんじゃないか、とおもう。でもあれ以降、深夜に散歩をしていても見かけることはないので、きっともう出会わないんだろうとおもっている。まがまがしいほどに黒色だった。黒い夜なのに黒が浮き立つというのは変な感覚である。

いまの僕のこころは、黒か、白か、それはわからない。でも、あの頃みたいな禍々しい黒の波動は、だいぶ減ったんじゃないかとおもう。僕自身の力だけではなく、周りに支えてもらって今にいたる。そしてやっぱり、あの居候の期間が、思い出が、今のじぶんを明確に支えている。

人がしぬ時、最後に残るものは、お金や地位や権力ではない。何を愛し、何に愛され、誰と付き合い、どんな言葉をかけて、どんな言葉をかけられたか。何を許し、何を許せなかったか。そしてどんな想いを魂に刻んできたか。それらを含む、愛くるしいほどの思い出。最後の最後には、それしか残らないのだ。あの半年は、しぬ瞬間に確実に思いだすことになるだろう。財産だからだ。

−ブログやメルマガに書くまでもない話
(by 20代起業家)

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