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99記事目。自分なりのケジメ

この日が来るなんてつゆにも思っていなかった。数年越しに湧き出る感情、重なる思い出、蘇る景色。もはや言葉にならない。年内につけておきたかったケジメ。これは大きな一歩に繋がることだと思う。大好きだった元々彼と別れたあと、もう4年ほど訪れずにいた名古屋。名古屋での出来事はトラウマでしかなかったが、今ではもう思い出に昇華している。人生の財産だなと思う。

「泣きたい時に泣いておいた方がいいよ」と記者の友人は言った。電話越しで。名古屋の某所、歩道橋の上で僕は足元がふらつくほど泣いていた。視界が揺れ動く。なぜこんなことになってしまったのだろうか、まるでわからなかった。

家に着いてもわんわん泣いていた。いろいろな人に電話をし、相談し、また泣き、Twitterでも泣き喚いていた。どうにかなりそうだった。恋人が二股相手と過ごしたベッドの上の端っこの方で僕は横になり、天井を見た。早くここから出ていきたい、と思った。物が散らかり、わずかに開いた窓からはぬるい空気が入り続けていた。僕らは別れることにした。そして僕だけこの街を出ていくことにしたのだ。

それからというもの、本当にいろいろなことがあった。傷心旅行でハワイ島に行ったり、台湾やシンガポールを放浪したり、事業転換したり、成功したり失敗したり、いい出会いがあったり別れがあったり。その中でもずっと彼のことが頭から離れなかった。思い出は緩やかに美化されていく。全てを失ってしまったような感覚もしながら。

数年後、こちらから連絡をし、久々に会うことになった。全てが終わったんだなと自覚しつつも、まだ現実の全てを受け入れることができなかった。まだ僕には未練があるようで、彼を前にすると胸の奥底に沈んでいたはずの何かがゴゴゴと蠢く感覚があった。会いたかった。何もかもが懐かしかった。

それからも数回ご飯に行ったりしたのだが、僕の中で完璧には吹っ切れることができず、でももう未練というわけでもないし、という曖昧な感情が残り続けた。好きか嫌いかといったら嫌いではないけど、好きでもないな、という感情。いつか自分の中で本当の意味でケジメをつけなきゃいけないと思った。その日がきっと来る、と。

そして今がその日である。その瞬間である。僕は数年ぶりに名古屋に来て、その元恋人と、今の彼氏との3人で会った。つまり当時の二股相手にいよいよ対面したのだ。洗いざらい、腹を割って話した。怒りみ恨みも湧いてこない。僕は僕らの関係がもう終わったことを目の前で実感したかったし、同時に、新しい関係が始まっていることを理解したかった。ちゃんと肌で、この目で。そしてその日以降、もう元恋人には連絡も取らないようにしようと思っていた。

今まで何人かの男性に恋をしてきたが、過去の恋愛のなかでは最もと言っていいほどに好きだった。でももう終わっているのだ。始まりは終わりの始まりという言葉を思い出す。

車で迎えにきてくれた元恋人と現彼氏は、最初、僕とぎこちなく会話をした。そしてそのまま三重県の温泉に向かった。道中で現彼氏ともたくさん話をした。自分が二股相手だと気づいていたのか、いつから好きだったのか、などなど。会えてよかったな、と思った。時を経て会えてよかったな、と。

三重県の温泉では、元恋人の背中を現彼氏が洗い流していた。また、足のマッサージもしてあげていた。それらの様子を見て、微笑ましいな、と思った。嫉妬や怒りや恨みを超越した感情。ああ、会えてよかったなと。そして、この100年ほどしかない人生で、僕と出会い、恋をしてくれた彼にありがとうという気持ちがふつふつと湧いてきた。また生まれ変わっても何かの形で会えたら嬉しいなと純粋な気持ちで思った。僕は愛していた。丸ごと全てを。

それから僕らは焼肉屋に行った。道中で僕の恋話をして、ふたりは真剣に聞いてくれた。なんだか不思議な気持ちだった。かつて好きだった人への恋愛相談。そしてかつて二股相手だった天敵からの優しい言葉。後部座席の窓を少し開けた。車内の空気があたたかくなってきたからだ。冬の空気が入り込み、その冷たさに思わず目を細めた。焼肉屋に着くと、僕らはたらふく食べて、それから彼らが同棲してる家に行った。僕らは終わっていて、彼らは始まっているんだ、ということを痛いほど実感できた。名古屋に来てよかったと思った。

翌日、僕はひとりで当時住んでいたマンションに向かった。駅横のコンビニ、ジム、おにぎり屋、台湾まぜそば屋、歩道橋。全てが懐かしく、胸の奥底がツンとした。涙は出そうで出なかった。感謝の気持ちが芽生えてくる。たしかに僕らは、僕は、ここに住んでいたのだ。毎日を生きていた。必死に毎日を生きていたのだ。そしてどうしようもなく好きだった。そのことを歩きながらまじまじと思い出した。

マンションの向かい側にあったコンビニはもう無くなっていた。深夜によく行っていたコンビニ。一生忘れないと思うコンビニ。道路の真ん中には柵があったのを忘れていた。僕らはただ道路を突っ切って横断していたと思っていた。実際はヨイショと柵を超えて横断していたのだ。片手にレジ袋を持ちながら。

また、僕らが初めましてで出会った場所にも向かった。それは一宮駅の二階にあるテラスだ。もう二度と来ないだろうなと思っていただけに、来れてよかった。エスカレーターを登り、当時直立していた場所に立ってみる。少し遠くで彼がスマホを見て立っている。僕に気付き顔を向ける。「どうも、初めまして」とぎこちない笑顔で僕が言う。彼もぎこちない表情で返答する。残像が見えた。時が巻き戻る。あの日、出会った瞬間に物語がスタートしていた。始まりは終わりの始まり。いつかの終わりに向けて、儚い物語がスタートしていたんだなと思った。そしていつか終わるならもっと大切にすればよかったなと。

それから向かった場所も、道も、かすかに覚えていた。同じ道を歩いてみた。何を話していたかは覚えていないけど、人は、思い出せないだけで一度あったことは忘れない、というのは本当だなと思った。

どこに行っても、涙は出そうで出なかった。苦しくもなくて、悲しくもなくて。ただただ、来れてよかった、会えてよかったという感情。切なさの向こう側にある何か。今回の人生でこんな想いを抱かせてくれた彼に感謝だなと感じた。例えそれがうたかたの日々だったとしても。

名古屋で半同棲をする前、彼はたしか、愛知の中でも津島という田舎町に住んでいた。当時、ホテルに泊まる財力もなく、まだ大学生だった僕は、彼の家のそばのネカフェに泊まったりしていた。深夜、彼は実家のアパートを抜け出してそのネカフェのそばに来た。僕らは暗闇の中、静かに抱擁した。何を話したか覚えていない。何を語ったのか、何を聞いたのか。ただただ、胸が張り裂けそうだったことを覚えている。会いたくても全然会えなかった。僕らはずっと遠距離だったし、お金も全くなかった。何も、持っていなかった。

あれからだいぶ時が経った。僕は新しい出会いや別れを繰り返しながら、また好きな人に出会ったりして、今を生きている。思い出は僕の頭上を常に浮遊している。それらに支えられているのも事実である。傷は癒えてしまう。癒えてほしくない傷までも時を味方につけると癒えてしまうのだ。それがまたちょっぴり切ない。実際、僕はあの歩道橋の上で泣けなかった。涙が出てこなかったのだ。でも自分に切り刻まれている数々の傷は、傷跡としてたしかに残り続けている。その傷跡は熱をまとい、時に内側からほのかにあたためてくれる時がある。僕は傷だらけだ。でもこれらの傷がなかったら僕は僕ではない。このあたたかみはなかった。この愛しい気持ちはなかった。全てが夢ならよかったのに、と何度も思った。でも夢なんかじゃなかった。全てが現実だった。それも痛々しいほどの。それらを受け入れて、歩いていくしかないのだ。それは絶望ではない。希望でもない。ただただ、それが僕らなのだ。とにかく、会えてよかった。最後のケジメとして。次への一歩として。感謝です。傷を抱きしめて生きていきたい。

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