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なにをこわがっていたんだろう

振りかえると、なにかをずっと怖がっていたようにおもう。そのなにかの正体はいまだにわからないが、多分、いやほぼ確実にずっとなにかを怖がっていた。あのころ、集団で歩き、じぶんが先頭にいたとき、ずっと背後がきになっていた。後ろをチラチラ振りかえりながら歩く。けられるんじゃないかという恐怖。おし飛ばされるんじゃないかという不安。冬、ウィンドブレーカーをきてる時は安心した。自分の外側を、すっぽり包んでくれるそれは、鎧のようなきがしていたからだ。

教室でごはんを食べるのも怖いときがあった。それはひとりで食べることになるのが怖くて、周りに見られるのもいやで、そういった諸々を隠蔽するために一階のトイレの奥でひっそりとたべたのだ。トイレの独特な匂いが充満していて、すこしだけ眉間に皺を寄せながらも、しずかにパンをかじっていた。それから水をながし、なにもなかったような顔で個室をあとにする。人とすれ違わないように、入念に、外部のおとに耳をたてながら。

教室ではよく寝たフリをしていたが、このときもずっとなにかを恐れていた。正体はわからない。ただぼくはずっと寝たフリをしつづけていた。一番前の席だった。なぜか一番うしろより一番まえのほうが安心したのだ。

めっきり大人になって、ちがう環境でできた同い年の友人らと旅行にでかける機会があったのだが、そこでも僕は終始なにかを恐れていた。誰かに傷つけられるかもしれない、という不安。学生のころとなにも変わってないな、とおもった。心の平穏がまるでなかった。当時あたりまえに起きていたことが、今でも起きてしまうような錯覚をいだいていた。でももう、僕らは大人だ。そんなこと、いまじゃ起きないはずなのに。

一体なにを怖がっていたんだろう。いまでもなにかを怖がっているのだろうか。もうあのころの人たちはいないのに。それぞれ別の人生をあゆんでいる。ぼくもいま、まったく違う道をすすんでいる。まるであのころと決別するかのように。


−ブログやメルマガに書くまでもない話
(by 20代起業家)

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