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#3 言論と暴力

安倍晋三元総理が銃撃されて亡くなった事件から7月8日で1年が経った。

山上徹也容疑者の公判はまだ始まっていないが、この1年で山上容疑者が凶行に至った理由とされている世界平和統一家庭連合(旧統一教会)、及びこの国の宗教団体を取り巻く環境は随分と厳しくなったと思う。

旧統一教会の被害実態から波及し、他団体の宗教2世問題も世間に明るみになった。
岸田政権下で文化庁による宗教法人法に基づく6回目の質問権を行使したが、実際に旧統一協会へ解散権の行使をするかどうかは不透明だ。しかし国民の宗教団体に対する目は厳しくなったと言えよう。

山上容疑者が安倍元総理を銃撃する以前、旧統一教会と政治家との癒着、信者への違法性があると疑われる献金等は公然の秘密だったが、ゴシップ紙やネット界隈で騒がられたりする程度で全国紙やTVでお茶の間に報じられる事はけしてなかった。
犯行前に山上容疑者がどの程度自身が引き起こす事件の結果を望んでいたのかは裁判が始まってもいない段階で計るのは難しいが、そのあとの世論の旧統一教会へのバッシング、実際の旧統一協会への打撃、そしてその他の宗教団体へ波及していったことを踏まえて、山上容疑者が望む結果以上のことが起きたのではなかろうか。

ひとつ断りを入れておくが、私は山上容疑者の支持者でもなんでもない。かと言って、安倍政権、個人としての安倍晋三元総理を支持していた訳でもない。
山上容疑者が引き起こした凶行は、被害者は元総理だが、ひとりを殺害した事件として他の殺人事件と同様の手続きで同様の司法の裁きを受けるべきである。


しかし暴力が現状を変えたのは事実である。
もし犯行当日に山上容疑者が2発の銃弾を持ち要らず、プラカードを掲げて自身の主義主張を安倍元総理に訴えただけだったら、今日の状勢になっていただろうか。答えは明白である。

山上容疑者は暴力にって自身の不満を解消したのである。
そして、その行為に一定の支持が集まっているのも事実としてある。

ある種社会に対しての不満が暴力によって解消されることに対して、カタルシスを得る人間は居るだろう。

しかし彼らのしたことは殺人である。彼らは英雄でもなんでも無く、ただの殺人鬼だ。
暴力に依っての現状変更は、日常生活の隅々までその手はせまっている。短絡的に手っ取り早く暴力に訴える凶悪事件が増えている。
暴力で自らの主義主張を訴える事件が増えてきている。

我々はそういう時代に生きている。


旧統一教会問題とはなにも関係ないのだが、最後に1989年11月4日オウム真理教問題に取り組んでいた坂本弁護士が殺害される前に残した言葉を紹介したい。

坂本弁護士は殺害される4日前に自身の事務所で教団幹部と対峙した。討論の際オウム教団幹部が信教の自由を持ち出した。坂本弁護士はオウム教団幹部にこう返した。

「人を不幸にする自由は許されない」


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