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【創作】Drops②

2話 僕の欠落、そして青と黄色の虹。


「そこにいるのは節子ちゃんですか?」

僕が振り向くと、赤井さんが5m程度離れた場所にいて、びくっとした表情をしていた。その顔はまるでイタズラがばれてしまったネコのようだった。


ここは会社の屋上だ。


僕は昼休みになったので、新鮮な空気を肺にたくさん吸いこむためにここに上がってきたところだった。
まわりはうちの会社と同じくらいのビルがひしめきあって並んでいる。僕の勤めている地域はいわゆるビジネス街だ。近くに公園があり、新緑の季節に相応しく木が生い茂っているさまはあたかもブロッコリーの群生に見える。午前中に雨が降り、地面は濡れ、フェンスには水の滴がついている。風が強いためか、午前とは一転してよく晴れた。日の光をうけて、滴が時折きらりと光る。

風が横を吹き抜けて、じめっとした空気を消し去ってくれている。

気持ちよい。

「なんで後ろにいるのがわかったの?清太くんは。」


開口一番に僕の冗談にやり返す彼女に「さすがだな」と思いながら僕も返した。

「僕の名前はかけるです。清太せいたではありません。」

「それを言ったら私も節子ちゃんではありません。雫というちゃんとした名前があります。」

僕たちはおそらく映画の『火垂るの墓』の話をしている。擦り合わせた訳ではなく、こういう風に乱暴に投げたボールを彼女はよくキャッチしてくれるのだ。冗談の頃合いや温度感が心地よい。

「節子ちゃんでもかわいいと思うけど....おかっぱに防災頭巾も似合いそうだよ。」

「おかっぱじゃないし、そもそも防災頭巾が似合うと言われて喜ぶ人がいると思う?青野くん。」

僕はまた笑う。

彼女は笑わず続ける。

「宿題考えてきた。」

彼女は神妙な面持ちで僕を見据える。


事の発端は先日のサクマドロップスの一件だ。

僕は彼女に宿題を出した。あれから3日経っていた。

僕はそのことについて少し後悔をしていた。
【自己開示】
僕のとても苦手な分野。でも、あの時はそれでいいと思ったし、ごく自然な流れであったのだ。それは四万十川もびっくりの清らかで滑らかな流れであったと思う。流れたからにはもう流れに身をまかせるしかない。この一件は僕の根拠の不足した一種の賭けでもある。


「あなたは色覚の障害があるのね?」


彼女の瞳が僕を射抜く。僕は手をあげて「そうだよ。」と一言返す。

「降参。よくわかったね。」


「何か月か前のA社のプレゼンの時.....」彼女は続ける。

「あなたは線グラフのデータをうまくつかめてないのでは?と思った時があった。青野くんはすぐ自分でリカバーしてたから誰も気づいていなかったけど、少し違和感を感じた。でも、私の気のせいだと思うことにした。そういうちょっとしたボタンの掛け違えみたいなものをたまに仕事を一緒にしていて感じる時があったの。」

僕は黙って聞いている。

「でも.....今回のサクマドロップスの宿題で、そういう過去の諸々が.....点と点が繋がって......今やっと線になった感じ。違う?どうかな。」


「コナン君、正解だよ。僕は黒の組織なんだ。」


僕はにやりとしながら赤井さんから目線をそらし、反対側のフェンスに向かって街を見下ろす。


「もうはぐらかさないで。何型なの?」


色覚異常は日本人では男性の20 人に1 人、女性では500 人に1 人の割合で見られる。そんなにめずらしくまれな事ではない。

人間の目の網膜には、2種類のセンサーがある。1つは「杆体(かんたい)」というセンサーで、明るさに非常に鋭敏に反応するが、色の知覚には関与していない。もう1つが「錐体(すいたい)」というセンサーで、色を見分けたり、細かいものを見たりするものである。緑の光に主に反応する「M-錐体」、赤の光に主に反応する「L-錐体」、青の光に主に反応する「S-錐体」がある。
色覚異常は網膜にあるこれらの錐体の異常が原因。

僕は自分が色覚異常だと知った時に眼科医からこのような説明を受けた。

彼女は色覚の障害には様々な種類があることを言いたいのだと思う。この3日間でいろいろと調べてきたこと自体に僕は心の中で大きな拍手をしていた。


「さあ、何型でしょう?それをまた宿題にします。」

「ええ~?!また宿題......。宿題はもう学生時代でこりごり。」


「そんな落ち込んでいる赤井さんに素敵な朗報があります。浮かない時は空を見るといいね。
ほら、虹がかかっているよ。」


「あぁ、本当だ.......!」


僕たちは空を見上げた。


透き通った空に虹がかかっている。


彼女の横顔を思わず見つめる。瞳に光が反射して、フェンスについている滴のようにきらりと光る。僕はそれを見て....心を動かされたのか....意を決して少しまた開示してみる。


「僕にはあれは7色に見えない。黄色と青色に見えるんだ。」


「なんで」

彼女は虹を見た時と違って悲しい顔をしていた。僕に向かって話し続ける。

「なんで、そういうことを言わないの?他の人には話してた?上司や同僚で知ってる人はいるの?」


「誰も知らないよ。会社では赤井さんが初めてだ。」


しばらく黙っていた彼女は僕を見上げて宣言する。


「決めた。」

赤井さんは僕に近づきながら話し始めた。


「あなたの世界を私に教えて下さい。」
「あなたと私が違うものを見ている事はわかった。」
「そもそもみんな何が見えてるなんて、確かめようもないけど」
「なにか力になれる事はないのかしら。」

「じゃあね。」僕は続ける。

「赤井さんの世界を教えてよ。」
「赤井さんは何が見えてるの?」
「いつも何を感じているの?」
「そのサクマドロップスのようにカラフルな君の世界を教えてよ。」

赤井さんは僕がめずらしくたくさんしゃべった事に驚いていたのだと思う。けれども、すぐに返事は帰ってきて、お互いに笑い合った。

こうして僕たちはこの日からお互いの世界を教えあうことになった。

色の足りない僕。
欠落していた僕に、光や色を当ててくれる人をずっと待っていたのかもしれない。あるいは互いに開かれたものを求めていたのかもしれない。欠落は今の望ましくない僕を感じさせ、それもまた羅針盤のように僕を指し示してくれていて、自分の望むべきもの、求めるものを、この時の僕は本能で感じ取っていた。それはあきらめることが得意な僕の小さな小さな....けれども確実な一歩だったのだ。


つづく。






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