あげものばあちゃん
「Wさん、ご飯の時間ですよ。」
「あげもの」
「Wさん、今日は晴れましたね。」
「あげもの」
「リハビリの時間ですよ、Wさん。」
「あげもの」
「今日のお昼はなんでしょうね。」
「あげもの」
最後のやりとりは合っていそうな感じだが、今日のお昼はうどんだったりする。
Wさんは当施設に入所してきて「あげもの」という謎のことばしか返さない変わったタイプのおばあちゃんだった。
こちらが何を言っても「あげもの」しか言わないのだ。
そしてとても無表情。
何が彼女をそうさせているのだろう。
「あげもの」にとても思い入れがあるのか?
しかし、彼女の生活歴を見ても、特別あげものに関する話題は出てこなかった。彼女は普通の農家のご出身の方だ。
施設へ面会に来るご主人に聞いてもよくわからない。
彼女の発した「あげもの」ということばは、発せられたそばから空中を漂い、行き場のないまま、その場にふわふわと浮いたままであった。
空中のあげもの。
あげもの・・あげもの・・あげもの・・・
私たちは悩んだ。
あげものに関する質問をしても「あげもの」しか出てこない。
いくらあがいても答えには辿り着けない。
あるのは彼女が発する「あげもの」ということばだけだ。
どうやったらこのような状態に辿り着くのか。
あげものに対する憧れでもあったのだろうか?
好きな人が無類のあげもの好きだったとか?
幼少のころ、あげものというあだ名がついていた?
まさか・・前世があげものだった?
あげものの良さを広めたい会社に雇われているのか?
「あげもの」がやたら耳について離れない。
私は認知症というのは奥深いものだな・・と彼女に出会う事で改めて難しさとおもしろさを感じていた。
リハビリテーションの担当は作業療法士である私の夫だった。
夫は農家であったWさんの農家らしい部分を何とか引きだしたくて、トマトを一緒に育てる事にしたようだ。
トマトを毎日見に行く。
すると、最初は「あげもの」しか言わなかったWさんが成長するトマトを見て、次第に「トマトだね」と違うことばを発するようになった。
そこからWさんはいろいろな他のことばも発するようになった。
頻回だった「あげもの」は次第に消失し、今度は
「ねえ?今何時?」
に進化した。
何を聞いても聞かなくても常に時間を聞かれる。
介護職員さんも何回も時間を聞かれるから大変そうだ。
「◯◯時ですよ」と答えても、返事はない。
そしてまたちょっとすると「ねえ今何時?」と聞かれる。
時計を置いてあってもだめだ。やっぱり聞かれる「ねえ今何時?」
時間を気にするWさんは年月を経て、少しずつ表情が豊かになってきた。
そして「今何時?」に「午後3時」と答えると「今から近所の集まりに行かなくちゃ。」とか「子どもを迎えに行かなくちゃね。」とやさしい表情で話すようになった。
そして最終的には人が歌っているカラオケの横で、一緒に口ずさむことができるようになった。(マイクを渡そうとしても「いいよ〜」とメインでは絶対歌ってくれなかったけど。)
彼女の夫は彼女の変化に大変喜んでいた。
そして毎日施設を訪れて、何をするでもなく妻の横でにこにこしていた。
帰りにうちの施設の事務員さん達と談笑して帰っていくのが日課になっていた。
そんな彼女はうちの法人の特別養護老人ホームへ転居することとなった。
状況がわかっているかわかっていないのかよくわからないWさんはにこにことしながら老人ホームへ移っていってしまった。ご主人はうちの施設を離れるのが何だかさみしそうであった。
これでお話はおしまいである。
※おまけ
その後の話。
実は、ご主人は妻がいなくなった後もうちの施設へ訪れている。
そして事務員さんとたまに話したり、家でとれたおいしいみかんを持ってきて下さる。施設とご主人の付き合いは続いているのだ。
「家に1人、さみしいよ。」と通ってきてくれるご主人がいつまでも元気で過ごされる事を、Wさんの思い出話をしながら、私たち職員は常に願っている。
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