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言いたいことを選ぶこと

雨降りだ。

我が家は雨音がひびく構造で

静かにしてると雨と私だけの世界になる。

タタン、タンと雨が屋根をノックしている。

私は「誰もいませんよ」と雨に対して居留守を使いたい気持ちである。

さっきまで、娘と話していた。

娘は今日は学校がおやすみで

私もたまたまお仕事がおやすみで

最初はどこか2人で遊びに出かけちゃおうかなと思ってたくらいにはりきる心もあったのだが

今は空気の抜けた風船みたいにしぼんでしまって、しわしわと横たえた気持ちがある。

そんな横たえた....熊が狩られて毛皮になって、暖炉の前でラグマットみたいになって誰かの足元の下でひからびてしまったような私に

たまたま偶然にして娘も気持ちが上がらないとのことなので、2人でまったりと他愛もない話をした。

私はこういう時は自分の嬉しかったことなどを、脳内再生するのが得意である。


ひとつその中で、娘に話した話を書いてみる。


ジャンル的にはお仕事の話。

しかし、この話は誤解を招きかねないので、最初にひとつ断っておきたい。
私は薬物療法に関して、反対派であるとか、かえって毒であるとか、そういう0or100の考えは持っていない。

必要な時もあるし、もしかして今この人には過剰なのかもしれないなと思う時がある。ただそれだけの話で、そして、基本的には悩んだら専門家に聞いたらいいと思っている(この「専門家」は医者だの薬剤師だのを指している)

それを頭において読んでもらいたいのだが

(そのようなご意見を寄せられても、私もここでは意見を交わしたくないので、そこはご了承願いたい)

私の担当していた方がながーく精神科のお薬を飲んでいたのだ。
若い頃からずっと。

病と診断されてから何十年と飲み続けていたのだが、みるみるうちに短い期間で、認知症のような症状が急速に進んでしまった。

会話は支離滅裂となり
叫んだり
わからないと言ったり
また
体も硬くなり
歩けなくなり
立てなくなった。

家族は狼狽えた。介助する場面が増えて、疲労困憊になった。
私はこんなに急速に老化が進むのはおかしいと思うので、病院を受診して原因を探り、何か手立てがないか考えてみてはどうかとお伝えした。

結果。入院することとなった。

今まで飲んでいたお薬をだいぶ減らして、退院する目処が立った。

退院して自宅に戻ったところ。

会話が少しずつ元のようにできるようになり
体もやわらかくなり
自分で立って
歩くことができるようになった。

まだまだ心身ともにバランスがうまくいかないところもあるのだが、家族は「またこの人の様子が前に近づいて戻ってきて助かった」と安心した表情を見せるようになり、私もほっとしていた。

訪問を開始した頃から、急速に衰えてしまうまでにずっとご本人が続けていたことがある。

それは私を見送ること。

私がリハを終えて帰る時に

必ず玄関に出てきて、深々とお辞儀をする。


「ありがとうございました」


衰えが出てきてからは、それをやらなくなった。


しかし、またそれが復活したのだ。


私はそれに大変驚いていたが


もっと驚くべきことがあった。


本人は「ずっと調子が悪かったが、今は体が良くなってきて良かった」と話していて、自身の入院前の状態を振り返ることができるようになった。


そして私の目を見てこう言った。

「あなたがね、ずっと話を聞いてくれた」

「私が話せなくともいつも話を聞いてくれていたでしょ」

「それがすごく嬉しかった。ありがとう」

私はとても驚いた。

あぁ、もしかして...ずっと届いていたのだなと。

反応が悪くなり支離滅裂になっても

私は前と変わらない態度で接していた。

本人の反応がなくたっていい。

でも、きっとこの人は私の話を聞いているし

この人もきっと私に言いたいこと、伝えたいことがあると、頭のどこかでそう思いながら


でも...決して反応や見返りは求めずに


私は自分がそうしたいことを選んでそうしてるだけだった。

私は私を変えられることができる。

こうしたいならこうしたらいいって

変えればいいといつでも思ってる。

こう生きたい、こう在りたい。

それをただやるだけ。


まわりが期待するものに


私が応えることもないし


まわりがそうしてるからって

合わせなければいけないこともない。


むかーし、言われたことをふと思い出した。


認知症で、ものも言わなくなってしまって

自分が動くこともままならない方に

私はリハのたびに話しかけた。

お天気の話。季節の話。
施設の出来事。わたくしごと。
たまに地元の童謡を歌ったり...完全に独り言だ。

その時、そばにいたあるスタッフに


「その人は何も感じないのだから、言ったって仕方ないよ」「話しかけても無駄だよ」「何してんの、変なの」

と冷たく笑われ、私はおそらくそこで少し傷ついたのかもしれないが、でもいいと思った。私がやりたいんだからやるし、私の提供するリハの時間だし、何を言うのか、何を言わないのか、言いたいことを選ぶのは私なんだ。


私は今回のことで、あの頃の私に言いたいことがある。

それでいいんだよ。

大丈夫。

最近、こんなことがあったんだよって。


そしてことばは

世界を作る一つのカケラであるからして


私は私の紡ぐことばを育てたいと思っている。

たんぽぽの綿毛のように

ふわふわっーと飛んでっちゃってもいいから

たとえ目指した場所に着地しなくともかまわない

飛ばす綿毛はきちんとしたものを育てて

いつかの自分に届きますようにと。

それは過去の自分だったり

あるいは未来の自分なのかもしれない。



娘は言った。

「いや、いい話だよ、お母さん」

私はそうでしょと

にんまりしながら

止まない雨音に耳を澄ましていた。

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