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己を忘れないこと

ある利用者さんのところに週1回訪問させてもらっている。

彼女は私が今、憧れていて尊敬している人の一人だ。

彼女自身は高齢になってあまり名前も聞いたことのないような難病になり、お子さんたちと同居しながら過ごしている。


彼女のものの受け止め方、しなやかさ、粘り強さ、ある種の潔さ、品の良さ、おだやかさは、私にとってはとても遠くて.....高い位置にある。それは富士山のように雲の上まで続いており、私にはまだまだ行き着かないところである。
「おたくはまだ若いからね。これからよ。」と言わるれと、私は「無理とは言われないから、まだ見込みはあるってことだな。」とその度ににやにやと笑顔をマスクの中でひた隠しにしている。
私はその方に関わらせてもらいながら、たくさんのことを学んでいるのだ。


訪問リハ中に彼女と会話をしていると、彼女が通っているデイサービスのある男性利用者さんの話になった。

彼はもともと市長さんだった方で、今は認知症の影響が強く、まわりから見るとやや不思議な行動をするとの事。仮に彼をAさんとする。

たとえばAさんは、いきなりドアノブをがちゃがちゃして「あれ?帰るんじゃなかったっけ?ここはどこだっけ?」と聞いたり、自分や他人の話した話題をすぐ忘れて繰り返したり、簡単な物品の扱い方を忘れて何もできなかったりすることがあるとの事であった。

まあ、私からすると不思議でも何でもない行動だが、認知症に慣れ親しんでいない方はもしかすると奇怪な行動に映るのであろう。

Aさんに対して、他の利用者さんはさまざまな行動を取るのだと言う。

ある人はひそひそにやにやとしながら、陰でその方のことを話題にして見つめている。小馬鹿にしている雰囲気、哀れという眼差し。遠くから見ても伝わってくるそうだ。

ある人は「なんでそんなこともわからないの。さっき言ったでしょう!」と怒り出したりもするらしい。

ある人は「ねえ、あの人えらい人だったんでしょう?」と私の担当している彼女に聞いてきたり、Aさんには「先生、先生!」とぺこぺこと態度を変えたりしている。


彼女はそんな人間模様をよく見つめている。それでなきゃこんなにそれぞれの人が行なっている行動を把握できないと私は思うからだ。


彼女自身はどうするかと言うと、彼に対して遠慮なく話しかけに行くし、困っていたらひとつひとつ丁寧に伝える。

そうすると市長であった彼は「ああ、そうだっけか。ありがとう。」とお礼を伝えてくる。

場所をさまよっていたら「まだ帰らないから帰る時は一緒にみんなで帰ろう。ひとまずこっちにおいでよ。」と案内する。すると、彼も素直に彼女の横に戻ってくるとの事。

私はそれを聞いて「〇〇さん(彼女の事)にアルバイト代をさしあげたいくらいの気持ちです」と伝えた。

彼女の対応は下手な介護士さんや看護師さんや作業療法士より、よほど卓越していると感じたからだ。

「でもそのAさんも人ができた方だと思います。そうやって認知症が進んでしまっても、お礼を言えること。その年代の男性でましてや政治家だった人がなかなかできないことだと思います。」

「あのね。」

彼女は私を見つめて小さくにこっとした。

顔の皺が美しい、と、私はその時思った。

「認知症の人はこちらが穏やかだと穏やかになれるの。たとえ記憶を忘れてしまっても、自分の事がわからなくなっても、感情は伝わるのよね、たぶん。」


「そこで私はね『ああ、この彼はすごいな』と思ったんだ。」

「Aさんは確かに自分自身の記憶をなくしてしまったかもしれない。

でもね、彼は己を忘れてないのよ。それが態度でわかる。」

「Aさんはもともと植木の職人さんだった。その時の話をするのが楽しそうよ。たぶん苦労したんでしょうね。それは彼が積み上げてきたもの。
私は彼が偉い人だったとか市長だったとか関係ないの。そういうものさしで人の付き合いを変えることは嫌いだわ。
私は今の彼としか接してないし、そのAさんの行動を見て....すごい人だなと思うし、また話したいなと思うだけなのよ。」


私はそう感じている彼女自身の心の豊かさについて、自分の感想を素直に伝えた。そしてこう話した。

「それは、きっと今から気をつけようとして身につけるものではないですよね。

人間関係のコミュケーションって今までの積み重ねが出ると思います。

己を忘れていないAさんは、きっと今までもそうやって人に対してしてきたことが、きっと体にも染み付いていて、自然とそうさせているような気もします。それを引き出している〇〇さん(私の担当している彼女の事)もすごいと思います。」


己を忘れない事。


私の中で今日一番ささったことば。


どう自分が在りたいのか。

私が尊敬している浅生鴨さんについて昔のnoteでふれさせてもらった。

今なら鴨さんが言っていたことがより近く感じられる。

多重な光と闇を当てられて、もののかたちが...陰影がコントラストがかなりくっきりしてきているように私は思う。


高潔に生きていきたいと思う。


それは失敗するなとかではなく。


失敗はチャレンジする限りはつきものである。


人から見てみっともなくても


滑稽でもかまわない。


そこからまたどのように在りたいのか....


私はまた先人たちの知慮や、それこそ在り方を元に


宛のない道を進んでいくだけだと思っている。

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