論理的・合理的な説明を求める人へ


合理的な説明が出来る人って憧れますよね。

元々論理的・合理的というのは「筋の通った正しい説明」という意味です。

しかし、昨今、「論破」という言葉が流行ったり、「正論パンチ」という言葉が出てきたりと論理的思考というのは相手を言い負かす力と捉えられています。

「相手を言い負かす力」という解釈は間違いではないですが、本来の使い道とはかなり違います。

また、世の中に存在する物事の中にも論理的でないものや合理的な説明のできないものもあります。

例えば、ソフトバンクの孫正義さんはインターネットを普及させようと無線ルーターを無料で手渡しで配ったと言います。

「インターネットを普及させようと無線ルーターを無料で手渡し」はマーケティングの方法として別におかしくはありません。

1度使ってみて気に入らなければ返金対応みたいなものです。

しかし、重要なのは「インターネットを普及させよう」というところに合理的・論理的説明が出来ないことです。

孫さん曰く「絶対売れると思った」そうです。

私たちから見れば圧倒的能力を持った人ですら、ここは論理的でも合理的でもないんです。

もしかしたら、結果論で論理的・合理的説明は出来るかもしれませんが、結果から逆算した説明に意味はあるのでしょうか?

ここからお話するのは、論理的・合理的説明の弱点のようなものです。

もしかしたら、あなたは論理的・合理的説明を求めるがあまり、大きく損をしているかもしれません。

論理的・合理的説明を求めるということ

説明というゲームにおいては話す側と聞く側の2者が登場人物です。

話す側は相手に理解させるために話すのが役割で、聞く側は相手の話を理解することが役割となります。

論理的・合理的説明をする側は当然話す側となります。
例えば、「私は高校を卒業してすぐに働きだした。」という事実があって、私が話す側だった場合、論理的・合理的説明を求める相手に対して、

「やりたい事を学べる大学に行ってもお金を払っているのに自分のやりたくない勉強も受けさせられる。それに時間を取られるくらいなら仕事をして稼ぎながら自分の勉強したい分野の勉強をする。」

というような趣旨の説明をします。

金銭的にも時間的にも合理的だと私は思いますが、あなたはどう思うでしょうか?

しかし、実際に私が大学に行かなかった理由は

「高校3年生の夏に再婚した母の再婚相手の義父にお金を出させて恩を作りたくなかった」

という感情論です。

なぜ上記のような齟齬が生まれるかというと、論理的・合理的説明を求める人は「母の再婚相手の義父にお金を出させて恩を作りたくなかった」という説明を求めていないからです。

実際に感情論で説明した場合、聞く側がする言動はどうなるでしょうか?

・感情で人生を棒に振るな、と言い出す。
・気の毒に、と同情する。
・地雷を踏んだ、と黙り込む。

大体こんな反応が返ってくるでしょう。

この3つのパターンはどれも正直面倒なことになる予感しかしませんね(笑)

それを回避するためには論理的・合理的説明を後付けでしたほうが楽なんです。

しかし、この過程はこの記事の始めに伝えた論理的・合理的の意味である「筋の通った正しい説明」なのでしょうか?

私は違うのではないかと思ってしまいます。

このように話すスキルや語彙能力が高ければ、元々論理的・合理的でなくとも論理的・合理的説明を作り出すことは出来てしまいます。

はたしてこの会話に本当に意味ってあるのでしょうか?

最後に

noteをはじめようと思って自己紹介の記事を書こうと思って書いた文章がこの記事となります。

私が何者であるかやどんなことをしている人間かを書くことも考えました。

しかし、それよりもあなたが読む文章の根本にいつもこの記事を思い出していただいたほうが私のことを書くよりずっといい影響を与えてくれると思い、他の執筆者さんたちとは違うスタートとなりました。

これが私なりの自己紹介で、私がこれから書くであろう文章の根本でもあります。

私の文章があなたが求める目標や夢の一助になることを願います。

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