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怪しいセミナーのために7万使って広島へいく

自分探しの旅をしたことがあるだろうか?

自分探しの旅とは
普段訪れない場所へ出向くことで、自分と向き合いながらやりたいことや、生きる目的なんかを探す旅だ。

2015年の私もそんな自分探しにあけくれていた。
とはいっても、巷の大学生のようにバックパックを背負って、一人でインドへ行くような大胆なこともできず、部屋の片隅で死にかけのトドのように中古で買った自己啓発本を読みふける毎日であった。
仕事で月の残業が非常に多かったため、すっかり気力も体力も失ってしまったのである。

そんな私は、自己啓発本の都合のいいところだけを切りとって実行していた。
たとえば、夢を紙に書くなんかがそうだ。
本来は書いてから行動するまでがセットのはずだが、私は本当に書くだけで終わっていた。
七夕だって願いが叶った試しがないのに、どうして書くだけで願いが叶うなどと思ったのだろうか。
もうアラサーだったのだからしっかりして欲しいものである。

壊れかけのラジオのように、仕事の愚痴と「仕事を辞めたい。」というセリフを呪文のように唱え続け、どこからか「ハハハ、そんなに辞めたいならうちの会社で働きなよ!」などという白馬に乗ったスカウトの人が来たらいいのに…と本気で思っていた。

私も新しくやりたいことがあればすぐに辞めたのだが、見つからないので仕方ない。
親鳥から餌をもらうヒナのように、アホ面であんぐりと口を開けてチャンスを待っていたのだ。
もちろんそのようなものの元へチャンスなどやってくるはずがない。
そんなわけで、なかなか仕事を辞めれない私は、いっときの栄養ドリンクかのように、いわゆる夢が叶うとか、自己実現のような耳障りのいい本ばかり読んでいた。

ある日のこと、自己啓発本の著者のHPを訪れると、セミナーの案内に目がとまった。
タイトルは
「〜これから、どう生きるのか〜理想の人生の見つけ方」
タイトルからしてなんとも怪しそうなセミナーである。
しかも、本文は「あなたは今幸せですか…?」などという、あやしい宗教勧誘のような文言からはじまっていた。

一瞬眉を顰めてはみたものの、「理想の人生の見つけ方」なんて言われたらどんなものなのか試してみたくなるのが人間である。
もしかしたらこのセミナーにはものすごい効果あって、これをきっかけにみるみる理想の人生の階段を駆け上がれるかもしれない。

そう思うと私の片足はすっかりあやしいセミナーの沼に浸かっていた。
心が弱っている時こそ、このような楽してできそうなものへ飛びつきたくなるものだ。

追い討ちをかけるように、セミナーの代金は3000円というお手頃価格であることを知ってしまった。
著者は来ず、著者が話すDVDを見てディスカッションをするためこの価格設定のようだ。
悩んでもはじまらない。私はこのセミナーから何かヒントを得ようと参加を決めた。

ただ、さすがにこの怪しいセミナーに1人で参加するのは気が引けたので、妹のぬくんを道連れにすることにした。

この時のぬくんは仕事を辞めて、絶賛ニートであった。
ニートといっても転職活動中で、今よりもっとよい環境で働くために行動しているのだから、私と違ってずっと立派なのである。

ニートという言葉はあまり良い響きでないので、姉妹は未来の幸せを願って「ハッピーニート」と呼んでいた。
私は「ハッピーニートは仕事をしなくていいなぁ」なんて思っていたが、税金の支払いもかさんで決して楽な生活ではないらしい。

さて、セミナーの開催地だが、なんと広島である。新幹線をつかっても片道3時間はかかるだろう。
チケットも1人あたり往復で3万円以上になる。ハッピーニートにはなんとも荷が重い金額だ。
残業代をたんまりもらっていた私は、道連れにするお礼にハッピーニートをご招待することにした。
これで金額は合計すると7万円程になる。
普通なら、こんな怪しいセミナーのためにわざわざ7万円も払って広島へは行くはずもない。

それでも、今回訪れようと思ったのは、広島が我々先祖が住んでいた街だったからだ。
祖父母は、戦争で広島から静岡へ逃げてきたというのを父から聞かされていたのだ。
話に出るたびに、そうか…広島なのか…と思うだけで終わり、先祖の街に一度も訪れたことはなかったので、これはいい機会だと思ったのである。

心を病んだ私とハッピーニートのぬくん。
そんな幸の薄そうな姉妹が怪しいセミナーに参加することになった。

セミナーは14:00〜16:30の2時間30分。
その前後は広島観光をしようということになった。

当日、旅のしおりまで作っていた割には、新幹線に間に合いそうになかった。

肌寒いまだ朝の6時前だというのに、姉妹は駅の切符売場めがけて全力疾走するハメとなった。
我々をみかけたホームレスのおじさんが「まだ54分間に合うぞ!頑張れ!」などと、熱い声援をおくってくれた。
なぜ我々は応援されているのかも、彼が時刻表を把握していたのかも謎である。

全力疾走のかいもあり、朝の弁当まで購入する余裕がうまれ、わくわくの広島旅行のはじまりとなった。

結構いいのを買っている。

広島駅へ着き、まずは宮島へ向かう。
ぬくんは以前、広島に行ったことがあって、厳島神社を訪れたそうなのだが、鳥居や神社が水の上に浮かんでおり、それはそれは美しかったそうだ。
今回広島に行くに当たって
「絶対に厳島神社に行った方が良い!」と前のめりになって提案してくれた熱意に負け、厳島神社行きが決定したのだ。

広島駅から宮島口駅まで行き、そこからはフェリーで向かう。
フェリーなんて聞くと身構えてしまうが、JRなので、片道大人200円と気軽に乗れる。
フェリーの風は心地よく仕事の疲れを忘れさせてくれた。

フェリーが島へ着き、厳島神社へと歩くと、野生の鹿たちが結構いる。
彼らは人によくなついており、我々が近づいても警戒心のカケラもなくおとなしくしていた。
そんなに心を許してくれるならと、並んで記念撮影をした。

まるで親友のよう。

一応野生なのだから、もう少し緊張感をもって生きても良いのではないだろうか。

祝日ということもあってか、厳島神社への入り口は参拝客でごったがえしていて、姉妹もわくわくしながら列に並んで拝観料を払う。

海の上に浮かぶ、鮮やかな朱色の神社は…



枯れていた…。



引き潮であった。

こんなに枯れた厳島神社もなかなか珍しいだろう。
私は珍しくて記念に写真を撮った。

美しい厳島神社を私に見せられなかったぬくんは責任を感じてしまい、
「ホントは、ここの床を歩くとね、ピュッて海水が出てくるんだよ!」と足を動かしたり、「ホントはね、水に浮かんだ姿なんだよ…!」と、水の上にたたずむ厳島神社の美しい写真を私へ見せてサービスしてくれた。

しかし、私は貴重であろう枯れた厳島神社を見ることができて楽しかった。

厳島神社の周辺には屋台がいくつか並んでおり、参拝後は牛タンや串焼き、広島名物のカキも食べた。
デザートに鹿のソフトクリームという
鹿のうんちに見立てたつぶつぶがいっぱい付いた、グロテスクなソフトクリームもいただいた。

発想のセンスが天才的で、堂々とDeer Poopと書いて販売されてるのを見てケラケラと笑った。

この時にはもう、セミナーを受けることなど、すっかり忘れており、滞在予定時間は40分もオーバーしてしまった…。


会場へ向かいながら、姉妹はセミナー対策をはじめた。
対策といっても事前勉強のことではない。

なにせ初めていく怪しいセミナーだ。
HPにもたくさんの著者の公演DVDが販売されていた。
色々な理由をつけて、ツボや高い教材を売りつけてくるかもしれない。
セミナーを受けにくる人々も、熱狂的な信者で我々にツボを勧めてくるかもしれない。

私たちの想像では、とにかくツボを勧めてくるのだ。

「あなた…人生に迷っていませんか…?理想の人生を叶えてみたくはありませんか…?そんな時は…このツボです!」

まるでジャパネットたかたの通販番組のようにセミナー対策は進められていく。

「いらないです。」

「あら、あなた!疲れた顔してるよ!幸せですか?そんな時は…このツボを買いなさい!!」

とにかくツボなのである。
我々は一体セミナーをなんだと思っているのだろうか…。

受付時間前に会場へ着いてしまい、施設に入る人入る人、「絶対にあの人はセミナーの人だ。」とすべての人が信者のように見えてくる魔法にかかってしまった。
まだ少し時間があったので、隣にある元小学校の資料館を訪れてみた。

袋町小学校平和資料館だ。

原爆の資料があって、おじいさんが丁寧に説明してくれた。
当時の校舎の一部を保存し、資料館としたらしい。
そこには黒い壁があって、チョークでびっしりと文字が書かれていた。
当時、唯一の鉄筋コンクリートでできたこの小学校は原爆後も形を残しており、真っ黒になった壁を安否確認の場所として使っていたそうだ。

セミナーの後に、原爆ドーム近くにある平和記念資料館にもいく予定だったが、こんなところにも様々な資料があったのだ。
しんみりとしていたが、時間になってしまったのでいそいそと会場へ向かう。


結論的に言うと…

ツボは売りつけられなかった。

セミナーの司会進行の講師も良さげな人で、姉妹は怪しいと思っていたセミナーを思いのほか楽しんで終わった。
テーブルが分かれてており、姉妹は同じグループとなった。
ディスカッション前に自己紹介の時間が設けられ、和気あいあいとした雰囲気で進んでいった。

私は小声で「…そろそろツボの話がくるかな?」と妹に耳打ちした。
いつのまにかツボの登場を楽しみにしていたのだ。

同じテーブルの方もとても良い人たちだった。
このセミナーのために広島へ来たといったら。
「こんなものの為に?」と笑われた。彼女達はもう数回参加して、著者の本もよく読んでいるようだったが、どうやらそこまで熱狂的信者でも無いようだった。

著者のDVD鑑賞で「仕事が無くても、ハッピーなら良いじゃないですか。」というような話があり、ハッピーニートだ!と、姉妹はくすくすと笑っていた。
セミナー中のディスカッションでは、議題について話すぬくんが少し大人になったように思えた。

事前にセミナーの内容は外部へ漏らさないようにお願いします。と案内されたが、外部へ出すもなにも何ひとつ覚えていない。
きっとDVDでは大したことは言ってなかったのだろう。

きっとあの日の私も同じで、案外さっくり終わろうとしているこのセミナーから何か持ち帰ろうと真剣であった。
そこで講師にこう質問した。

「セミナーのタイトル通り、これからどのように生きるのか?まさにそのヒントが欲しくてセミナーに参加しました。現在、残業に追われて他のことができません。時間もないので仕事を変えようにもやりたいことが見つかりません。こういった場合どうしたらよいのでしょうか?」

すごくふわっとした質問だが、当時の私は真剣だった。
こんなチンケな質問に講師の方は丁寧に答えてくださった。

「でも、そういった悩みをかかえてる人は世の中にたくさんいて、その限られた時間の中で時間を削ってでもやりたい好きなことって何があるのかな?それがやりたいことに繋がるのではないかな?と思います。」

と言われ言葉に詰まってしまった。

私が限られた時間でしていたことは
「なんとかならないかな。」と本を読んで、こうしてセミナーで答えをもらうことだったからだ。
情弱もいいところである。

「仕事が辛くても趣味でイラストを描くのが好きなら、ほんの少しでも仕事の中に取り入れたら気持ちが変わってくると思うよ。」そう講師は付け加えてアドバイスをくれた。

わかったような、わからないような形でセミナーは幕を閉じた。
やはり、セミナーで劇的に人生が変わるような漫画のような展開などなかったのだ。

セミナーが終わると、HPには掲載されていなかった第二部がはじまり、恋愛セラピストの夫婦講演があった。
クレヨンしんちゃんの敵キャラのようなインパクト溢れる夫婦の登場に、最後まで怪しさがぬぐい切れないセミナーであった。

最後には同じテーブルだったメンバーとの別れを惜しんで解散した。
ちなみに教材のお知らせや出版した本の紹介、チラシは分厚い封筒で渡され、たんまりともらって帰ってきた。

なんとなくディスカッションして気持ちだけはすっきりとした。
姉妹は路面電車に揺られ、原爆ドームへと向かう。


原爆ドームは、そこだけオーラが違っていた。

ほぼ、当時の姿のまま残っている原爆ドームは、見ていて心が重くなるという感じではなかった。
ただ、そこに怒りも悲しみも包んで、平和の中に静かにたたずんでいるという感じだ。
原爆は、この建物から160mほどの場所に1945年8月6日午前8:15に投下された。

少しの時間だが、すぐ近くにある広島平和記念資料館にも訪れた。

館内には丁寧に”遺品”が展示されていた。
人々の悲しみや苦しみが、そして願いが、静かに静かに展示されていた。
遺品と一緒に亡くなった本人の写真もあった。
服などのモノだけではなく、髪の毛や爪などの体の一部まであった。

本当に衝撃的なものだった。

ここにくるまではこの出来事を、教科書などの本に書いてあるような1つの知識のような…どこか他人事感があった。
祖父が祖母が、「戦争の頃は大変だった。」「あんなのは2度としてはいけない。」

そう聞かされてきても、平和ボケしてる私にとっては言葉としては理解しても、ピンとは来なかった。
しかし、目の前にある残虐な光景に、確かにこの街に落ちたのだということを感じることができた。
目の前に当時の地獄の姿が浮かんだ。

海外の観光客の人がカメラで展示を撮影していたが、私はとてもじゃないが、そんな気分にはなれなかった。
あまりの衝撃に、体が動かない。

戦争は繰り返してはいけない。
そのために何よりも忘れてはいけない。
そのために伝えなければならない。
展示からはそんな使命感も感じ取れた。

ほんのわずかな時間だったが、この先忘れることはないだろう。

帰りの足取りは当然重かった。
実物を見ると、現実味がわいてくる。
衝撃の空間から一歩出ると、広島の街はクリスマスのイルミネーションできれいに飾られていた。
何気ない顔で、コートを着た人が行き来し、車が通りすぎる。
それは、とても不思議な感覚だった。

先程までのあの地獄のような街並みが、こんなにも平和ににぎやかになっているのは当時の方々は想像もつかなかっただろう。

私たちは、知らず知らずのうちに命のリレーの中で生きているのだ。

姉妹は少し歩き、最後に広島焼きを食べに行くことにした。
ビルの同じ階にいくつかお店があったが、おばちゃんの「おいで。」の一言で決めた。

まさか、そのおばちゃんも我々と同じ観光客であることは思いも寄らなかった。
一緒のカウンターにいた外国人の方とも写真を撮ったり、目の前で焼かれた広島焼きをみんなで食べて満喫した。

アツアツの広島焼きはとても美味しかった。

自分探しの旅で、7万円使って広島まで行って何か変わっただろうか?

少しセミナーへ行ったくらいでは、気付きはあっても人生に大きな変化など起きない。
ただ、今回の広島の旅も1つの気付きであった。
その小さな出来事が集まった時、私は本当に欲しかったものを手に入れるのだろう。
帰ってからは早速、お店のPOPのイラストを描くことからはじめてみた。

与えられるものより、自分で答えを出せるように動くというのが大切なのだ。

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