見出し画像

語る資格なんてないけれど、スピッツへの愛をちょっぴりぶちまけたい(長文)

(記事を書いたのが6月中だったので、情報が少し古い部分もありますこと、ご了承ください。)

ドイツのコロナにまつわる一連の規制は、あともう少しで、他国から入国した場合の隔離期間もほぼほぼ解除される見通し。

ということは、夏休みに国境を越えた移動も問題なくなる。これはドイツ人にとって、夏のバカンスを諦めなくてもいい!という嬉しいニュース。そして外国人の多いベルリン市民にとって、母国への帰省や、家族に会うための移動が叶うという、待ちに待った朗報なのだ。

すでにベルリン市内はほとんどの店やレストランは再開され、夜10時まで明るい夜のバーのテラス席には人が溢れ、パーティ帰りの賑やかな若者の声などが、夜の通りに時折響く。

数カ月前の、静まりかえった通りの様子を思いだすと、ああ、ベルリンの、いつもの夏がもうじきやってくる、という思いに、ちょっぴり胸が熱くなってしまう。

一方、相変わらず子どもの学校は週2回、2時間だけの短縮授業。この中途半端な状況のまま、夏休みに突入する予定だ。

私も日々、物事をPCの前で済ませてしまうというスタイルが継続してはいるので、自分自身の生活は、ロックダウンが始まったころとさほど変わってはない。

それでも、25度を超える夏日が時折おとずれる、ベルリンの街かどのカフェの外席で、友達とビールで乾杯したり、お喋りに花を咲かせられるこのいつもの6月がやってきてくれたことを、私だけじゃなく、例年以上にみんなが楽しんでいるんだろうな、という雰囲気が、街のあちこちから伝わってくる。

これがもし叶わなかったりしたら、正直、今年の秋にベルリナーたちは、メンタルが崩壊していただろう。

長いグレーな冬を耐え、待ちに待った春はコロナで隔離され、夏の日を浴びられず秋を迎えるなんて・・・でもそんな最悪のシナリオは回避できた。

本当に、よかった。とりあえず、私たちは外で、夏の太陽の日差しを浴びることができるのだ。


そんな私は最近、ここにきてYouTubeにはまり込み、寝不足の日々を過ごしている。

それというのも、YouTubeで何かを検索していた際に、ふと、古いスピッツのMV動画に引っかかって、「わあ、懐かしいなスピッツ!」と、再生ボタンを押してしまったのが事の始まり・・・

これが私にとって、スピッツとの約20年ぶりの再会となったのだ。

あれは1990年代、田舎の大学生だった私は、見始めるとすべての生活活動がストップしてしまうテレビというものが好きではなくて、(流し見、ということができない性格なので)一人暮らしのアパートににいるときは、ラジオをひたすら流しながら、掃除したり、ごはんを食べたり、という生活を送っていた。

日本文学部という地味な学部に所属するくらい、読書と妄想が大好きだった女子大生の私は、窓から港がみえるという最高のロケーションの、自分の小さなアパートが大好きで、バイトや友達との約束がない時は、家の電話の電源を引き抜いて、一人っきりの時間を満喫していたものだった。

携帯電話はおろか、パソコンなんて存在しない時代だ。人と連絡を取るためには、家の電話を使うか、公衆電話を使うか、直接訪ねていく以外に方法はなかった。

だから、電話線を抜いてしまえば、外部の人は、だれも私とコンタクトはとれない。

何度か、私と電話が何日も通じず、友達が心配してドアをノックし、生死を確認しに来る、という出来事もあったけれど、今みたいに、いつでもだれとでも連絡がとれる便利さよりも、誰にも邪魔されない、たった一人の空間と時間が確保できる、あの頃の心の底からの自由さは、何にも変えられない貴重なものだった。

夕暮れ時に、港の船の汽笛が聞きながら、空が少しずつ夕焼けでピンク色に染まっていく様子を眺めるのは、何とも言えない、美しい夢のような時間だった。

なんだろう、あの永遠に続くような、孤独なんだけれど、寂しいんじゃない、自分一人だけの時間をどれだけ溺愛していたのか。それこそ、過去に戻りたいとは余り思わないけれど、あのアパートで、あの世界から切り離された、たった一人の時間を過ごすことが許された学生時代には、ちょっとだけ戻ってみたいなと、今でも懐かしく思うことがある。

そんな今で言う、若干引きこもり大学生活の中、ある日ラジオから流れてきたのが、FM局の「今月のヘビーローテーション」で選ばれたスピッツの「ロビンソン」だった。

一度聞いたら忘れられないような、ちょっぴり切ないメロディーラインと、繊細な少年のようなボーカルマサムネ君の歌い声。

新しいのか、古いのか、なんだか分からないけれど、静かに訴えかけるようで、それでいて抑揚のある情熱的なメロディーと、言葉自体は簡単なのに、つかみどころのない歌詞の浮遊感が同居したこの曲には、なにか心を心をかき乱されるような魅力があった。

そんなつもりはないのに、心の一部分が勝手に反応しちゃう、という感じとでもいうのか。

琴線に触れる、という日本のいい言葉があるけれど、何かが自分の心と共鳴して、言葉にならない感情を生み出す音楽。

ラジオで繰り返し流れるこのメロディーは、静かなアパートの、私の妄想によって世間とは隔離された、ちょっと非日常的な日常に、心地よく浸透していった。

当時、数少ない友達と時々遊ぶ以外は、アパートの近くの不思議な場所にあった、変わった大人たちが集まる小さなバーに通い始め、珍しい女子大生の客だった私は、そこで年上の飲み仲間(というか、かっこいいおじさま達だったな)から、いろんな音楽情報を仕入れていた。

常連のおじさまたちは、ラジオ局で働いていたり、DJをしていたり、地元のレコードショップのオーナーだったりしたこともあり、そこでかなりマニアックな音楽を聴かされたりもしていた。

たしか、洋楽ではあの頃流行り始めたアシッドジャズや、新しめのレゲエなんかが新鮮だった中で、日本の音楽といってもインディーズよりの、言ってみれば大衆向けの媒体には出ないようなミュージシャンに目が向いていたこともあって、スピッツの曲が生活の中で大きな割合を占めることはなかったのだけれど、彼らの音楽は確実に私の心の片隅にあって、ラジオから定期的に流れてくる彼らの曲は、大学時代の思い出と共に、心に刻まれていたのだった。

今はインターネットがあって、YouTubeなんかで、ありとあらゆるMVや、お気に入りの曲を気軽に聞ける時代だけれど、当時はテレビ以外で、ミュージシャンの動いている姿をみるチャンスは、ライブに行く以外になかった。

だから、テレビを見ない私は、レコード店の店頭にあるスピッツのCDジャケット・・・いや、スピッツのCDジャケットには本人たちの写真はないから、販促用のポスターとかカードを見て、こんな人たちがこの曲を作ってるのか、と、漠然と知ることしかできなかった。

その時の彼らのビジュアルで印象的だったのは、当時のボーカルのマサムネ君のマッシュルームカットの文科系少年っぽい雰囲気が、私の好みの男の子の雰囲気だったのと、それと真逆のギターの三輪さんのルックスが強烈で、なんか不思議なバランスのバンドだな、ということだった。

中学から高校にかけて、妄想片思い(笑)してた男の子が、ちょっとマサムネ君に雰囲気が似ていて、そのことも、スピッツに何とも言えない特別な感情を抱かせた要因の一つではあったとも思うけれど。

そんな風にスピッツとはつかず離れずの関係のまま、ファンです!と言えるほどのポジションにも至らないまま、大学卒業後、東京に上京した私は、新しい人間関係や、仕事、経験したことのない「東京生活」に飲み込まれ、相変わらずテレビ無し、仕事と夜遊びにあけくれる、目まぐるしい生活を送ることになった。

音楽は色々聞いてはいた。でも、特定のミュージシャンの熱烈なファンというわけでもなく、どこかで耳にする音楽を、「あ、これ好きかも」「こういうのが、最近人気なんだな」と、聞き流すくらいだったかもしれない。

じっくり音楽を聴くよりは、ファッションに情熱を傾けていた当時、自由になる時間とお金は音楽よりもそっちにつぎ込んでいたのと、クラブ通いにはまっていたこと、そして、大学時代に好きだったミュージシャンと、不思議な縁で東京で再会するという出来事があったりして、彼らの活動を遠巻きながら追いかけていたりはしたけれど、ほぼほぼ、日本のメインストリームにある音楽シーンとの接点はないままだったのだ。

だから、当時のスピッツについての活動状況もよく分かってはいなかったと思う。それなのに、当時私が買った数少ないCDの一つに、スピッツの「花鳥風月」が含まれていた。

よっぽどのことがなければ、CDを買うことのなかった当時の自分が、借りるでもなく、このCDを買ったという事は、やっぱり、私の中でスピッツは特別な存在だったんだなあと、今振り返ってみて思う。

そしてこれは余談ではあるけれど・・・

当時下北沢に住んでいた私は、仕事のあと、夜な夜な近所のカフェに友達と流れ、深夜まで他愛のないおしゃべりをして過ごしていた。

そのカフェは、某音楽会社が経営していて、その名もずばり音楽会社の名前でやってるという、ちょっと珍しいカフェではあったのだけれど、若いイケメン店長と仲良くなって、家と職場の中間という位置にもあり、当時かなり頻繁に通っていたと記憶している。

女ばかりの私の職場では、その店長に会いたいという理由でそこに通うスタッフもいた。あんなモテ男もめずらしかったなあ。彼の周辺で勃発した色恋沙汰で、小説の一つや二つは書けそうなくらいだ。

そんなある日、店長が私たちのテーブルに来て、若いスタッフを横に立たせ、「この子たち、バンドやっていて、今すごいがんばってるんだ。応援してあげて~」と、一人の男の子を紹介した。

前髪長めで、伏し目がちで、小さな声で「よろしくお願いします・・・」とつぶやいた少年は、見た目も内面もあまりにも繊細そうで、内心、「こんな大人しそうな子が、バンドでやっていくって、大丈夫なんだろうか・・・」と心配になるほどだったんだけれど、「そっか、頑張ってね~!バンドの名前は?」と聞いて、帰ってきた答えが、

「Bump of Chicken、バンプオブチキンっていうんです。」

2回くらい名前を聞いても、声が小さくてよく聞き取れなかったのと、ウエイターとしては余りにも不慣れな彼の仕事っぷりが、なんだかこう、余計なお世話なんだけど、痛々しいというか、なんというか、、、だからものすごくその時のことを覚えているのだけれど、その1年後くらいに、その時の少年、藤原君がボーカルをつとめる Bump of Chicken の曲がヒットしたのを知った時、「わあ、見かけによらず、熱い少年たちだったんだ」と、ずいぶん驚かされた。

私は、最初にそんな彼らの曲と、彼らのビジュアルを見た時、なんか、スピッツと共通点あるな、と感じたのだった。

もちろん、私は日本のロックミュージックに関して全く知識もないし、ロックミュージシャンもほとんど知らない。だから、すごく大雑把な印象でしかないのだけれど、ボーカルの藤原君の外見の、ちょっと文科系な感じとか、楽曲全体の、熱いんだけど、どこか哀し気な雰囲気が(藤原君の声の質と、微妙な振動のあるような響きが、そう聞こえるのか?)私にはスピッツとのなにかしらの共通点を感じさせたのだ。

まあ、彼らの音楽を全て知っているわけでもなく、ただの素人の感想にすぎないんだけれど、なんというか、こういう雰囲気?の日本のロックっていうものは、スピッツ以前にはなかったと記憶しているから、ざっくりと分類してみたら、、、というだけのことなんだけれど。

でも、あのバンプオブチキンの曲の疾走感というか、熱いのに繊細な、という両面性みたいなものが共存した音楽は、とても印象的だった。

ミュージシャンとして成功するのは、簡単なことじゃないけれど、あのカフェでバイトしていた彼ら自身だって、あの時は、自分たちがあんなにメジャーな存在になるって、想像していなかったんじゃないかな。

人の人生って、面白いな、と思わせてくれる、これもまた一つの思い出。


さて、話をスピッツに戻すと、東京時代を経て、結婚・子育て中にドイツにやってきた私には、スピッツどころか、日本の音楽に触れる機会がほとんどないまま年月を重ね、日々慌ただしく過ごし、そしてこの2020年のコロナロックダウンを迎えることになったのだ。

夜中、パソコンの前でふとみつけたスピッツの曲のYouTube画像を押して音楽が鳴り始めた瞬間、一気にタイムスリップして、自分は20年以上昔の自分に引き戻された。

何より驚いたのは、そういえば「動くスピッツ」を目にしたのは、もしかすると初めてかもしれない、ということだった。

ラジオや有線から聞こえるスピッツは、あくまでも録音された音楽のみで、本人たちの姿とは別ものとして存在していた。

でも、YouTubeの動画で、彼らが歌い演奏する姿をみて、それは初めて、私の中で「スピッツが歌う音楽」となった。

しかも、「ロビンソン」を始め、「チェリー」とか、1990年代の、マッシュルームカット全盛期のマサムネ君のかわいらしさは、驚異的・・・。

なんなんだあの笑顔!!

見れば見るほど、私の「黒髪・運動あんまりできなさそうな文科系オタク」(失礼!ご本人は運動部だったらしいので、運動音痴ではない模様)という、理想の王子様像を体現しているではないか!

ある意味、この当時のマサムネ君を知らなくてよかったと思った。

私の人生は、別の展開をむかえたかもしれないくらい、このルックスと、気弱な感じの佇まいは、ツボ。

デビューしたばかりのマサムネ君の、なんだか、おどおどした挙動不審な動きと、時折、ちょっと強い感じを頑張ってだしてみました!感があふれる、無理に悪ぶったような受け答えなんかが、たまらなく愛らしい(笑)

件の、私が中高片思いしていた男の子は、もうちょっと体育会系よりだったけど、文学好き少年っぽい印象と、不思議な言動、そして華奢な外見と、派手じゃないけど目鼻立ちにちょっと清潔感あるおぼっちゃんな感じが・・・なんか似てる。かわいすぎるやんか~(方言)

ちなみに、片思いしてた男の子は地元から離れた福岡の私立高校に進学してしまい、一度私は彼が通う学校がどんな高校なのか見たいあまり、福岡まで2時間以上かけてバスで見学にいったりしたことがある。こわっ(笑)

その時の思い出の大濠公園が、福岡出身のマサムネ君のコメントなんかにも出てたりして、福岡つながりの運命を感じた。こわっ(笑)

まあ、その子もそうだけど、当時九州の田舎から、福岡の私立高に進学したり、福岡から東京の美大に進学したりするマサムネ君のような子は、そこそこお金持ちのうちの子に決まっている。だから、そんな育ちのよさそうな清潔感がただよっているのも、二人の共通点であったりもしたのかもしれないけど。

1990年代、そして2000年初期の楽曲を聞くと、どこかで確かに耳にしたことのある、スピッツらしいメロディーのシングル曲がいくつかあった。

しかし、さらにずるずると動画を芋づる式に閲覧していくうちに、私のスピッツ空白の20年の間に、彼らがずっと曲を作り続け、そして50歳を超えた今も、依然と変わらず活動しているという事実に行きあたり、ますます驚いてしまったのだ。

ピチピチキラキラの「ハチミツ」(このMVはほんとやばい。おばちゃん、にやけながら目を♡にして見入っちゃうかわいらしさ)の後に、最新曲のMVに飛んだ時は、さすがに、「王子様も齢をとったわね・・・」と、感慨深い気持ちになったけれど、私の知らない楽曲の中に、「こんなロックな曲もあったのか!」という驚きと、バンドとしての完成度の高い演奏に、正直、かなりの衝撃を受けた。

私が1990年代に、ラジオなんかで聞いていたスピッツは、「ロビンソン」「空も飛べるはず」「ハチミツ」など、なんとなく、ロックというよりは、ポップミュージックというくくりなのかな?という印象が強かったのと、見た目的にも、「ギタリストだけ妙に浮いた、かわいい系マサムネ君ビジュアル担当の、ベースとドラムは落ち着いた大人しめのバンド」という、不思議系なイメージがべったり付着していた。

だから当時、スピッツが、ロックバンドというくくりであることが、どこかしっくりこない、という気持ちがあったのだ。

ところが。

ところが、だ。

ちょうどこのタイミングで、無料公開された2013年の横浜サンセットライブの動画をみて、私は、スピッツのことを、本当に何も知らなかった、ということ、彼らが、私の想像を超えた、めちゃくちゃロックなミュージシャンだったということに、ものっすごい衝撃を受けたのだ。

もしまだみてない人がいたら、これは是非みてほしい。

「スピッツ横浜サンセット2013」

https://www.youtube.com/watch?v=W4Lkp42a-10

劇場公開のために撮られたライブ映像だから、もちろん、ある程度の修正は入っているとは思う。

それでも、それを差し引いても有り余るほどの、めちゃくちゃかっこいいライブなのだ。

MVとは全然勢いが違う、このライブ演奏のすばらしさ。

40代後半のメンバー4人の、なんというか、演奏も含めて完成された熟練の風格と安定感。なのに素朴さは相変わらずといった雰囲気の、温かさあふれるMC。

そして何より、口パクじゃないよね?と疑ってしまいそうになるくらいの、マサムネ君の歌の驚異的なうまさ!

実際、7割くらいは初めて聴く曲だったのだけれど、この選曲もすごくよくて、しかもステージが、私にとっても思い出いっぱいの、横浜の赤レンガパークってところが、また完璧な設定。

横浜の港の夕暮れから夜にかけての風景と、スピッツ。なんか、ホントにこのライブ映像は映画のストーリーのような出来栄えだ。

1曲目の「恋のうた」の世界観は、海辺のこのライブ会場の雰囲気に1ミリの隙間もないくらいはまっていた。

12曲目の「ランプ」の歌詞、

「ただ信じてたんだ、無邪気にランプの下で

人はもっと自由でいられるものだと」

このフレーズが流れてきた時、忘れてた若かりし頃の思いが蘇ってきて、ぐっときてしまった。

そして後半をすぎた辺りの、「渚」「恋する凡人」「8823」「メモリーズ・カスタム」の流れなんかは、まあ、それはそれは感動的。

これまで、「8823」って曲を知らずにいたことが、猛烈に悔しかった。

動画を初めて見てから、この曲何度リピートしたことか。

ライブの終了後に打ち上げられた花火も、日本の夏の郷愁を誘われて、思わず泣いちゃいそうになった。

コメント欄を読むと、毎日聞いてます!って書き込みの多いこと。

分かる。わたしも寝る時間削って、毎晩戻ってきちゃうんだよ・・・

この感動を友達と共有したくて、近所の日本人のママ友に話した。するとなんと!!その二人ともが実は、スピッツ関係者とすごく近いつながりがあるという事が発覚して、私は思わず鼻血を出しそうになってしまうという、おまけまで付いてきたのだ。

ここはベルリンなのに・・・世界はほんとに狭い。

一人は昔、スピッツのライブにも行ったことがあるとのことで、「いやほんとに、マサムネさんは歌がうまいのよ」と言っていた。私も初期のころは、高音がよくのびる、独特な声をしているな、と思ってはいたけれど、「すごーく上手い」という印象は実はなかったのだけれど、、、

このライブ演奏や、他のライブ映像なんかをみて、プロに対してものすごく失礼だけれど、「え!なんでこんなに歌が上手いの!こんなに上手かったの!?」と、びっくりしてしまった。

他のミュージシャンや、音楽専門家なんかが、マサムネ君の歌のうまさを、絶妙な表現で解説していて、なるほど、と思ったけれど、とにかくそれも含め、スピッツはライブがかっこいい、といわれる意味が、この映像で良く分かる。

どうでもいいけど、40代後半のロックバンドのボーカルが、上品なボタンダウンシャツ着てこんなにかっこよく歌うって、それもありえない。

マサムネ君、私が知らないところで、こんなに美しい40代を過ごしていたのか・・・くやしすぎる。。。

そして何より、メンバー全員の個性が、なんかこう、MCとか全体にもよく表れていて、30年もいっしょにバンドを続けられるっていう、ある意味奇跡のようなことが可能だったのも、この4人だったからなんだな、というのが見て取れて、そこもまた感動のポイントだったりするのだ。

ほとんどすべての楽曲を作詞作曲しているボーカルが中心のバンドで、バランスをとりながら活動を30年も続けてるっていうのは、どれだけすごいことか。

この短期間の間で、20年のブランクを埋めるべく、ありとあらゆるスピッツ関連動画なんかを、寝不足になりながら追いかけた結果、

スピッツすごい。

このバンドすごい。

言いたいことは、単純だけど、この一言に集約された。

正直、私は「スピッツ=マサムネ君主役のバンド」ととらえていたところがあった。

いや実際、彼が私の妄想にまみれた「理想の王子様」像に近いってことは、スピッツのマニアックな情報を仕入れた後でも変わらない。(実はけっこう、つきあうとめんどくさいキャラっぽい感じとか、そういうのも含め・・・ほんと、知りもしないのに、私ほんとに失礼ですけど)

50も近づけば、そりゃ人間の裏も表もある程度分かるし、人にそんな自分の理想を押し付けるほど世間知らずでもない。

それでもなお、マサムネ君は、「王子様」と呼ばせてくれるだけの、外見だけじゃないかっこよさがある。それは彼がきっと、かっこいいと思えない自分を全肯定できないまま、受け入れているような潔さというか、きっとデビューしてからここに来るまでの彼の人生が、人となりに現れているような佇まいなんかが、稀有な尊さをかもしているのだ。私の妄想かもしれないけれど。

初期のころ、ブルーハーツの甲本ヒロトに衝撃を受けて活動を休止してしまったと言っていたけれど、甲本ヒロト路線を目指していたマサムネ君が、あの「ハチミツ」のPVに移行するまでの葛藤というか、(大人の事情だったのか・・・)飛躍というか、変貌というか、そこには、きっと深い、深い、何かがあったんだろうな、なんて。

そしてなにより、これは「マサムネ君のバンド」なのではなくって、他の3人のメンバーが、どれだけすばらしいかってこと、この4人のチームがスピッツだったんだという当たり前のことを、今まで知らずにいて、それを発見できたということが、最大の収穫だったかもしれない。

リーダーと呼ばれるベースの田村さん、この人のスピッツ愛、マサムネ愛が愛おしすぎる。めちゃくちゃこの人、気が利く人なんだろうな、ということが、発言や行動から見て取れる。もしも本人に会えたら、むりやり両手を握って、心からの感謝を表明したい!!(笑)

ドラムの崎山さん、すごいいいポジション。なんか、みんなを見守るお父さんっぽい雰囲気(自分は「お母さん」って言ってたけど)。そして天然キャラがまた最高。ライブでの笑顔と、腕を挙げるパフォーマンスがかわいすぎる。崎山さんに50肩がこないことだけを、心の底から祈りたい。それと同時に、動画の再生回数がすごすぎて、崎山さんの腕が外れないか心配になる(笑)

ギターの三輪さん。この人見た目の印象がキョーレツだったけど、正直、人としてかなりバランスのある人だと思う。なんか、この人はすごいかっこいい。絶妙にバランスをとってる感じ。髪を痛めつけすぎてるので、頭皮の状態が心配だけど・・・

50歳を超えたスピッツが、正直、いつまでライブパフォーマンスを見せてくれるのかは分からない。

MCの中でも、ちょいちょい「50肩が」とか、「老眼が」とかっていうネタが入ってくるけれど、ほぼ同世代の私からすると、あんなハードなライブを、例えば60歳になったメンバーがやれるだろうかと言うと、それはほぼ不可能だということは分かる。

それでも、彼らがこの長い時間を、いろんな困難な時期も乗り越えながら、押しつけがましくない、スピッツらしいポジションをずっと維持しながら、たくさんの音楽を作り続けていてくれたことは、感謝以外の何ものでもない。

このコロナ禍の中で、世界中でいろんな悲しいことが起こったけれど、自分のこの数カ月を振り返ってみると、周りのみんなや家族が、とにかく元気でいてくれたことを感謝するしかないし、最初はどうやって乗り越えようかと暗い気持ちになっていた外出自粛も、それによって与えられた時間で、考え、感じ、得るものもたくさんあった。

そして、思いもよらず、こうやってスピッツの音楽と再会して、なんとなく単調で刺激のなかった生活に、生き生きした感情や、昔の忘れかけていた記憶を蘇らせてくれる「音楽」というものの素晴らしさを思いださせてもらって、本当に、自分は幸せだなと感じた。

ありがとう、スピッツ!!!

私の失われた青春、若かりしころに置き忘れてしまった、青くて恥ずかしいけど、あの片思いの時に感じてたときめきの感覚や、新しい世界に飛びだしていったけど、なかなか上手くいかず手探りしていた時代の思いなんかが、今更だけど、まざまざと蘇ってきたよ。

そして、もう会えなくなってしまった人たちへの思い、うまく表現できないその人たちへの追憶の思いを、スピッツの曲は代弁してくれてもいた。

歌が人生にどうして必要なのか、改めて気づかされた。

そういう感覚を、ずいぶん長いこと忘れていたんだなと。

このコロナ隔離がなければ、もしかしたら、ここにはたどり着けなかったかもしれない。そう思うと、物事は一面だけではとらえられないということにも、きっと私だけでなく、多くの人が気づかされたこの数カ月だったのかなと、振り返る。


いつもビリーアイリッシュやら、よく分からない、欧米のポップミュージックを聞いている娘をPCの前に引っ張ってきて、スピッツの「ロビンソン」のMVを見せてみた。

日本の音楽をほとんど知らずに育った娘が、どんな反応をするのか、見てみたかったのだ。

気の進まなそうだった娘が、イントロが始まった時点で、音楽に集中し始めたのがすぐにわかった。

「ね~、これいい曲でしょ~、25年くらい前の歌なんだよ~」と言うと、「うん・・・」とうなずき、歌に耳を傾けながら、なんていう名前?と聞いてきた。

感想ははっきり言わなかったけど、途中で聴くのをやめないということは、スピッツの曲に興味をもったに間違いない。

すると娘が一言、熱唱するマサムネ君を見つめながら、つぶやいた。

「この人、なんかママに似てる」

思わぬ娘の発言に、「は?どこが?」と返したら、

画面をじーっと見つめて、「目が。目がなんか似てる」と。

そうなのか?私は、私の王子様と、似た目をもっているのか。

なんという幸運。

娘は、何十年か経って「ロビンソン」のMVを見て、私のことを思い出してくれるかな。だったらそれは、私がもし、もうこの世にいなかったとしても、私にとって素敵な瞬間だ。


スピッツ、これからもずっと現役で居続けて!!いつか、ライブに行きたいな。なんかワクワクするわ~、みたいな気持ちがなくなっていた昨今、私にこんな夢をくれて、ほんとありがとう・・・

スピッツの活動を支えている、昔からのファンの人たちにもなんか、めちゃくちゃ感謝。新参者の私が生意気にスピッツ愛を語ったりして、すみません。

スピッツのことあんまり知らない人にも、彼らの音楽聞いてほしいな。私は、私の生徒たちにも聞かせて、海外ファン増やす活動します(笑)








もしサポートいただけたら、今後の継続のための糧にさせていただき、面白いと思っていただける記事をかけるよう、さらに頑張ります。