べあひぇん

アラフィフ、国際結婚卒業のちシングルマザー、ドイツ・ベルリン在住の先生時々占い師。 ベ…

べあひぇん

アラフィフ、国際結婚卒業のちシングルマザー、ドイツ・ベルリン在住の先生時々占い師。 ベジ寄り雑食の母と、生まれる前からベジタリアンの娘との、もやっと健康的で、暴走気味に自由なベルリン生活や子育て、カルチャーなんかについて、終活の思いもこめつつ、ときおりつぶやきます。

最近の記事

2021年、コロナ禍のドイツで起こったこと。1年前とは完全に違う世界に生きている私達

※この記事は11月に下書きしていたものですが、記録の為、アップします。長文です。写真は、クリスマスマーケットに入場するため、ワクチン接種証明のチェックを受ける人達 11月19日、ドイツ政府より、ワクチン未接種者に対する制限の、再度の強化対策が発表された。 それは、未接種者は公共交通機関を利用する際にも、簡易テストを受けた上での陰性証明が必要になるということ。電車やバスは、もはや市民全員の乗り物ではない。乗っていい人と乗ってはいけない人の2種類に、人々が分類される事が政

    • 終わらないロックダウン

      (※半年以上前の未公開記事ですが、記録の為に今更ですがアップしています。) 今日の日付を見る。2021年4月10日。 たしかこのnoteで最後に記事を書いたのは・・・ あれから1年近い年月が経ったけれど、ドイツのコロナの状況は改善することもなく、昨年の秋あたりからじわじわと強化されてきたロックダウンの規定は、イースターホリデーにはさすがに自由になれるでしょ?と年明けに楽観視していた人々の気持ちを、一気に諦めモードに追いやった。 2月ごろまでは、まだ、ドイツ人の友人から

      • 語る資格なんてないけれど、スピッツへの愛をちょっぴりぶちまけたい(長文)

        (記事を書いたのが6月中だったので、情報が少し古い部分もありますこと、ご了承ください。) ドイツのコロナにまつわる一連の規制は、あともう少しで、他国から入国した場合の隔離期間もほぼほぼ解除される見通し。 ということは、夏休みに国境を越えた移動も問題なくなる。これはドイツ人にとって、夏のバカンスを諦めなくてもいい!という嬉しいニュース。そして外国人の多いベルリン市民にとって、母国への帰省や、家族に会うための移動が叶うという、待ちに待った朗報なのだ。 すでにベルリン市内はほ

        • 生きていく中で、道に迷った時に思いだす言葉

          先日、記事の中で夢日記について書いたところ、突然昔の色んな記憶が蘇ってきた。 それと同じタイミングで、突然、長らく音信のなかった古い知人からメッセージが送られてきたり、FB上で流行りの、「子供時代の写真」をアップする企画が回ってきて、昔のアルバムを探してみることになったり・・・ そんな風にして過去を振り返り、記憶をたどる作業を始めた時、昔自分が書いていた文章のいくつかに行きあたった。 そうか、自分こんなことやって、こんなこと考えてたんだな、と、まるで他人の話を読むような

        2021年、コロナ禍のドイツで起こったこと。1年前とは完全に違う世界に生きている私達

          世界が変わる方向に、きっと明かりがさしているという希望を捨てずに

          ロックダウン生活もそろそろ2カ月目を迎えようとしている。 4月の終わりに、ベルリン市内の小規模商店の再開が許可され、街が少しだけ息を吹き返したように感じる。 買い物に出かけるため家の外に出ると、いつの間にか街路樹がまぶしい緑色に変わり、通りにも人の姿が増えて、いつもの春のベルリンの風景に近づいてきたような気がするけれど・・・明らかに以前と違っているのは、道行く人々の大半がマスクを着用していること。 コロナ以前、街中でマスクをしている人を見かけるなんて、皆無だった。 本

          世界が変わる方向に、きっと明かりがさしているという希望を捨てずに

          夏日のベルリンにて家にこもり、マスク2枚と死について考える

          桜が満開となった2週間前のベルリン、そしてサマータイムに変更になったその日に、雪が舞った市内。 そして、今日は20度を超える夏日となった。 夏の短いベルリンでは、気温が15度あたりを超えようものなら、待ってました、と人々は外に繰り出し、カフェのテラスはこんなに人がいたの?と思うくらいに込み合う季節。 けれどコロナウイルスによるロックダウンの開始から、街の風景はすっかりと変わってしまい、毎日が日曜日のような不思議な日常が続いている。 私もふと、いったいいつからこんな風に

          夏日のベルリンにて家にこもり、マスク2枚と死について考える

          志村けんさんの訃報。そして、日本とドイツの現在。

          志村けんさんの訃報が日本のニュースで流れていた。 昨日、ベルリンの前市長のパートナーがコロナウイルスによって亡くなったということを記事で書いたばかりだったのだけれど、今朝このニュースを目にした時、きっと日本国民なら誰しもが知っているであろう、志村けんさんがコロナウイルスの犠牲者になるなんて、と再び大きなショックを受けた。 ヨーロッパやアメリカなど、世界中でこれだけ厳しい措置が取られているにもかかわらず、まだコロナウイルスの勢いはとどまる様子がない。 通常とあまり変わらな

          志村けんさんの訃報。そして、日本とドイツの現在。

          愛する人をコロナで失うということ、そして自分に何ができるのかを考える

          今朝のニュースで、ベルリンの前市長、クラウス市長の30年来のパートナーであった男性が、コロナウイルスによって亡くなったことを知った。 2001年から2014年という13年もの間、ベルリンの市長を務めた彼は、「パーティー市長」などと呼ばれて批判もあったようだけれど、常に高い人気を誇り、ベルリンを象徴するような人物であったことは確かだ。 以前にもちょっと書いたけれど、市長選挙前に「私はゲイですが、それもまたよいことです」とカミングアウトした台詞は流行語にもなり、ベルリンについ

          愛する人をコロナで失うということ、そして自分に何ができるのかを考える

          ベルリンがコロナ後も、ベルリンでありつづけるように

          気温の上がった週末のベルリン、運動不足を解消すべく、買い物がてら、あまり人が歩かなくて、去年の今頃はジョギングの定番コースだった公園までの道を久しぶりに歩く。 やはり、久々の15度越えとあって、街中に人の姿が多い。だけど、家族以外の2人以上での行動が制限されているため、歩いているのはカップルなど、2人組だらけ。公園の中も、この天気だったら満員御礼のはずの芝生エリアも、2人組または家族連れがまばらに点在しているのみ。 先々週までは、外であれば人と会うこともできたので、公園内

          ベルリンがコロナ後も、ベルリンでありつづけるように

          「沈黙の春」を思うベルリンの今日

          ※この記事は3月中旬に書いたものなので、情報は多少古くなっています。 朝目が覚める。 布団の中で、あれ、今日は週末だったかな?と一瞬考える。 いつもなら、通学や通勤の人たちの行き来で賑わう窓の外が、静まり返っている。 そうだった、昨日から、コロナウイルス対策のため、ついにベルリン中の学校が休校になり、会社が早めの春休みになったりして、人が外を出歩いていないのか、と思い出す。 週末の朝なら、平和だな、と思えるこの静けさも、世の中が目に見えないウイルスとの戦いのために、

          「沈黙の春」を思うベルリンの今日

          ベルリンで考える、ベジタリアンとして、ついでに人としての生き方について。

          娘は生まれた時からのベジタリアンで、中学生になる今まで、肉も魚も食べたことがない。 厳密に言えば、3歳くらいの時に、友人のパーティーで、私が見ていない隙に、パクッと鶏のからあげを口に入れたらしく、目撃した友人が「あ!いま からあげ食べちゃったみたいだけど、大丈夫!?」と報告してくれたことがあったけれど、本人も無反応だったので、そのままにしておいたことが1回。 そしてもちろん、日本で育っているときは、外食すれば必ずといっていいほど「出汁はかつお節」という和食の法則があるので

          ベルリンで考える、ベジタリアンとして、ついでに人としての生き方について。

          ベルリンの多様で自由な結婚・離婚事情

          わたしは、ベルリンに来て、旦那との10年以上に渡る国際結婚を解消して、晴れてバツイチになった。 計画離婚というか、家庭内別居みたいな時期を経ての、ほぼほぼ円満離婚みたいなものだから、けっこう淡々と物事はすすんでいったように、今となっては思うけれど、離婚を決断するまではそれなりに色々あったから、そういった近い距離の相手との、ああだこうだが無くなったということの解放感は大きい。 でももし、結婚してからずっと日本に住みつづけていたとしたら、この「離婚」という選択をしたかどうかは

          ベルリンの多様で自由な結婚・離婚事情

          アラフィフの海外暮らしって。しかもバツイチ子持ちって。

          気がつくと、自覚のないまま50の扉に向かって歩き続け、もうその扉にあとちょっとで手の届く距離まできてしまっていた。 やばいやばいやばい、と、後ろをふりかえってみると、ちょっと前まで私の後ろをちょこちょこついて歩いていた、かわいいかわいい娘っ子はおらず、代わりに私の身長を超えた、ぱつっぱつのティーンネイジャーが、剃りそこなって負け犬みたいになった眉毛と、にじんだマスカラのせいで、悪い男に殴られたあとみたいな顔して「なに?」って私をみてる。 そのうえ、この家の中には、本来ある

          アラフィフの海外暮らしって。しかもバツイチ子持ちって。