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かわいいということ


中国版プデュが盛り上がってるらしい。私は本編を見ていなかったけれど、今までのアイドルとは少し違った、色んなスタイルの女の子たちがいることが印象的だった。夢に向かって頑張る人を応援する番組スタイルはすごく面白いし、自分も自分の生活を頑張ってみたいと思わせてくれる。そんな中国版プデュの映像を見た。


コンセプトも映像もめちゃめちゃかっこいい。「私は私」を貫く女の子に憧れるし、私もそうでありたい。昨今、ヨジャグループが媚びることなくありのままの自分が美しいと歌うことが多くなった。すごく大きな、ポジティブな力の働いたムーブメントだと思う。


けどなんか、スッとしない。彼女らは悪くない。けど世間一般的に「美しい」カテゴリーに入る女性が、「外見に囚われることなくありのままの自分を愛す」ということを謳うのはあらゆる方向への危険と隣り合わせなのではと、いつも少しもやもやしてしまう。

そのコンセプトを綺麗なアイドルがやることはルッキズムに加担することになるんじゃないか、かといって顔の綺麗な人が好きなのはそれぞれの趣味嗜好でしかなく、そもそもそれがアイドル業を支えているわけだし、何より私自身が顔が綺麗な人が大好きだ。私も私を好きになるために綺麗でいたい。何がなんだかわからないけど、でもなんか、違う気がする。


アイドルも1人の人間だってことをわかってもらうためなのかな。ファンによる過剰なストーカー行為も、アイドルを自分のものにしたいという行きすぎた感情も、アイドルを1人の人間として扱っているようには思えない。アイドルだって、法と倫理を侵さなければやりたいことをやっていいし、いろんな考えを持ったっていいし、誰を好きだってかまわない。それを公表するかしないかも自由だし、言わないで活動してお金を稼ぐことも全然ありだと思う。完璧に隠し通せるなら恋愛をしてもそれは自由だ。アイドルは事務所の商品である以前に1人の人間なのだから、個人のアイデンティティを侵害することは誰にも許されないと私は思う。けどそういうことを考える人ってその人のことを好きな人たち(=オタクの一部)しかいなくて、大衆には伝わらない…

わかってくれるひとがわかってくれればいいってのはもちろんだけど、、そうじゃない!といつももやもやする。


「見た目」に対する執着と周りからの視線ってワンセットだ。実際にアイドル産業が昔から盛んな韓国と日本の女の子たちはみんな細くてすらっとした体を求めてダイエットをするし、美しいとされる顔になるために整形をする。見た目に対してものすごく執着している。自分もその中で生きてきた1人だから痛いほど気持ちがわかるのだ。痩せたいのはなぜか、肌を白くしたいのはなぜか、二重になりたいのはなぜか。


それが美しいとされている基準だから、この一点ではないか。指標がはっきりしているからそこにすがりたくなる。指標に近ければ近いほど他者からの評価も高くなる。自分を喜ばせるために、理想の自分に近づけるために、自分で自分を好きになるために。
「オレはぽっちゃりの方が好き」なんて話をしてるんじゃない。自分の思う美に近づきたいからダイエットをするのだ。

美しい人が「外見に囚われることなくありのままの自分を愛す」と謳うこと。顔の良い人がもてはやされるのはそう簡単に存在しない、希少な存在だからだ。 もうすでに美しさを手に入れている人が「外見に囚われることなく」ということに矛盾を感じる。

整形して綺麗になって自尊感情が高まることは良いことだと思うけれど、それも仕事の一部となると話は違ってくるのではないか。顔を整えて大衆の憧れの存在になることは健全なのか。ありのままのその人の歌声とかダンスとかお話とかそういう能力だけではスターになることはできないの?

かといって、ブサイクが「ありのままの自分を愛してる」と言っても、今の社会でまともな反応が返って来ることはほとんどないのだろう。若さと美しさに縛られた人間がまた他の若い女の子を縛る。醜いのは本当に見た目だけだろうか。


あんなに個性豊かな109人が集まってたのにあの映像で取り上げられたのは、みんな一般的に美しいと言われる顔立ちとスタイルの女の子たちだけだった。


自分がどんな形であれ、ありのままの自分を愛すことはあたりまえのことなのに。




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