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維盛入水 『平家物語』より

平維盛は平清盛の嫡男である重盛の嫡男、三位中将。都落ちした平家が陣を敷いた屋島から抜け出す。三位中将とはいえ朝敵として源氏に追われる身、付き従うのは与三兵衛重影と石童丸、操船の心得がある武里という舎人の3名のみ。阿波結城の浦から小船に乗り、紀伊へ向かう。すでに平重衡が生け捕られ鎌倉に送られていた。維盛は都へ上り妻子に会いたいと思いながら、平家本流中の本流としては重衡と同じ轍を踏むわけにはいかない。しかし、妻子に会いたい。だがしかし、都に上るわけにはいかない。悩み抜いた末に、旧知の僧がいる高野山に参った。旧知の僧とは、父重盛に仕えた滝口の武士であった斎藤時頼、今は滝口入道。維盛とは同い年、27歳。これからの身の振り方を相談するには恰好の相手であった。まずは滝口入道を先導者として高野山境内を巡礼し、奥の院詣も終える。入道の庵室で二人は語り明かす。

高野山 壇上伽藍 中門
撮影日:2021年10月1日

維盛は出家するつもりでいたが、その意思を供の重影と石童丸に話すと二人とも出家するという。三人揃って頭を丸め、維盛は武里に屋島の平家陣営への言伝を託す。滝口入道を臨終時に仏道への結縁を取り計らう導師として、維盛一行は高野山を出て熊野を目指す。熊野本宮に着き、証誠殿の前で経文を読む。熊野本宮大社の本地は阿弥陀如来。

熊野本宮大社
撮影日:2023年10月3日

一行は本宮から船で熊野川を下って熊野速玉大社に参詣、神倉山を礼拝する。

熊野速玉大社
撮影日:2023年10月3日

そして熊野那智大社に参詣。

 那智に籠って修行をしている僧のなかには、この三位中将維盛卿をよくよくお見知り申しあげているらしいのがいた。これが同じ仲間の僧に、次のように驚きつつ話した。
「ここにいる修行者をどういう方かと思ったら、なんと小松の内大臣殿のおん嫡子の三位中将殿でいらっしゃった。思い出すぞ、あの殿がまだ四位の少将と申された安元の春のころ、法住寺殿で後白河上皇の五十のおん賀があったときのことだ。父の小松殿は内大臣の左大将であられた。叔父の宗盛卿は大納言の右大将であられ、きざはしの下に着座せられていた。そのほか三位中将知盛、頭の中将重衡以下一門の人々が今日を晴と着飾られて垣代に立っておられる中、この三位中将が桜の花を頭に挿して青海波を舞って出られたのだ。その美しさたるや!(中略)すぐにも大臣で大将を兼ねる任にお就きになるとお見受けしていたのに、今日ここで、あのように窶れ果てられたお姿を拝むことになろうとは、なんと、ああなんと。かつては夢にも思わなかった、思うはずもない!移れば変わる世の習いとは言いながら、これは悲しすぎるぞ」
 話し終えると、袖を顔に押しあててさめざめと泣いた。そこにいた大勢の那智籠りの僧たちもみな涙で僧衣の袖を濡らした。
 何もかも変わった、と知って。
 変わり果てた。

吉田日出男 訳『平家物語』日本文学全集 河出書房新社 672-673頁

上に引いた『平家物語』にあるように権力中枢の主要ポストが悉く平家一門によって占められていたというのも日本の歴史としては異様に見えるが、物事は一方の極端に振れると、その後にもう一方の極端に振れるということでもあるのだろう。盛者必衰とか諸行無常などとよく言うが、永久だの普遍だのというのは所詮は順境にある側の願望であって、我々は予見不可能な世界を生きているのが現実であろう。そんなことはわざわざ言うまでもないことだが、些細なことを動かし難いことと思い込んで誇示してみたり卑下してみたりすることが多すぎると感じるのも一方の現実だ。

熊野那智大社・那智山青岸渡寺
撮影日:2023年10月2日

熊野三山の参詣を終わった維盛一行は浜の宮王子の社の前から一艘の船に乗って海へと漕ぎ出す。この浜の宮王子跡には熊野三所大神社が建っている。平家物語の当時は境内が海に面していたようだが、現在は浜の宮王子跡の熊野三所大神社と海岸の間は国道42号線とJR紀勢本線によって隔てられている。勝浦港外の熊野灘には「紀の松島」と呼ばれる大小無数の奇礁奇岩が集中する海域がある。その中にある山成島に維盛一行は船を着けて上陸、そこにあった松の木を削り、名籍を書き付けたとされている。

「祖父、太政大臣平朝臣清盛公、法名浄海。親父、内大臣左大将重盛公、法名浄蓮。三位中将維盛、法名浄円、生年二十七歳。寿永三年三月二十八日、那智の沖で入水す」

吉田日出男 訳『平家物語』日本文学全集 河出書房新社 674頁

それから沖へ漕ぎ出し、今となってはどこともわからぬ海上で所定の作法に従って入水する。

妄執をたちまち改め、西に向かい、手を合わせ、声高に念仏を百遍ほど唱えて、と、これぞ臨終正念、まさに徹せられたその作法。
 船上で、徹せられた作法。
「南無」
唱えながら、その声とともに海に身を投げられます。
続いて兵衛入道重影も。
石童丸も。
同じく阿弥陀仏の御名を唱えながら海に入るのです。入ってしまう。青さの底へ。
入水を果たした者たちは、底へ。
残るのは、海面。
一面の水。

吉田日出男 訳『平家物語』日本文学全集 河出書房新社 679頁

補陀洛山寺の本堂の裏に維盛の供養塔がある(見出し写真)。以上、備忘録として。

撮影日:2023年10月1日

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